第152話 ひと振りの刃
全身へと押し寄せる衝撃波の中、俺は言葉を失っていた。
強い輝きを放つ恒陽のごとき白球が瞬時に形成され、逃走を試みていた魔物の群れを飲み込んだ。
有効範囲外に被害が及ばぬよう、綿密なまでの魔力調整がなされていたと思われるが、それでも生物の質量を完全に消し去るだけの力が発生すれば影響なしではいられない。
湿気を宿した地面の土は漏れ出た輻射熱で水分が蒸発し、砂埃が吹き寄せる空気の波に乗って俺たちの下へと飛来。
火球の眩しさもあって、俺は腕を掲げて光と砂埃から目を守る。
「これは……」
正常な状態へと戻った視界。そこへ映っていた光景に、俺は思わず声が上ずりそうになる。
「予想はしていたが、さすがに洒落にならん威力だな……」
吹き寄せる乾いた風が頬を撫でていく中、渇いた口を衝いて出たのは何の意味もない言葉。
予想だにしない光景により、とめどなく湧き起こる感情の波濤に翻弄されただけのものだ。
たった一撃で、魔物たちは跡形もなく消滅していた。
地面には魔法が直撃したことを知らしめるすり鉢状の穴が開いているだけで、それ以外のものは欠片も存在していない。
限定空間に封じ込められながらも荒れ狂った高熱の余韻が未だ残り、そこかしこから白煙を発していた。
「うそ、でしょう――――」
左隣のリズが、呻くというよりも絞り出すような声を漏らす。
普段の騎士めいた言葉すら出てこない、まさしく素の感情であった。
しかし、残念ながらこれは紛れもない現実だ。
一方、俺を通して反対側に立つエミリアは、同化した《
ともすれば不遜にさえ見えるこの《
そんな彼女たちが抱く感情を俺は笑うことはできない。
ひとつの生物が有するにはあまりにも強すぎる力だ。
それと同時に、“邪竜”と呼ばれるだけの圧倒的な暴力がそこには存在していた。
このような“異物”を恐れることこそ、ごく普通の人間が持つ感覚といえるだろう。
しかし、俺はそうではなかった。
いや、そうはなれなかった。
これだけの荒れ狂う暴力を目の当たりにしながらも、恐怖により身体が動かないといった事態にはまるで陥ってなどいなかった。
「――—―そうだ。これでこそだ」
意図せずして、その言葉は俺の口を衝くように漏れ出ていた。
耐えきれなかった。
どこまでも苛烈で純粋な破壊の象徴が、俺の目の前に存在している。
なれば、これに挑まずしてなにが死に狂い、なにが武士であろうか。
ただ、この時を迎えるために、我らは幾多の
ようやく、身体が己の身に宿った感情の正体を理解する。
この肉体を震わせているものが“歓喜”であることに。
口唇の端が歪むのを感じながら、俺は《
『ほぅ――――』
漆黒の竜――――ザッハークの目が細められ、こちらを向く。
伝わってくる圧力が肌に刺さるように感じられる。
「
短く声をかけると相棒たる
俺たちを遠巻きに見守っている信重たちに声はかけない。
こちらから向けた視線に、騎馬武者たちは小さく頷いていた。
信重たちは理解しているのだ。一騎打ちを望んでしまう侍の意志と宿業に。
「待ってくれ!」
背後でリズが叫んだ。
俺よりも先に嵐風が歩みを止めた。
向けられる瞳と短い鼻息。それらが「きちんと話を済ませろ」と俺に語りかけていた。
「どうした、リズ」
「ここでジュウベエ――――いや、ユキムラ殿が単身で向かう必要があるのか!?」
明確に「やめろ」と言っているわけではない。
だが、リズが俺の本当の名前を呼んだということは、それだけ強い感情があるということなのだろう。
「あれに単体で対抗できるのは、この場には俺くらいしかいない。次点でエミリア、信重、それとギリギリ征十郎くらいだ」
ハンナとイレーヌは厳しいだろう。
そして、言葉には出さないが、そこにはリズも含まれている。
「だが、なにもひとりで戦わずとも!」
道理である。
ひとりで戦う限り、敵の攻撃がすべて俺に向かうことになる。
「たしかに、信重たちを巻き込めば勝率は上がるだろう。だが、それでは相手に広範囲魔法を使う切っ掛けを与える。あれを見ただろう? そのような囮を利用するような戦い方などするわけにはいかないんだ」
騎馬武者たちの隙を作り出すことはできよう。
しかし、あの巨竜の攻撃を受ければ高確率で死ぬ。
よしんばそれによって懐に潜り込めたとして、そこに待ち受けるのは肉体の面でも究極と呼べるであろう生物だ。
先ほど見せた魔法攻撃が邪竜の力のすべてだと俺は誤解しない。
「ならば、古の英雄のように
リズは俺の強さを疑っているわけではない。
現に彼女は勝利を前提に語っている。その事実がなんとも面映ゆく、笑ってしまいそうになる。
それと同時に、俺は気付く。
リズが俺の語っていない諸々を察しているのだと。
思えば、所々で俺はリズから見ても規格外といえる力を見せてきた。
オウレリアで、このノウレジアで。
そして、勇者一行との邂逅。
それらの情報を繋ぎ合わせれば、ある程度“答え”は見えてくるだろう。
だが、それについてここで言及する必要はない。
それに――――
「いろいろ考えてはみたが、深い理由なんてなさそうだった。ただ、俺の中の侍がどうしてもヤツと戦いたいと言って聞かなくてな」
我ながらひどい言いようだと思う。
すくなくとも自分に対して好意を向けてくれている相手に放つ言葉ではない。
しかし同時に、紛れもない心底からの言葉だった。
「見ている者も多い。ユキムラ殿の存在が知れ渡ってしまうのだぞ……? その時には――――」
それでもリズは納得していない。
俺には彼女の言いたいことがわかっていた。
俺が何者であるか、それは誰も知らない。
もしここで邪竜を討ち滅ぼしたとしてもおそらく感謝をされることもない。
むしろ、人間が有するには異常ともいえるこの力が知られれば知られるほど、勇者でもない俺はただ恐れ厭われるだろう。
あるいは各国が俺を取り込もうと画策してくるかもしれない。
だが、奴を野放しにしてはおけない。
ここで俺が退けば、ザッハークは強者を表舞台に引きずり出すために破壊の限りを尽くすだろう。
それによって周りの人々を巻き込むのであれば――――。
難しいことなど要らない。ただ戦うだけだ。
俺はただの《死に狂い》でいい、俺自身が信じる“ひと振りの刃”でいい。
「わかっている。だが、これほどの敵を前に退くのは侍ではない。――――行ってくる」
「……わかった。でも、かならず戻って来てくれ」
リズからの言葉は俺に向けたものではなく、むしろ自分へ言い聞かせるようだった。
それには応えず、俺は嵐風に跨り首筋を軽く叩いて前へと進ませる。
「待たせたな」
邪竜との距離は十数メルテンほど。
わずかに近付いただけで押し寄せる圧力は数場にも感じられる。
『構わん。数えてはいなかったが、最低でも数百年は待った。今さらだ』
一方、滞空するザッハークに苛立ちは感じられず、変わらぬままこちらを悠然と見下ろしていた。
そんな中で空気が小刻みに振動。一瞬だけ遅れて笑いの響きが脳裏に届く。
もしかするとこの生物、邪竜などと呼ばれているが案外いいヤツなのかもしれない。
あるいは、戦うことでしか自身の存在価値を認められないのか。
『逃げなかっただけでも十分だ。しかし、あれを見ても尚、我が前に立とうとする気概があるとはな』
邪竜が音もなく地上に降り立った。
数十トルンの質量を感じさせない柔らかさを持った動き。
けして魔力で大地の力を相殺しているだけではなし得ないものだった。
「是非もなし。古の邪竜が目の前にいるのに挑まない手はない」
正面から放たれた俺の言葉を受け、黒竜の目が細められる。
これはおそらく笑みの形だ。
自らに向かってくる相手がいることを知れて喜んでいるってわけか。
妙に冷静な分析が俺の脳裏に浮かび上がる。
『ヒトの子でありながら我に挑もうとする。だが、蛮勇の類ではないな。たしかに貴様は強そうだ』
邪竜の身体にわずかながら力がこめられる。
力同士の激突を前に待ちきれないように。
しかし、それは俺も同じだった。
《三ヶ月宗親》を肩に担ぎ臨戦態勢を整えていく。
『では、参ろうか。しばしの享楽へ浸りに』
「ああ、ひとさし舞おう」
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