第153話 Ignition
西から流れてきた雲の群れはいつしか東へと去り、頭上には透き通るような蒼穹が広がっていた。
戦いの前とは思えないほどの涼やかな風が辺りを吹き抜けていく。
ハイスクルの街からやや離れた場所で、俺と邪竜ザッハークは向かい合っていた。
ここであれば、先刻邪竜が見せつけてくれた
ちなみに、これは俺から言い出したことではない。
驚くべきことに邪竜が「守るべき者がいては戦えぬだろう。貴様とは後顧の憂いなく戦いたい」と口にしたためだ。
現在でも破壊の象徴として知られる
その中でも抜きん出て強力な個体であるザッハークが、自らの破壊に巻き込みかねない存在から距離をあけようとする行為――—―巨体と騎馬が無言で移動していく様は、残された者たちからすればさぞや奇妙な光景に見えたことだろう。
……本当に、この邪竜は素直ではない。
「
相棒へと呼びかけ、
呼応するように大きく
『ほぅ――――』
邪竜が感嘆の響きを漏らす中、俺の周囲で螺旋状に逆巻く濃密な魔力が実体化し、俺と嵐風を濃紺の八洲式武者鎧が覆う。
はじめに胴鎧と
兜が備わり、
そして最後に、離れていた黒衣がふたたび陣羽織の形となって定位置につく。
『……面妖な魔法を使う馬だ。眠っている間に、世界そのものが下らぬ存在になり果てたかと思っていたが、なかなかどうして例外とはあるものだ』
複数の刃物が軋っているような音。
ザッハークは愉快そうに喉を鳴らして笑う。
「世界を破壊して回った割には意外と世間知らずのようだな。うちの国は千年くらい前からずっと国の中で常識外の化け物相手やら人間同士で殺り合っているイカレ揃いだぞ」
『なるほど、それは面白そうな場所だ。……戦いを始める前に、ひとつ問いたい』
そこで邪竜から俺に向けられる視線が強まる。
「なんだ?」
肌の粟立つ感覚を覚えつつも俺は応じる。
『それはどこで手に入れた?』
俺へ注がれている視線の先にあったのは、オウレリア大公国で古代の帝から得た黒衣であった。
かなりの強敵ではあったが、不完全な復活を遂げた状態であったため、完全体であればあの戦いもどうなっていたかわからない。
「イルナシド・アルメナランと名乗る
『そうか……。ヤツは先に逝っていたか……。我をあのような檻に閉じ込めておきながら……』
金色の瞳を閉じる邪竜。
俺の脳内へと響く言葉には一抹の寂寥感が宿されていた。
――—―なるほど。エミリアから聞いた通りだったか……。
一方、邪竜の口から語られた事実に俺は小さく唸る。
邪竜を封印するだけの力を持っていたと聞いたことで確信を得たが、やはりあの不死者は完全な状態ではなかったのだ。
今となっては詮無きことだが、やはりヤツとは完全な状態で戦ってみたかった。
もしそうであれば、おそらくリズとて俺が駆け付ける前にはすでに亡き者となっていたであろうが、俺の個人的な感情とは関係なく《死に狂い》としての衝動だけは否応なしに湧き上がってくる。
……本当に、度し難い性質だ。
面頬に隠れた口唇が自嘲に歪む感覚を覚えながら、俺はこちらを見据える邪竜に視線を返す。
『しかし、収穫もあった。よもやとは思っていたが、その身に宿す魔の残滓――――やはり、貴様が世界に打ち込まれた
次第に大きくなる声の響きに喜悦の感情まで含有される。
圧力を放射しはじめた黒竜に対して俺は答えない。
自分でも驚きを覚えるほどに冷静な感情が胸中を支配していた。
戦いが始まる前から感情を昂らせるようではコイツには勝てない。
そういった意味では、あの
『……まぁ、答えずともいい。肩書きを並べるような真似を我は好まぬ。武威はただ戦いの中で自ずと知れるもの』
「同感だ」
にわかに圧力を増す空気。
その中で、俺は竜が放ったその言葉に応じるように《
優美な弧を描く刀身が輝きを放ち、湧き上がる闘気はそのままに迸る狂気を鎮めてくれる。
『では、あらためて――――』
――――来る!
瞬間的に勘が警告を発した。
しかも、ただの警告ではない。
『参るぞ!』
開戦を告げる叫びの波と共に、小さく開かれた邪竜の口腔から一条の黒い光が発射される。
圧縮された魔法だと脳が理解するよりも先に俺は嵐風の腹を蹴っていた。
しかし、相棒もまた竜の頭部に集まっていた魔力の流れを察知していたらしく俺の指示よりも速く真横へと高速で回避していた。
かすかに向けた視線の先では、直前まで俺たちが立っていた地面がその数メルテン先まで消滅。
直撃を受けた部分は溶解などといった生易しいものではなく完全に蒸発しているが、その余波で周囲の土煙が空中へと大きく舞い上がる。
直径二十ミリテンにも満たない光の照射が一瞬で地面を吹き飛ばした。
信じられないほどの高濃度にまで収束された一撃だ。
しかし、これは読んでいた。
先ほど
もっとも、その予感が確信に変わったのはつい今さっきだが。
さらに――――
背筋に冷たいものが走る中、左手で引き抜いた《
――――逸らせるのもこの程度か!
瞬間的に注ぎ込んだ“
だが、その時間を稼いだだけで十分だった。
着地と同時に四肢を
追撃――――三発目を許さないギリギリの瞬間を狙い、後方へ大きく飛んで一撃を回避。
高速で叩きつけられた質量によって地面が破裂するその真上で、前傾姿勢となったザッハークが鰐にも似た口を大きく歪めていた。
『……よくぞ今の一撃を躱してみせた』
こちらを見下ろして笑いの波動を飛ばす邪竜の姿は、王のようですらあった。
そう思えば、幾重にも並ぶ大小の角がさながら王冠のようにも見えてくる。
しかし、こいつは玉座でふんぞり返っているような存在ではない。
圧倒的な武威を振るう紛れもない破壊の王だ。
「自分でも軽く驚いている。……だが、竜があのような戦い方をするとは知らなかった」
これは本心からの言葉であった。
ただ真正面から圧倒的な力をぶつけてくるものだと、危うく読み誤るところだった。
そもそも、竜は他を圧倒する巨体を有し、それが動き回るだけでも多くの生物には脅威となる。
それに加えて魔法攻撃すら可能とするのだから始末に負えない。
逆に言えば、並みの竜であればそこが弱点ともなり得る。
いかに強力な魔法攻撃を有していようともそれを潜り抜ければ、巨体では反応しきれない。
八洲の侍であれば《操気術》によって彼らが携える刃は凶器と化し、高硬度の鱗すら切り裂きその下の肉と骨までも蹂躙する。
これが異能を有する銘刀であれば魔法障壁ごと叩き斬ることすら可能だ。
だが、この邪竜はそれを初手から覆してきた。
『人間の武器は知恵なのであろう? ならば、この程度の策に反応できんようでは我が敵とはなり足り得ぬ』
当然のように言い放つザッハーク。
しかし、たしかにこの竜が言う通りであった。
「言ってくれる。それでも、いきなりあのように紙一重を強いられるとは思ってはいなかったが」
背筋の凍りつきそうな瞬間を思い出すだけで、身体は反対に熱くなってくる。
『だが、ただの勘であの二発を避けられたわけではあるまい?』
鰐に似た顔に笑みを浮かべたままザッハークは問う。
まるですでに俺の答えを知っているかのように。
それを可笑しく感じながら、俺も応じるように口を開く。
「あぁ、ギリギリだったが確信を得ていた」
『ほぅ?』
虚勢ではない俺の言葉に、黄金色の双眸が興味深げに細められる。
おそらく、言葉を発している俺も似たような表情をしているに違いない。
「伝説で大層なことを言われているが、お前は暴虐でイカレた破壊者に見えて、実のところはそうじゃない」
邪竜だのなんだのと言われてはいるが、こいつはそんな生易しい表現で済む生物ではない。
自身を絶対の強者として慢心することなく、その時に必要と思われる力を的確に読んで攻撃を仕掛けてくる戦いの申し子だった。
あの熱線の一撃もそうだ。
繊細な魔力の流れに気付かなければ、身体を真下から左右真っ二つにされていただろう。
また、それだけではなく、追撃として周囲に広がった白煙を隠れ蓑として物理攻撃を仕掛けにきている。
最初に
――――開始早々、二段構えの戦術でこちらを殺しにきていやがる。
巨体や戦歴に驕らず、むしろ強みとして繰り出してくるザッハークの戦い方に、俺は戦慄を覚えずにはいられない。
しかし、それらは俺が本当にこの竜に向けたい言葉ではなかった。
『では、貴様は我をどう見る?』
問いかけと同時に放たれる、人の身で竜を評するかと言わんばかりの圧力。
その強烈な放射を受けながらも、俺はなにかに衝き動かされるように続く言葉を発する。
「ああ。お前は、相手がどれほど自分を楽しませてくれるか――――それだけを考えて敵を求め続けて来た《死に狂い》だよ。そんなヤツが素直な攻撃など仕掛けてくるはずがない」
『……ふ……ふはははは! そうか! そうだな!』
大きく身体を震わせて笑うザッハーク。
抑えきれぬとばかりに放たれたその波動が周囲に大きく響き渡る。
『然り! まこと然り! あぁ……なんと素晴らしきことか! まさか幾星霜を経たこのような場所で探し求めた答えに出会うとは……!』
そこには紛れもない歓喜があった。
まるで自身の理解者に出会えたと言わんばかりに。
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