第143話一難去りて……


 地響きの音を立てて、最後の大トカゲこと装甲大炎蜥蜴アーマード・サラマンダーが、頭部を真っ二つに割られて地面へと沈む。

 垂直に刃を落とした姿勢から直り、《三日月宗親みかづきむねちか》の刃についた血糊を払いながら視線を動かすと、周囲の魔物も掃討されつつあった。


「思ったよりも他愛なかったな」


「……遠距離攻撃できる種族が、大トカゲこいつらだけに限られていたからだろう。リズたちとはある意味で相性が良かったともいえるな」


 魔物たちを焼き払った破邪剣 《オルト・クレル》を携え、小さく鼻を鳴らしてつぶやくリズに向けて俺は動かなくなった大トカゲの死骸を指さして答える。


「いや、もちろんジュウベエ殿たち前衛がいてこその結果だとは理解しているぞ」


 刀身を覆っていた桔梗色ベルフラワーの魔力を霧散させながら答えるリズだが、彼女はすこしだけ勘違いをしていた。


 ハンナとエミリア、そしてリズが加わったことで城壁を巡る戦いは早期に決着がついた。

 だが、これはけっして魔物たちが弱かった、あるいは連中に警戒心が欠けていたからではない。


 城壁に対して遠距離攻撃を仕掛けてきたことから、戦力まりょくの無駄な消費を避けるだけの知恵はあったと見える。

 また、真っ先に突っ込んできた俺と征十郎のふたりを不確定要素と見做し、装甲大炎蜥蜴アーマード・サラマンダーが迎撃に動いたことから連携も取れていた。


 しかし、戦術として効果を発揮したのはそこまでだった。


「まぁ、前衛しかいないと勘違いさせるための攪乱も兼ねていたからな」


 こちらの戦術が狙い通りにはまったのもあるが、やはり連中の持つ“常識”が邪魔――――“最初から全力で迎え撃つ”という選択肢を脳内から葬り去ったのが最大の敗因だった。


 たかが人間に、自分たちを追い詰めるような埒外の戦闘力などあるわけがないと、頭のどこかで判断してしまったのだろう。


 たしかに、並みの人間が相手であれば十中八九は連中の思うままになっていたはずだ。


 ぬかるんだ地面に物体が落下する音。

 緑鬼将ゴブリン・ジェネラルの首が胴体から斬り離されて飛んできたのだ。


「ご歓談中のところ失礼。……んー、もうすこしでコツが掴めそうなんですがねぇ」


 鈍い輝きを放つ《尾前長舩光匡びぜんおさふねみつただ》をゆっくりと旋回させてから肩に担いだ征十郎が謝罪の言葉を投げてきた。

 疲労の欠片も見られない剣士の周囲には、彼に斬殺された魔物の死体が大量に転がってた。


「それができれば、“到達”したといえるだろうな」


「いやぁ、刀を振り回すだけなんて微塵も思っちゃいませんでしたが、まさかこれほどとはね」


 そう、今さら語ることでもないが、俺と征十郎はこの大陸の人間ではない。

 幾多の戦場いくさばを、徒歩かちで、騎馬で、屍山血河しざんけつがを築き上げながら駆け抜けて来た“侍”だ。


「ジュウベエ様、付近の敵は殲滅しました」


 そっと近づいてきたハンナが告げる。


「ご苦労」


 また、八洲でしのびとして名を馳せてきた伊駕忍軍の三代目であるハンナ、古の超越者たる《真祖エルダー》の姫エミリア、そして剣士として更なる高みに昇りつつある《火葬剣》のリズことリーゼロッテ、彼女たちもそれぞれが強力な力を有している。


 この面子と敵対してしまった時点で、連中の戦力では返り討ちに遭う状況は決定していたようなものだ。


生物災害スタンピードなどというから、一時はどうなるかと思っていたが……」


 肩の力が抜けたとばかりにリズは大きく息を吐き出す。


 彼女からすればこのような戦いも未経験の領域だったのだろう。

 それでも、息を上げてこの場に座り込んだりしないだけ、以前と比べれば着実に成長を遂げているといえた。


「適切な対処さえできれば通常の戦いと同じなのはたしかだな。しかし……」


 リズと会話をしている中、どこからともなく現れた忍がハンナの下へと近付き何やら耳打ちをする。


 戦闘に巻き込まれないようにしていたのだろうが、やはり今になってほのかな緊張感を漂わせた動きは気になってしまう。

 俺自身も首の後ろからザワつくような感覚が未だに消えず、魔物たちがやって来た西の方角を、わずかに目を細めて見やる。


 そんな俺たちの様子にリズは怪訝そうに眉を顰める。


「どうした? これでもう終わりなのだ――――」


「「「いや――――まだだ」」」


 リズの言葉を遮るように、俺とエミリアと征十郎の声が重なる。

 俺だけではなく、リズの除く全員が同じ方角に鋭い視線を向けていた。


「……やはり、本命がいたか。そもそも、あの程度で父上から警告がくるとは思うてはおらなんだが……」


 エミリアがそっと漏らす。


 依然として振り続ける雨の向こう側に布簾カーテンの途切れる場所が見えた。


 そして、そのさらに奥には大地を埋め尽くすかのようにうごめく影の群れ。

 先ほどの規模とは比較にならない魔物たちがひしめいていた。


 なるほど、……。


 俺は内心で舌打ちをするとともに、それまで消えることなく残っていた違和感の正体に気付く。


「先行している連中で押し込めればそのまま蹂躙、前に出て来るようなら後続ごと一気に飲み込む、か……。これが本当に魔物の動きなのか?」


 言葉に出しながら、俺はわずかに背筋に悪寒のようなものを覚えていた。


 従来、様々な条件が重なった末、偶発的に発生する生物災害スタンピードだが、そう呼ぶにはあまりにも体系化されたシステマティックな動きを見せている。


「……これはあくまで推測に過ぎぬが、ヤツらが生息していた《黒の森シュヴァルツヴァルド》で何か異変があったのじゃろう」


「その結果、住処を追われた魔物たちが移動を開始――――なるほど、普通に見ればたしかに立派な生物災害スタンピードだが、真相としては単なる生息圏を求めての大移動、か」


 思わず溜め息が漏れ出てくる。

 もちろん、理由が分かったところで事態が好転するはずもない。


 戦いを前に余計な懸念材料とならぬようエミリアは明言しなかったが、一連の騒動はやはり邪竜の復活が原因なのだろう。

 そう考えると、本当にで終わってくれるのかと、どうにも引っかかる思いが消えてくれない。


「雑多な群れならそれで済んだであろうが、これはあまりにも異常じゃな。ここまでの規模は滅多に起こることではない」


「ああ、いくらなんでも統率され過ぎている」


 つまりそれはあの群れが上位種族に率いられていることを意味していた。


 先ほどの魔物たちの動きを見てもそれはわかる。

 もしあの街に俺だけしかいなければ、確実にさっきの連中に釘づけにされた挙句、城壁さえも破壊されていたに違いない。


 向こうはこちらが対処できなくなるまでひたすら遠距離攻撃を繰り出し、防御手段が枯渇したところで城壁を破壊。

 あとは後方から来ている群れと合流して数と質量で押し切ればいい。


 このような密度の敵を相手に防衛戦を演じなければならない。

 その事実に、心中にもどかしさのよう感情が生まれてくる。


「冒険者ギルドもそうだが、王国もいったいなにをしているんだ……。ない手札を切っている状態なのだぞ……?」


 苦々しげに漏らすリズから歯を軋る音が聞こえてきた。


 リズの言う通りだった。

 本来――――いや、そもそも可能ならばの話にはなるが――――大規模の敵を相手にする場合、こちらも数を揃えた上で機動力を駆使した騎馬戦闘を行い、戦場の中心を常に変化させ敵を攪乱させていくことが望ましい。


「あそこまでになると腕がどうとかじゃなくて数で押し潰されかねない。せめて騎馬戦力は欲しいところですね」


 リズの言葉へ同意を示すように征十郎が嘆息する。


 だが、あいにくと今の俺たちに騎馬戦力の備えはない。

 天下原あまがはらで共に戦場を駆け抜けた愛馬も八洲に置いてきた。

 古都の奥深くに生息していた野生馬であったが、あの猛々しい走りに幾度助けられてきたことか。


 しかし――――


「ジュウベエ殿……?」


「大丈夫だ」


 リズへの返事と共に、俺はそんな感情を振り切る。


 刹那の迷いなど戦いに臨む時には不要。

 今の俺には、この地で得た仲間たちがいる。


 ならば道は斬ってひらくのみ。


「さて、ここからが本番だが……」


 遠くから押し寄せてくる新たな敵を前に、俺は振り返らず言葉を発する。


 たった五人であの数を相手にしようなど、正直無謀でしかないだろう。

 だが、ここでやらねば背後にある街はおろか大陸中央部がヤツらに蹂躙されることとなる。


「いけるな?」


 彼らはとうに覚悟を決めてこの場に立っているのだ。

 この期に及んでそれを問い質すような真似は礼を失する。


「当然。ますますの死地に昂ぶりを覚えずして、何が八洲の侍でしょうか」

「わたしは主君たる御身と共に」

「なに、あの程度の敵、妾が蹴散らして見せよう。生まれ変わりしこの力、背の君のために存分に振るう時じゃろうて」

「エミリアにそこまで許した覚えはないんだが……。もちろん、わたしも戦うぞ。窮地だからって守られる側にいるのはもうイヤだ」


 征十郎、ハンナ、エミリアにリズ、背後に立つ仲間たちから声が上がる。


 まったく……。俺のような《死に狂い》に付き合わせるのがもったいないほどの連中だ。


 知らずのうちに口唇が笑みに歪む感覚。


 いつの間にか、雨は上がっていた。


「……では、しばし駆け抜けるか。せめて良き戦いとなればいいが」


「――――待たれよ、ユキムラ殿。新手が来たようじゃ」


 一歩踏み出そうとした時、不意にエミリアが声を上げる。


 視線を向けると横合い――――突如として現れた騎馬の群れが南方からこちらに向けて進んで来ていた。


「王国の騎馬兵か? 早く来いとは愚痴ったが、それにしては到着が早すぎる……」


 リズが疑問の声を上げる。

 俺も王国が予想よりも早く動き出したかと思ったが、その騎馬集団が掲げる旗印が見えた瞬間、思考が停止する。


「いや、違う。あの旗印は……」


 なびく旗に描かれていたのは、八洲に置いてきたはずの九条家の家紋だった。


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