第148話 進みし者と残されし者


「い、いったい、なんなんだよ……。あの連中は……」


 城壁の上に立つ衛兵のひとりから呻くような声が漏れ出る。

 彼は生物災害スタンピードで押し寄せる魔物の群れ、さらにそれらと激闘を繰り広げているユキムラたちの戦いを驚愕の面持ちで眺めていた。


 はるか彼方で繰り広げられているのはあまりにも現実離れした光景。

 すこしでも気を抜けば、握り締めている槍を取り落としてしまいそうだった。


「あぁ、とんでもねぇ……。ありゃ国の騎士団なんか目じゃねぇ強さだぞ……」


 そんな半ば呆然としたままの彼を咎める存在はここにはいない。

 隣に立つ同僚もほとんど同じ様子で遠くを眺めていたし、少し離れた場所に立つ小隊長も似たり寄ったりの状態である。


 しかし、そのようになってしまうのも無理はない話だった。

 ハイスクル守備隊としての彼らの仕事はこの街の治安維持がほとんどであり、外に自ら出て行って魔物を討伐するようなものではない。


 くわえて、ノウレジア周辺で高位の魔物が出現することは滅多になく、討伐というよりも“間引き”と呼べるようなものばかりで、それらの仕事も冒険者に任せておけば済む話だった。

 それゆえに、非常事態が起こることを想定しつつ日々訓練を行っている王国軍ならばまだしも、街の衛兵程度では魔物と刃を交えることなど起こりえないという認識が常態化していた。


 だから――――というにはやや情けなく聞こえるかもしれないが――――先ほど魔物たちから遠距離魔法攻撃を受けた際にも、衛兵たちは我先にと城壁から退避している。

 それが今ここに戻ってきているのも、ユキムラたちが最初の攻撃を防ぎきり、また自ら迎撃に打って出たこと――――つまり安全が確認されてからのことだった。


「それよりも、あの人らがいなかったら、俺たちあんなのと戦わなくちゃいけなかったってのかよ……」


 まかり間違えば、あの戦いの中に自分たちがいたかもしれない。

 そう考えると、今さらながらに衛兵たちの心中へと底知れぬ恐怖感が湧き上がってくるのだった。


「いや、それもそうだが、あいつら本当に同じ人間なのか……? 俺はむしろあいつらのほうがよっぽど……」


 魔物に対する恐怖の感情と合わせるように、あのような化け物たちの群れを相手に一歩も退かないどころか、押し返そうとさえしている者たちへの畏怖の感情もまた生まれていた。


「そんなことを言っている場合か!」


 突如として放たれた大声に、衛兵たちの意識は現実へと引き戻される。

 振り返れば、背後には赤毛をした長身の女とプラチナ髪の少女が立っていた。


「《聖女》殿……」


 目の前の事態に気を取られていてすっかり忘れていたが、魔王を討伐すべく旅をしている当代 《聖剣の勇者》デュラン・ヴィレ・マクシミリアンの従者がこの街に滞在していたのだった。


 深い事情は聞かされてはいないが、なんでも勇者とは別行動をしていたらしい。

 そして、生物災害が発生したとの報せを受け、この防衛戦に参加することになったと聞いている。


 声を投げかけて来た赤毛の戦士――――ジリアンと名乗った女の実力は、まだ発揮されていないためにわからない。

 しかし、《聖女》ルクレツィアの魔法の技量は、先ほどの装甲大炎蜥蜴アーマード・サラマンダーによる城壁への火炎弾砲撃を魔法障壁で受け止めたことからもケタ違いのものだと知れ渡っていた。


「彼らが魔物どもを引き付けてくれている間に、この街から民を避難させるのが衛兵の役目だろう? ここはわたしたちに任せて早く準備を整えるんだ!」


 ジリアンの言葉を受け、衛兵たちは自身の使命を思い出して慌てたように動き始める。


 いかに勇者一行からとはいえ、余所者に命令同然に言われれば反発が出るかに思われた。

 しかし、この現実離れした戦いを前にしてはそんな余裕もないらしく、ある種の縄張り意識も衛兵たちから湧き出てはこなかった。


「まったく……。魔王軍と戦っていない後方の士気や練度なんてこんなもんか……。イヤになってくるよ……」


 衛兵たちがいなくなったのを確認してから、大きな溜め息を吐き出すジリアン。

 それを見たルクレツィアは力ない笑いを浮かべるしかない。


「“それぞれの果たすべき役割を思い出せ”――――ですか」


「……べつに、あたしはそんなつもりで言ったんじゃないよ」


 不満そうに口を尖らせるジリアン。

 そんな彼女を見ながら、ルクレツィアは先ほどリーゼロッテから言われた言葉を思い出していた。


 ユキムラたちが迎撃に成功し、魔物の群れからの魔法攻撃がこなくなったところで、リーゼロッテたちは彼らを追って街から打って出ることを決断。


 その際、彼女たちについて行こうとしたルクレツィアとジリアンだったが、この場に残るようエミリアから言われることとなる。

 そんな命令は受け入れられないと反発するジリアンを前に、代わりに口を開いたリーゼロッテの言葉が「それぞれの果たすべき役割を思い出せ」だったのだ。


「この場に残ったわたしたちの役割とは、なんなんでしょうね……」


 それから幾ばくかのやり取りはあったが、結局ルクレツィアは言われたまま後方に残ることを選択した。

 やけを起こした魔物からの攻撃がないとも限らなかったのもある。


 しかし実際には、今のルクレツィアとジリアンが彼女たちについて行っても、足手まといにしかならないと理解していたからだ。

 なおも食い下がろうとしていたジリアンだったが、最後は「ルーが言うなら……」と諦めてはくれた。

 とはいえ、結局のところは彼女自身も彼我の実力差を頭では理解していたのだろう。

 ただ、それを自分自身が認めたとしないための建前が必要だったのだ。


「わからない……。わからなくなってしまったよ。ルー、わたしたちがやっていることはなんなんだろうね?」


 彼方で繰り広げられる戦いを揺れる瞳で見据えたまま、ジリアンは傍らのルクレツィアに語りかける。


「わたくしには……」


 ルクレツィアは答えられなかった。


 考えがいくつも浮かんでは消えていくが、それは言葉にはならないものばかり。

 そうして最後に彼女が選んだのは、ジリアン同様に今はユキムラたちの戦いを見守ることであった。








 そんな諸々の感情が後方で渦巻いているとは知らない八洲の侍たち。

 彼らの赫奕かくやくたる勢いは、魔物の群れに大きな衝撃を与え、その進撃に拍車をかけていた。


 だが、魔物たちもただ蹂躙されることを受け入れたわけではない。


 後方から乱れぬ足取りで進み出てくるのは、金属の杖を携え、ボロ切れのような僧服を纏う二足歩行の異形。

 森の中からやって来ているはずなのに海棲生物のような見た目――――頭部には茶褐色のタコのような貌がはまり、口元には粘性を帯びた無数の触手が蠢いている。

 側面に配置された目は、同心円状の黒目が感情を伺わせないながらも前方を見据えており、それが不気味な雰囲気を強調していた。


「なんだ、あの薄気味悪いタコ妖怪は」


 タコ妖怪と形容された存在は、シー・ビショップと呼ばれる西方の海の中からやって来ると伝わる魔物の一種なのだが、もちろんそんな名を八洲の侍たちが知るはずもない。


「注意しろ! 魔法攻撃がくるぞっ!!」


 異形の僧侶が掲げる杖へと集まっていく魔那マナ

 それを目撃したリーゼロッテが、敵との距離を詰めながら叫ぶ。


 彼女もまたイレーヌが用意してきた魔力強化の施された馬に乗り、騎馬武者たちの集団に追いついていたのだった。


「なぁに、あんなものは当たらなければいいんだ」


「少し違うぞ。当たる前に斬ればいい。……こんな風にな」


 不敵に笑った騎馬武者に対し、別の若い侍が前傾姿勢をとりながら答える。

 それと同時に、対抗すべく魔力を練り上げていたリーゼロッテの目の前で、馬上にあった若侍の姿が一瞬のうちに掻き消えた。


「なっ!?」


 リーゼロッテの口から驚愕の声が漏れる。


 その時にはすでに決着はついていた。

 《ビヨンド・ザ・シー》という三日月状に形作られた極薄の水刃を放射状にバラ撒く凶悪な魔法が発動する直前、シー・ビショップの人間でいう左耳の辺りから右肩口が斜めにズレ落ち、ほぼ同時に口元にあった多数の触手を伴って地面に落下。

 切断面から青色の体液を撒き散らしながら地面に倒れ、空中に浮いていた水の刃の群れも自身を操る存在を欠いて霧散していく。


 その背後には、つい今しがた姿を消した騎馬武者が刀を振り抜いた姿で静止していた。

 駆け抜ける彼の鎧馬がいばが、倒れたシー・ビショップの肉体を踏み潰して主に接近。


「ちょっと、あれじゃあ――――」


 そんなリーゼロッテの心配をよそに、騎馬武者は素早く斜めに移動。

 疾駆したままの愛馬とすれ違う際、手綱を掴みながら跳躍した。

 そして、ふわりと舞い降りるかのようにその背に跨るとそのまま騎馬集団に合流する。


「ね? 簡単でしょ?」


 いともたやすく実行して見せたが、あんな曲芸じみた動きなど普通の人間にできるわけがない。


「いや、それができるのは八洲人だけでは……」


 リーゼロッテの口からは、もはや呆れたような言葉しか出てこなかった。


 だが、すぐにリーゼロッテは気を引き締める。


 今は戦闘の最中。

 これだけの猛者に囲まれていようと、すこしの油断であっけなく命を落とす。

 それが戦場だ。

 

 その最中、リーゼロッテの勘が新たな気配を察知する。

 低空に躍り出て来たのは新たな敵陰。

 背中から昆虫のような羽を生やし、魔法の力で浮き上がっている女型の妖精――――カディナクたちが、固有の異能である“呪いの叫び”を上げて騎馬隊を混乱させようと前進してくる。


「ケッ。この距離なら槍も刀も届かないってか?」


 短く吐き捨てた武者が鎧馬の腹を軽く蹴る。


 後退ではなく前方へと飛ぶように踊り出た数騎の武者は、着地するや否や一斉に銃砲を構えた。

 先ほどユキムラが稼ぎ出したわずかな時間で再装填を終え、今の今まで温存していたのだ。


「切り札の使い道ってのは、こういう時だろう?」


 呪いをまき散らす泣き女たちの下卑た笑みを浮かべた顔が、想定外の事態によってより醜い恐怖の形へと歪んでいく。

 もしも彼女たちが人語を解せば咄嗟に「撃つな」と叫んでいたかもしれない。


 だが――――


「撃っちゃうんだなぁ、これが!!」


 轟音と共に至近距離から破邪石が混ぜ込まれた礫を喰らい、射線上にいた魔物たちが物理的に消滅していく。

 これだけの至近距離且つ敵が密集している状態では外すことの方が難しい。


 さらに悪いことに、先ほどの弾丸とは異なる破邪石を多く含む“近距離型退魔弾”の効果によって魔物の身体に異変が発生。

 礫が肉体に触れると同時に、皮膚をはじめとした体組織が軟化を起こし貫通していく。


「避けるなよ? 弾が外れちまうだろう」


 凶弾を放った主へと従うように、暴れ足りない礫は虚空へと躍り出るとさらなる獲物を求める。

 魔を滅する意思を持つかのごとく、射線上にいた後方の魔物を勢いを失わぬまま強襲。


 魔法を使ったわけでもないただの礫が、魔物たちの肉体を蹂躙していく悪夢のような光景が生まれていた。


「ふふ、やるではないか。じゃが、いかんせん下郎どもの数が多いな」


 舞い降りる嫣然えんぜんとした声。


 自身にかかる重力を制御する魔法を発動させ、二対の翼を広げたエミリアが風を切って舞い、疾駆する騎馬武者の群れへと並ぶ。

 さすがの八洲武者たちも、単身で空を舞う存在に驚愕を隠せないでいた。


「愛するユキムラ殿の配下とあらば我が同胞も同じ。ここは助太刀いたそうではないか」


「おお、美しき姫君が共に戦ってくれるならばこれほど心強いこともない! 我らも負けておれませんなぁ!」


 そこで大太刀を振り回して大物を狩っていた信重が剛毅な笑みを見せる。

 お世辞にも品のあるものではなかったが、そんな男臭い所作がエミリアには不思議と愉快なものに感じられた。


「面白い者たちじゃ。……まずはご覧あれ」


 短く答えたエミリアは、銃砲隊の斉射によってできた隙間を埋めるかのように騎馬隊を抜いて空を滑りながら前へと進み出て行く。

 

 魔力が《蝕身狂四郎むしばみきょうしろう》へと流れ込み、姫君の繊手が握る刃に刻まれた降魔佛ごうまぶつが以前にも増して強い輝きを放つ。


「そうか、これが新しき力か。――――猛き炎よ、舞い狂え!《明王刻焔薙みょうおうこくえんてい》!」


 刀身に宿る紅蓮の炎が、剣の一閃により地を這いながら飛翔。

 魔物たちの足をき斬りながら高速で進み、後方の大地へと抜けていく。


 そして、仕掛けは直後に発動した。

 大地に残された魔物たちの足元から、青白い炎が凄まじいまでの勢いをもって空高く噴き上がる。


 《明王刻焔薙みょうおうこくえんてい》――――斬撃から相手の体内へと侵入し、肉体に宿る魔力をはじめとした生命エネルギーを喰らって炎を生み出す、いわば《蝕身狂四郎》と《真祖》の能力が融合することではじめて可能となる究極の外法アーツである。

 さらに、噴き上がった炎は足から上へと襲い掛かり、それがまたより大きな炎を生み出して魔物たちを飲み込むと、そのまま跡形も残さずに焼き尽くしていく。


「あまり綺麗な炎とは呼べなんだが……。まぁ、あちらの決着もつきそうではあることじゃし、これもよい手向けとなろうぞ」


 血払いをするようにエミリアは降り抜いた狂四郎を振るう。


 刀身から生まれた幾つかの火の粉は、しばしの間主人の周りを舞うと、そのまま静かに虚空へと消えていった。

 



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