第150話 獣を超えて


「……とてつもない剛剣だな」


 着地と同時に口を衝いて出る言葉。

 視線の先には、振り下ろした大剣を身体の正面へと移動させて盾にしている姿があった。

 

「獣ノヨウニ攻メルト思イキヤ、獲物ニ隙ガ生マレル刹那ヲ伺ウ狩猟者ノヨウデモアル。ダガ、ソレヨリモソノ強サト動キ。……オヌシ、本当ニ人間カ?」


 そう言いながら刀身の奥側から向けてくる騎士の視線は、俺の左袖口に注がれていた。

 左手で握る短刀の仕込みに気付いていたのだ。


 この魔物は大剣という膂力を前面に押し出しているように見えつつも、戦いの駆け引きを心得ており、その最中さなかでも冷静さを失わなかった。

 オウレリア公国で“剛剣”の二つ名を有していたランベルトであっても、おそらくこうはいくまい。


「案外、人間の皮を被ったケダモノかもしれないな。だが、俺くらいのヤツは故郷には何人もいるぞ」


「……恐ロシキ場所ダ。我デモ、ソノヨウナ場所ニ近付コウトハ思エヌ」


 嘯く奈落騎士アビスデュラハン


 単純な強さのみならず、ともすれば挑発に聞こえる言葉を受け流すだけの冷静さを有している。

 であるならば、この魔物が生物災害スタンピードの群れを率いることとて可能であったはずだ。

 そう考えると、戦いにおいて勝敗を分ける要素を持つ奈落騎士が、一群を指揮していなかったこと――――ひいては魔物同士に連帯感がなかったことを、今はありがたく思うばかりだった。


 ――――あまり贅沢を言うつもりはないが、数多くの敵を相手取るよりもひとりの強者と向き合う方が性には合っているからな。


「ナラバ、次ハモウスコシ速度ヲ上ゲテユクゾ」


 俺の内心の想いが届いたかのように、宣言と同時に漆黒の鎧が急接近。


 予想を超える速度を受け、反射的に驚愕を覚えた身体が硬直しかける――――が、それを強引に抑え込んで横へ跳ねて進路上から退避。

 高速で駆け抜けた黒の影が刃を唸らせて真横を通り過ぎる中、俺は剣を引きながら半身を作り、地面を蹴って刃を叩きつける。


 しかし、奈落騎士はその場で器用に重心を移動させながら反転。

 脇のわずかな隙間を狙おうとした俺の一撃を受け止めてのけた。


 そのまま数合打ち合い、両者の間に激しいまでの刃鳴が散る。


 打ち合いの中で確信した。


 斬撃の速度は最低限乗っている。

 だが、そもそもの重量で負けていた。


 そんな状態で鍔迫り合いに持ち込むのはまずい。

 膂力で有利な相手の思う壺――――おそらく剛腕がこちらへ叩きつけられるだけだ。


 かといって、引き技に持ち込むことも相手の重心が安定しているため不可能。

 決着をつけるのはここではないと判断し、腕のたわみで弾くように離れにかかる。

 そのまま体勢を立て直すべく間合いを空けようとするが、それを許してくれる敵ではなかった。


 横薙ぎに押し寄せる追撃の一撃を防御。

 しかし、受け止めきることはできないし、元よりそのつもりもない。


 すぐさま手首の返しで刃の角度を変えて流れを逸らし、自分自身は後方へ転がるように離脱。


 勢いを利用して起き上がったところに、またしても迫る騎士の姿。

 反射的に動き出しそうになる身体を抑え、俺は逃げることなく地面を蹴る。


「――――!」


 真正面から向かってくる相手の姿に騎士の赤い眼がわずかに揺らめくのが見えた。


 ――――仕掛け時か。


 敵が描く剣の軌道を予測しつつ、《三ヶ月宗親みかづきむねちか》を振って抜ける。


 即座に地面を踏んだ足を軸にして身体全体で振り返ると、奈落騎士もまたこちらを向いていた。


 腕に違和感。すぐに理解した。

 切り裂かれた右の二の腕から出血しているのだと。


 同時に、乾いた金属の音。

 奈落騎士の肩を覆っていた鎧が割れて地面に落下していた。

 鎧があった場所――――傷口と思われる部分からは、肉体を構成する血液に等しい黒色の魔那マナが零れていく。


「アノ間合イデ受ケテ、ヨクゾソノ程度デ済ンダモノダ」


「こっちも利き腕を潰したつもりだったんだがな」


 互いに虚勢を放つ。

 間違いなく回避した上で相手に一撃を与えたと思っていたはずだ。


 ――――なにを熱くなっているんだ、俺は。


 流れ出す血液の鼓動で意識が研ぎ澄まされていく。


 己の裡に慢心の思いがあったのだろうか。

 いかに高位の存在であろうと、魔物に剣で後れを取ることはないと。


 あるいは、自身が強いと思い込もうとしていただけか。

 それこそ、剣を握る相手と戦う中で、無意識のうちに実政を相手に受けた敗北を思い起こしていたのかもしれない。


 それを意識すると同時に、今まで身体の内側で燃えていたもの――――先の戦いで昂っていた気が急激に鎮まっていくのを感じた。


 ただ自身のあるがままに剣を振るう――――。


 霞に構えて全身から力を抜き、ただ平常無心にて迎え撃つ。


「――――ム」


 それまでとはまるで異なる相手の“静の気配”を感じたためか、奈落騎士アビスデュラハンは構えを取り直す。


 目の前の敵を見据えたまま、俺は腰をすこしだけ落として剣先を右へわずかに開く。


 そこで誘い――――“攻めの気”を放つ。


 瞬間、弾かれたように騎士が加速を開始。

 それを受けて、俺も前方へと進み出て行く。


 加速しきる前の騎士が放つ横手からの逆袈裟。

 それに合わせて、俺は相手の剣が描く弧の内側へ潜り込むように加速をかける。


 黒き颶風ぐふうと化す寸前の奈落騎士の勢いが意図せずして止まるが、それでも攻撃自体を封じたことにはならなかった。

 自身の手を潰されたと理解した漆黒の騎士の目が妖しく輝く。

 そして、大剣を握る腕を内側へと引き込むように、腰を軸にしてその場で強引に捻り込んだ。

 威力を犠牲にしつつも、より速く相手へと届く斬撃に一瞬で切り替えたのだ。


 だが、この時点で俺の狙いは半ば達成されていた。

 相手の武器は速度と重量の組み合わせ。その成立を阻害することで動きを乱し、どうしても隙が生じるためだ。


 俺は最初から相手の懐へ飛び込むつもりなどなかった。あくまでも振るう大剣の間合いを狭めることだけを狙っていたのだ。

 咄嗟に地面を踏みしめ制動をかけ、旋回する大剣の切っ先を回避。


 そして、通り過ぎた直後のガラ空きとなった身体を狙って《三ヶ月宗親》を掲げる。


 だが、ヤツはこれにさえ対応して見せた。


「見事! ダガ、終ワリダ!」


 俺の二重に張り巡らせた偽装を読んだ奈落騎士の大剣が両腕を交差させて翻る。

 構え直す暇を厭うように――――同時に相手へも反撃をさせぬと、正中線を軸に反転した大剣の柄頭が最短距離で突き出され顔面へと肉薄。


 直撃すれば鼻面から顔全体が陥没。即死はせずとも、続く二撃目はまず避けられない。


 だが、その苛烈ともいえる奇襲を前に、俺は回避を選ぶことなく軌道を予測するためその場に留まる。

 そして、全力で振り下ろした《三ヶ月宗親》の柄頭で迎撃し、相手の攻撃にこめられた力を利用して後方へ飛んで見せた。


 必要以上に逆らってはならない。失敗すれば両手の中から刀が飛んでいって、それでおしまいだ。

 まさしく、極限まで高めた集中がなし得る技だった。


 着地と同時に、俺は再度身体全体を使って地面を蹴る。


「獣ノゴトキ執念ダナ!」


 俺が逃げないことを、騎士は予測していた。


 対処の柔軟性を失うこともためらわず、身体を引いてから軸足に全体重をかけて大剣を振り抜く。

 待ち構えていたかのような横薙ぎの一撃が俺へと迫る。


「曲芸は得意じゃないんだがな!」


 叫びながら《三ヶ月宗親》を上空へ向けて放る。


 そして、水平に放たれる死の旋風を、身体ごと前方へ倒し上半身を屈めて地面を這うようにギリギリのところで回避。

 血の気が引くのと背中に浮き上がる大量の汗を感じつつ、続いて大地に向けて両手を貼り手のように叩き込む。

 逆さになった身体を上空へと捻りながら射出して、俺は奈落騎士アビスデュラハンの頭上を飛び越えて後方へと最短距離にて回り込む。


 そんな俺の気配だけを追うように、漆黒の騎士は両腕を落としながら身体を高速で反転。

 逃げ場のない場所へと向けて黒の大剣が打ち上がる。


 だが、その時にはすでに宙を舞っていた《三ヶ月宗親》を掴み取って地面に着地。刀身へ“オーラ”を注ぎ終わった後だった。


「――――“朧月”」


 雲間に隠れし月のように、相手の認識を狂わせて斬撃を繰り出す、いわば搦め手に近い技だ。


 しかし、間合いの内側にまで侵入して低い位置から跳ね上がった高速の白刃は、奈落騎士の鎧を逆袈裟に深々と切り裂いていた。


 大剣を振り抜いて硬直したまま、胸の傷口からは人の血液のように大量の黒の闇が流れ出ていく。


「ケ、獣ニ、コノヨウナ動キハ不可能、カ……。恐ロシキ、強サヨ……」


 たらればの話は好きではない。


 だが、これだけの技量を持ちながら、ほぼ大剣だけを使っていたのだ。

 魔物を相手に戦ってきた中では不要だったのだろうが、今回においてはまさしく得物の長さが最終的な勝敗を分けていた。


 せめてもう一本、普通の両手剣があっただけでも、取れる選択肢の幅は広くなったはずだ。

 そして、そうなった場合に俺が相手の剣に対応しきれたかどうか。

 今となっては確かめようもないことだった。


「ダガ、ア、アルイハ……オヌシナラバ、彼ノ邪――――」


 言葉を言い終えることなく力尽きた奈落騎士アビスデュラハン

 その身体を構成していた魔力の闇が散らばると、後には大剣と鎧だけが残されていた。


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