第157話 日出處剣士穿神槍日沒處邪竜


『まさか卑怯とは言うまいな?』


 この極限状態の中、なぜか問い質すかのように邪竜が俺に向けて問いかけを投げた。


「当たり前だ。それがお前の力なんだからな。どこが卑怯だというんだ?」


 俺は迷うことなく返す。


『ほぅ……。まさかそのような言葉が出るとは。いにしえに英雄と呼ばれし者でも、死を前にしてはそうはならなかったぞ』


 ザッハークがさも感心したように漏らすが、俺は侍でこそあれど英雄でもなければ騎士でもない。

 だから、こうして正面からの一騎打ちはしても「同じように戦え、卑怯だぞ」などと敵に向けて言うがごとき愚行は晒さない。


 ザッハークの持つ二対の翼を前にすれば、空を飛べない者は邪竜を傷をつける手段が限られる。

 しかし、それは卑怯だろうか?


 では、一発放つだけで広範囲を焼き払い、あるいは天変地異にも似た事象を引き起こす魔法。

 その圧倒的な破壊力は卑怯だろうか?

 

 答えは否だ。ただ、己が持てる武器を使っているにすぎない。


 まともに戦っては勝てない相手を卑怯と罵り、自分と同じ土俵にまで降りて来させようとする行為こそ、相手からすれば卑怯と断ずることも可能であるし、反対に相手をその言葉に乗せられる者からすればそれもまた戦術と言えよう。


 しかし、この竜には元々そんなものに付き合う義理はない。

 誇りを求めて強者との戦いを繰り広げてきたのではなく、ただ湧き上がる戦いへの衝動によって遥か昔に世界を焼き払ってきた筋金入りの《死に狂い》だ。

 戦いにおいてなんの制約もない。ただ圧倒的な力で敵を叩き潰すだけだろう。


 そんなあまりにも純粋な暴力の権化を前に、俺は小賢しい手段で全力の死合いをけがす真似だけはしたくなかった。


『まるでだな』


「……冗談だろう。俺はただの《死に狂い》だ。そんな高尚なものじゃない」


 間違いなく買い被りだ。

 もし、絶対に勝てないと誰もが絶望するような敵を前に、怯むことなく挑んでいく者が勇者と呼ばれるのだとしても、俺はそんなものに興味などない。

 ただこの強敵を前に全力で戦い、そして生死のどちらかに至るだけだ。


 そもそも、こんな巨大な敵を前に正面から挑む方がどうかしている。

 理の外にいる者にどこまで効くかはわからないが、倒すことだけを考えるならば、それこそデュランの持つ《聖剣ゼクシリオン》を使えばいい。

 担い手はともかくとして聖剣としての力だけは本物だ。真の力を解放し、それを多数の魔法使いで作り出した戦略級魔法によって超遠距離から投射してやった方が、正面から挑むよりも勝率はずっと高いだろう。

 俺の持ちだしてきたいくつかの神代魔道具アーティファクトと呼ばれるものの中にも似たような効果が宿されたものはある。


 邪竜の目的が単なる大量虐殺であるならばそれらを使ってでもヤツを滅ぼすだろうが、せっかく相手から最高の戦いを求められているのだ。


『くははは、本当に貴様は面白い人間だ、ユキムラよ。このまま我が全力にて殺さねばならぬのが惜しいくらいだ』


 並ぶ牙を見せつけて口唇を歪める邪竜を前に、俺も本格的に覚悟を決める。


「同じ言葉を返そう。俺もここで終わりなのが惜しくてならない」


 そう返しつつ、面頬めんぼおの中を流れ落ちていく一筋の汗。

 すでに俺の中の“オーラ”は大技を何発も放てるほど残されてはいない。


 いざ事ここに及んでは出し惜しみなど不可能だ。


 大きく息を吐き出して《三ヶ月宗親みかづきむねちか》を鞘に収めると、宙に浮かび上がる魔法組成印の中心に滞空する邪竜の動きがにわかに止まった。


 俺がなにか仕掛けるとわかっていて、この竜はそれを待っているのだ。

 より血湧き肉踊り、あるいは自分を滅ぼしかねない戦いを得んがために。


 期待に応えるべく、俺は左腕に埋め込まれた緋緋色金ヒヒイロカネの空間収納から巨大な槍をこの世界へと引っ張り出す。


 邪竜の喉から溜め息にも似たなにかが漏れたように感じられた。


 ――――名槍 《日乃本轟ひのもとごう》。

 穂は二尺六寸一分五厘(七九二ミリテン)、茎一尺六分五厘(六二五ミリテン)、重量九,一二七ミリグラン、には優美な倶利伽羅龍くりからりゅうの浮彫が施され、こしらえを含めた全長は十尺六分余(三,二一五ミリテン)にも及ぶ。

 槍でありながら八洲における官位を持つとまで謳われ、時の帝から上條幕府第十五代将軍の兄・雪頼ユキヨリに下賜され、その後覇王へと経て、ふたたび上條家の血を引く俺の下へとやってきた。

 俺の持つ幾つかの刀とは違って無銘の槍ではあるが、その身に秘める力は俺や過去の所有者と共に数々の戦いを潜り抜け赫奕かくやくたる戦果を上げてきたことから申し分ないほどに証明されている。


 だが、


「ぐっ――――!」


 亜空間から現実世界に実体化したものを右手で握ると、同時に凄まじい重みが腕にのしかかり、全身が大きく軋みを上げる。

 そればかりか、真下にいる嵐風の四肢までもが湿気を多分に含んだ地面へと沈み込みかけるほどだった。


よりはすこし強くなったと思っていたんだがな……」


 刃長三〇〇ミリテンを超える長身の槍――――大身槍であることを差し引いても異常としかいいようがない重さだ。

 こんなものは、平時の際の力比べ程度には使えても、けして敵を前にして振るうものではない。

 

 元々、神代にこの地に落ちた隕石を巨神が鍛え、荒ぶる龍神との戦いに用いたと伝えられる巨大な剣の、一部だけ残った残骸。それを古の鍛冶族ドワーフが長き年月をかけて槍に直したと伝わるもので、神代鋼オリハルコンすら超越すると戦記絵巻にも書かれていたほどだ。

 その来歴と、八洲の別名である日乃本――――その人外魔境に轟く槍などという大仰な名を冠している時点でまともなはずがない。

 俺が今まで強敵と呼べる相手を前にしても、こいつを戦いに持ち出さなかった理由がそれだ。


 しかし、使わざるを得ない。

 これほどの敵を相手にして俺が振るうことを許された刀だけで戦うのは無謀だ。

 なにしろ向こうはこの周囲一帯を吹き飛ばしてあまりあるだけの力を有している。


 それを抑え込み、さらに勝ちを取りにいけるだけの力が必要なのだ。


『ほぅ、まだ隠し玉があったか』


 愉しむような邪竜の声が降りてくる。

 それはあたかも俺の限界――――その向こう側を見せろと言っているようにも聞こえた。


「あぁ、だ」


 はたして、限界とはなんだろうか。

 俺が掴み取れなかったものを手に入れるための力だろうか。


 不意に、天下原での戦、そこに臨む雪頼の姿、冴え光る刃を抜いた実政サネマサの姿、そしてリズの姿が脳裏に浮かんでは消えていく。


 その直後、俺の精神に渦巻く波は消え、水面は静謐さを取り戻していた。


「――――九条雪叢、これより推して参る」


 これを鍛え直した鍛冶族ドワーフは、八洲の武士ならば使えると踏んで神代の遺物を蘇らせたのだ。

 そして、過去に幾多の怪異を打ち滅ぼしてきた八洲の剛の者もまた、この槍をもって勝利を掴み取っている。


 ならば、その血脈を受け継ぎし俺にできぬ道理はない。


 湧き上がっては消えていく幾多の感情へと応えるように、俺は持っているだけで身体を破壊しそうな《日乃本轟》を構える。

 いつの間にか、槍の重みは消えていた。


「我が技、とくとご覧そうらえ」


 同時に嵐風が大地を蹴って疾駆を開始。


『ならば参れ! この天滑る焔を越えて!』


 邪竜の周囲で一斉に輝き出す魔法組成印。

 それらが一斉に消失し、次いで俺たちを避けるかのように周囲数十メルテン先の大地へとそのまま転写されるがごとく描かれる。


 同時に、魔法組成印を中心として地面が陥没。

 それぞれの印を結ぶように漆黒の炎が噴き上がり、俺たちを囲むかのように天高くへと土砂を巻き上げていく。


「嵐風! 遠慮は要らん!最大防御だ! こいつを耐えられなければそこで終わりだぞ!」


 押し寄せる熱波。展開された嵐風の障壁が輻射熱を遮断するが、膨大な熱量によってすでに浸食されかけているのがわかる。

 信じられない規模だ。これだけでもハイスクルの街を取り囲む城壁をゆうに呑み込める。

 そればかりか、もし邪竜がその気になれば内部に焦熱地獄を顕現させることが可能であろう。


 だが、これはあくまでも準備段階だ。


 炎の壁が消失しても周囲が暗いことに気付き、視線を上げるとそこには絶望が存在していた。

 すでに上空には蒼穹を覆い隠さんばかりに漆黒の火山弾が無数に浮遊している。


「いざ見せられると、こいつは参ってしまうな……」


 俺のしょうもない冗談に嵐風が「黙ってろ」とばかりに鼻を鳴らす。


『では、本番だ』


 処刑執行を宣言するかのように竜の隻腕が振り下ろされ、炎を纏った巨石の群れが俺たちを狙って降り注ぐ。


 そこで俺は槍を真上へと高く掲げる。


「叫べ! 唸れ! 咆吼しろ! 天下遍くその名を知らしめろ!《日乃本轟ひのもとごう》! ――—―“風神旋槍”ッ!」


 惜しみなく“気”を注ぎ込みながら放つ雄叫び。

 同時に天高く掲げた柄を掌の中で手首の返しを使って滑らせる。


 それを皮切りに槍が変形。穂の根元部分に発生した噴射口から蒼い炎が迸り高速で回転を開始する。


 俺と嵐風から魔力によって竜巻が発生し、降り注ぐ黒い流星群を呑み込むと、そのまま文字通りあらぬ方向へと吹き飛ばしていく。


 方向性を失った魔力が竜巻に含まれていた破壊の粒子と触れることで暴走。空中に紅蓮の花を咲かせる。


 満開の桜を思わせるそれと、遅れて押し寄せる熱波。

 この極限の戦いの中にあって、刹那に生み出される光景はひどく美しいものに見えた。


「今度はこちらからいくぞ!」


 遠慮の欠片もなく吸い込まれていく魔力。

 とっくの昔に、膨大な許容量のある嵐風がいなければ不可能な領域に足を踏み入れている。


 だが、止まらない。

 いや、ここで止まれば二度と立ち向かえないだろう。


 嘶く嵐風が前方へと向けて強く跳躍。それは「今この時」と告げる合図だった。


 虚空を滑りながら、掲げた槍の穂先は遥か昔からそこを向いていたかのようにザッハークへと向けられている。


 刹那、俺と邪竜の視線が正面から交差した。


「――――“天翔銀星”」


 腕が降り抜かれた時には、投擲と呼ぶにはあまりにも大仰な光景が生まれていた。


 間違いなく空間ごと切り裂いて、大身槍が空へ――――いや、その手前に浮かぶザッハークへと向けて放たれる。

 槍そのものの力と、注ぎ込んだ魔力があればあらゆる攻撃から身を守ってきた魔力障壁と鱗すら貫通して邪竜を仕留めることができるはずだった。


 だが――――


『舐めるなァッ!!』


 二対の翼が大きく開かれ、周囲の魔力がそこへ吸収されていく。

 同時に展開されたのは複数の障壁だった。


 そう、天変地異を引き起こす魔法を十にも渡って同時展開できるのであれば、その身を守る障壁とて同じように作り出せないわけがないのだ。


 青白い光を散らし、そして破壊されていく魔法障壁。

 膨大な魔力によってこめられた力を吸収されながらも、《日乃本轟》は敵を倒さんと下された命により、構うことなく虚空を突き進んでいく。

 そればかりか、空間を切り裂く異能により、障壁正面部に断層が発生。そこから亀裂が走り、次々に突破されていく障壁。


 かつて幾多の猛者たちの攻撃がこの障壁ひとつを破ることさえ叶わず散っていった。

 それを、たったひと振りの槍が今打ち破ろうとしている。


 しかし――――最後の一枚が破壊された時には、すでに邪竜の身体は射線上からなくなっていた。


 もちろん、完全な無傷ではない。

 一瞬の遅れによりザッハークの右上羽が大きく切り裂かれ、もはや千切れかけていた。

 魔力で浮かんでいなければ、今ごろは均衡を崩していたに違いない。


『ここまでの防御魔法を我に使わせたことは実に見事! だが、どれほど強力な一撃であろうと、当たらねばなんということはない!』


 邪竜の喉から凄まじい咆吼が上がる。

 まるで最高の一撃を防ぎ切ったとの宣言するため、そして敵を称賛するかのようであった。


『 ――――これで終わりだ、ユキムラ・クジョウ!』


 ザッハークの口腔に灯る、これまでで最大規模の魔法組成印。

 あれだけの魔法を攻守ともに連発させても、邪竜は未だにこれだけの魔法を発動できるのだ。


『死して未練が残らぬよう、せめて周囲一帯ごと消し飛ばしてやろう。彼岸が存在するのであれば、そこで貴様の連れ合いとも再会できよう』


 向けられるザッハークの瞳には惜別の感情が揺らめいていた。

 それはともすれば、邪竜なりの慈悲であったのかもしれない。


 しかし、俺は今を以って尚、邪竜を見据えていた。


「……あいにくと、俺の行き先は地獄と昔から決まっていてね。その理は覆せない」


 俺だけでなく、嵐風も動かない。

 それを見咎めた邪竜の動きが止まる。


 死を受け入れたとするには、あまりにも不遜に見えるであろう俺たちの態度。

 それが虚勢ではないことを察したのか、黄金の瞳の中に不理解の色が混じる。


『なぜ、まだ諦めていない』


「愚問だ、ザッハーク。長く生きてきたわりに知らないのか? ――――“陽は昇り、そして沈む”」


 邪竜の首が弾かれたように真上へと向けられた。


 上空――――いつの間にか夕闇が迫りつつある空から降り注ぐ青白い光が地上に顕現。


 彼方にも等しい高空から、もはや目で追うことすら困難なほどの超高速で突入してきた大身槍 《日乃本轟》が邪竜ザッハークの身体を貫いていた。


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