第158話 ながいおわかれ


『これ、は……!』


 ザッハークが血反吐と共に呻き声を上げる。

 邪竜の首の根元には先ほどまで存在していなかった大穴が背中側から胸部へと抜ける形で生まれていた。


 まるで最初からそこだけを狙っていたかのように、名槍 《日乃本轟ひのもとごう》は心臓のあった場所を寸分違わず精確に破壊。

 その中で、込められたすべての力を竜の身体に開放してきたのか、天空より舞い戻りし槍は穂先を大地へわずかに埋めて静謐を湛えていた。


『戻って、きた一撃の方、が、こ、高威力だと……!? なんなのだ、この力は……!!』


 肉体の多くを失いながらも、魔力を展開して上空に踏み止まろうとしていたザッハークはついに力を失って地面へと墜落する。

 巨大質量の衝突が地面を大きく揺らし、竜の血液を周囲に飛散させた。

 誰がどう見ても致命傷であり、むしろ未だに生きていられることが不思議なほどだ。これが古代に生きた竜の生命力なのか。


「俺の実力――――と言えたら多少は格好もついたんだろうが、はるか昔から幾多の敵を打ち破ってきた槍の力だ」


 邪竜の疑問に答えたが実に締まらない。


 しかし、言葉で容易く説明できるものではなかった。

 いかに強力な武器、神話に語られる聖剣や神剣と呼ばれるものを携えようと、少なくない勇者や英雄が戦いの中で敗れている。

 研鑽を重ね、武の極致にまで高められた技量がなければ、圧倒的な力を前に武具の真価を発揮することなく死んでいくしかない。

 どちらかが欠けても駄目なのだが、それを語るのは無粋に思われた。


『そうか……。では、最後に、貴様の、技を……見せてみよ……』


 喘鳴ぜいめいを繰り返す中、生命を維持するための重要器官を破壊されていながらも、ザッハークが残された右前脚を使って身体を持ち上げる。

 すでに肉体の修復は行われていない。それすらも不可能なまでの傷を邪竜は負っていた。


 だが、それでもザッハークは止まろうとしない。


「まだ、戦おうとするつもりか」


 問いかけを受け、次第に焦点が定まらなくなりつつある金色の瞳が俺を見据える。一瞬だけ細められた瞳孔が「訊かずとも答えなどわかっているのだろう?」と逆に問いかけているようだった。


『然り。我は、討たれ――――いや、殺されて、おらぬ……。そうであろう、異郷から参りし《死に狂い》よ』


 頷こうとする前に、ザッハークは牙の並ぶ口を開く。己の生きた証を少しでもこの世界に残そうと――――いや、刻みつけんとするかのように。


 死を目前にしていながら、ザッハークの瞳から闘志の炎は潰えていなかった。

 このまま何もしなくとも邪竜は遠からず死ぬ。


 だが、死の際にあっても強者を求め続けてきた竜は、命尽きる瞬間まで戦いの中に在ろうとしている。その気高くあらんとする意志が俺の身体へと向けられていた。


 嵐風あらかぜが小さく嘶く。


「……ああ、わかっている」


 短く答え、空間収納から青い柄巻の太刀――――《傀伝斬光代おおでんたみつよ》を引き抜いて、俺は馬の背から下りる。


「ここまでされて応えねば、とても武士とは名乗れぬよな」


 続く言葉は自分自身に言い聞かせるようなものだった。

 腕を振って嵐風に指示し、鎧馬がいばの能力で身に纏っていた刀征具足とうせいぐそくを外す。

 身を包む具足から解放され、身体が幾分か軽くなった。


『……なんの、真似だ』


「技を見せよと申しつかれば、いざこの場に及んで鎧など不要」

 

 荒い呼吸の中で発せられたザッハークからの問いに、握った刀を正眼に構えることで答える。

 対する邪竜からの返事はない。すくなくとも、俺の言葉を憐れみやそれに類するものとは受け取らなかったようだ。


 踏み出そうと動かす足がひどく重い。わずかにでも気を抜けば倒れそうになる。


 だが、ここで意識を失おうものならそれは“負け”でしかない。


 震えながらも立ち上がったザッハークへ向かい進み出ていくと、邪竜もまたそれに続くようにゆっくりと後ろ脚を踏み出す。


 不意に、両者の歩みが止まった。


「終わらせようか。さすがに長く舞いすぎた」


『ああ……』


 周囲がにわかに暗くなってきた。ふと見れば、山の向こうへと夕日が沈もうとしている。なぜかはわからないが、死の気配をもっとも間近に感じられる時間だった。

 吹き込んでくる風が肌に冷たい。だが、それでも冷やすことのできない戦いへ臨む意志が身体の奥底から熱を引きずり出そうとする。


 おそらく、相手も同じなのではないか。そう思うと知らぬ間に笑みが浮かんでいた。


 ザッハークが周囲に響き渡るほどの咆吼を放つ。それが最後の戦いの合図だった。


「『参る……!』」


 意図せずして互いの言葉が重なった。


 見つめる先で邪竜が動く。後ろ脚で地面を蹴り、残る前脚の爪を届かせんと大地を揺らしながら迫る。


 同時に俺も疾走を開始。真正面から両者が距離を詰めていく。

 どちらもすでに体力が限界を迎えており、戦い始めの俊敏さなど残されてはいない。


 最後の力を振り絞るようにザッハークの前脚が振り下ろされる。

 そこに世界を焼き尽くさんとした邪竜の姿はない。ただ戦いを――――命と命がぶつかり合う一刹那の輝きを追い求めた戦士がいた。


『さぁ、超えてみよ! 我が存在を!』


 雄叫びと共に巨大質量が叩きつけられる。明らかに初手で決めるつもりだった。


「来い!!」


 叫びながら疾走し、握り締めた《傀伝斬光代》を旋回させる。

 迷う時間などない。ここで躱せば体勢を保てず、追撃で蹂躙されるだけだ。

 ならば――――とわずかに腰を落として、迫りくる暴風の如き一撃を真正面から迎え撃つ。


 人と竜、ふたつの《死に狂い》が激突。轟音が上がるとそこからは超近接戦闘に移行する。

 傍目からすれば地味に見えるかもしれないが、ここでどちらかが不用意に動けばたちまちに形勢は傾く。息が詰まるほどの至近距離で戦うことによって、俺は邪竜の質量を活かした攻撃を、ザッハークは肉体を破壊されかねない大技を封じ込めているのだ。

 一発一発が渾身の一撃でありながら、繰り出される刃と爪の応酬が連続し、幾多の火花と轟音が重なる。

 もはや動体視力には頼らず相手の気配と先読みで戦いが展開されていた。

 

 相手の肉体がどのように動くかを読んだ上で攻撃を放ち、己の肉体のある場所を意識しつつ防御、反撃、あるいは受け流しの判断を下す。

 単純な肉体の反射に頼っていただけではすぐに詰み手となってしまう。導き出される膨大な手の中からさらに数歩先を読んで動かねば、たちまちに死そのものとなった刃と爪が描く弧に捕らわれるのは必然。


 ――――いや、違う。


 いつしか両者の放つ刃は次第に直線的な軌道から多段に変化する立体的なものへと変化を遂げていた。

 わずかな綻びを刺突が貫こうとすれば、蛇のように蠢いた指によって爪がそれを防ぐ。翻った前脚が手刀となって迫るのを跳躍して躱しつつ、空中で温存していた《斬波定宗きれはさだむね》の異能により前方回転の斬撃を繰り出すが、邪竜は腕を引いて奇襲を紙一重で回避。出鱈目なようで精緻そのものの動きだった。


 まだ強く、そして速くなるのか。


 胸のうちで絶望と歓喜が交互に湧き上がる。

 敵を倒すための最適解を掴もうとすれば、それが相手の新たな未来を無数に引き出してしまう。いつか訪れるであろう間隙を縫い、相手に先んじようとしているにもかかわらずこの瞬間がたまらなく楽しい。

 どうしてこれほどまでに極限の戦いを求めるのか。それがもたらすものなどなんということはない。勝利と強敵との別れだけだ。


 不意に両者の間から音が消える。仕掛ける瞬間と認識した互いが刃と爪を一時的に引いたのだ。永遠に続くかと思われていた拮抗は唐突に終わりを告げた瞬間だった。


 視線の先でザッハークの目が笑みの形に細められる。俺も口唇が歪むのを感じつつ、残された“オーラ”を肉体に循環させると同時に刀身へと流し込む。


「『ここだ!』」


 発せられた声はふたたび重なっていた。

 

 瀑布ばくふとなって叩きつけられる古代の爪と飛燕ひえんの如く跳ね上がる神代の刃。

 瀕死となりながらも尚、雷光の如き高速で迫る邪竜の一撃を視界に捉えながら、衝き動かされるように踏み込み、渾身の力で大地を蹴って跳躍。《傀伝斬光代》を斜めに振り抜く。


 すでに魔法障壁を展開する力すら邪竜には残されておらず、響き渡ったのは五指に備わる爪との激突音――――ではなかった。

 これまで幾多の剣や槍を受け止め、あるいは返り討ちにして破壊してきたであろう邪竜の“つめ”。それは青く冴え渡る刃によって根元から砕かれて、新たな音をこの場に生み出していた。

 ザッハークの瞳に驚愕が浮かび上がる。


 ――――まだだ。


 竜の“刃”に打ち勝っただけでも、おそらく伝説に刻まれるであろう偉業だ。

 しかし、それでも虚空を切り裂くいにしえの太刀は止まらない。

 もつれそうになる足を右前脚の甲へとかけ再度跳躍をかける。ザッハークの瞳と俺のそれが交差。すでに邪竜は動くことすらできなくなっていた。


 一条の彗星のように伸びた銀光がザッハークの首筋を深々と切り裂く。

 

 頬に降りかかる温かな感触。噴出した竜の血液が俺の身体――――腕や肩に散っていた。


 着地と同時に膝をつく。ザッハークの身体が崩れ落ちたのはほぼ同じ瞬間だった。


『……なんの、差だ』


 地面に倒れ伏し、首筋を含む全身から大量の血を吐き出して邪竜が問う。


「……ただの、だろう……。俺があの槍を引っ張り出すまで生き残れたのも、そして刃がお前に届いたのも、すべて時の運に過ぎない」


 今度こそ“オーラ”を使い果たし、全身の至る所が悲鳴を上げているが、それでも勝者の責務として涼やかな顔を作っておく。

 やはり浪漫の欠片もない。磨き上げてきた技量こそが勝敗を左右すると誰もが口にしつつも、蓋を開けてみれば戦いとはどこまでいっても運の差でしかない。

 あそこでザッハークの爪が砕けねばどうなっていたか。


『ふ、ふはははは! そ、うか、運、か……! だが、もうすこし、敗者の慰めに、なる言葉は、出て来ぬのか……』


 すぐ目前にまで迫る死の足音を聞きながらも、邪竜は震える声で笑っていた。


「虚飾は好まぬのだろう? 今さら、そのようなものが必要か?」


『いや……』


 皮肉交じりの問いを受けてザッハークは言葉を切る。


『だが、ともすれば我もそのような戯れを欲したのかもしれん』


 自らの血で染まったザッハークが独白する。


「だとしても、それは戦いの中に求めるべきものじゃないな」


 別れはすぐそこまできていた。


『そうか……。それは、知らなんだ……。ユキムラよ、もし、生が輪廻するのならば――――』


 邪竜の目が静かに閉じられる。満足げに語る竜の表情には、いつしか深い笑みが浮かんでいた。


『次は、貴様と同じ目線で――――戦ってみたい』


 





























【業務連絡】

 余韻ぶったぎりで大変申し訳ありませんが、12月13日に本作書籍版が発売されます。

 某投稿サイトのように後書きがないのでこちらで告知することをお許しください。

 加筆修正4万文字近くとWeb版でできなかった、あるいは表現しきれなかった部分を強化した完全版に近いものとなっております。

 ぜひともよろしくお願いいたします。






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