第141話 女三人寄ればたのもしい?


 自らの敵を焼き尽すべく、数条にも渡る破壊の波濤が迫り来る。

 まさしくこの場において魔物たちが繰り出し得る最大火力の一撃だった。


 しかし、そこには掲げる主義・主張があるわけでもない。

 かといって、他者を蹂躙することで嗜虐心を満たすこともない。


 ただただ自分たちの生存をかけた戦い。

 これはその末に生まれた光景だった。


 ――――死が近くに感じられる。なんと胸が躍る瞬間であろうか。


 心臓の鼓動が次第に速まっていく。 

 圧縮された火球であればそれを斬るだけで済むが、面攻撃となっている時点で押し寄せる波をすべて阻止しろと言われているようなものだ。

 こればかりは、今俺が握っている《斬波定宗きれはさだむね》の異能を以てしても叩き斬ることはできない。

 仮に火炎の直撃を防げたとしても、それと同時に発生する高熱と衝撃波へどのように対処するべきか。


 赤い輝きを放ちながら迫る死の奔流を前に、

 

 ――――ここは真正面からいくか。


 そっと一歩踏み出し、左袖口から最大大業物の太刀 《三日月宗親みかづきむねちか》を滑り出すように引き抜く――――瞬間、俺と火炎の間へと割り入るように飛び込んできたひとつの影。


「待たせたのう!」


 短い叫びとほぼ同時に、炎の奔流が突如として展開された障壁の前に衝突。

 紅蓮の劫火が高密度の魔力で構成された壁に触れると、そこから青白い光の粒子となって消滅していく。

 驚くべきことに、発生しているはずの輻射熱の大半がこちらに届く前に魔那の塵に分解・遮断されていた。

 すさまじいまでの無効化レジスト範囲だ。


「この魔力障壁は……」


 つぶやきを漏らす征十郎と、俺の目の前には小さな少女の背中があった。

 熱波の残滓が生み出した風を受け、こちらへとなびかせているのは純白の流れとひとすじの紅を湛えた美しい髪。

 肩甲骨のあたりから二対の蝙蝠にも似た漆黒の翼が宙に浮遊している。

 群青色のドレスの裾をはためかせる《真祖エルダー》の姫――――エミリアが立っていた。


「エミリア……」


「すまぬな、遅くなってしもうた」


 鋼ですら溶解せしめる炎を受け止めているにもかかわらず、短く謝罪の言葉を発するエミリアの声は涼やかなものだった。


 これこそが、未だ俺が知らぬ《真祖》の秘めたる力なのだろうか。

 俺の血をいくらか吸ったことで、すくなくとも学園襲撃時にエミリアが出しきれていなかった能力までもが解放されているのは間違いない。


 決死の一撃を放った装甲大炎蜥蜴アーマード・サラマンダーたちであったが、その身に宿す魔力が続かなくなったか、ついに放射されていた炎が途切れることとなる。


「案外体力がないものよな」


 それを見届けたエミリアも、小さく鼻を鳴らして展開していた障壁を解除。


 あれだけの魔法障壁ともなればかなりの魔力を使ったはずだ。

 にもかかわらず、彼女の呼吸はいささかも乱れてはいなかった。


「ふむ、ケダモノどもの分際で妾に不遜な目を向けておるの」


 決死の攻撃を防いでくれた闖入者に、魔物たちから殺気を漲らせた視線が向けられた。

 当のエミリアはそんなものなど意に介さず、むしろ表情を不快げに歪める。


「……ユキムラ殿、ここは妾が。愛しの背の君を害そうとしてくれたお礼をせねばならぬのでな」


 完全な戦闘態勢へと移行したエミリアは左掌の空間を歪ませると、そこから同化した《蝕身狂四郎むしばみきょうしろう》を引き抜く。

 薙刀直しの刀身片面に刻まれた降魔佛ごうまぶつが黄金色の輝きを放つと同時に、鍔元から発生した紅蓮の炎を渦のように纏わせる。


 本能で危機を察知したのか、魔物たちがにわかに動き出す。


 その瞬間、不意を衝くような爆発が上がり、虚空に躍り出るひとつの影。

 忍の戦闘装束に身を包んだハンナだった。


 爆裂魔法を利用して十メルテンの高さまで飛翔した濡烏ぬれがらす髪の忍。

 眼前の敵を見据えるくっきりとした黒瞳には燃え盛る闘志が宿っている。


 魔物たちの視線に上空を向けられる中、短刀 《忍冬すいかずら》へと注ぎ込まれた膨大な魔力によって、ハンナの周囲に練り上げられた氷が刃を急速形成。


「伊駕忍法苦無術奥義――――《極北氷陣》!」


 発動を告げる言葉と共に、突如として巻き起こった吹雪のような極寒の暴風を伴い、氷刃が一斉に地上へと降り注ぐ。


「昔から忍者はおっかねぇと思っていたが、こりゃまたすげぇもんだな……」


 征十郎がつぶやきを漏らすように、その効果は覿面てきめんだった。


 冷気を浴びせかけられたことで、自身が繰り出した火炎の放射によって熱せられていた装甲大炎蜥蜴アーマード・サラマンダーの鎧じみた鱗が急激な熱の変化に耐えられず呆気なく砕け散る。

 そして、そこへ待ち構えていたかのように殺到する氷の刃の群れ。


 ハンナは苦無クナイと表現したが、彼女の魔力によって増幅されたそれの大きさはもはや長槍となんら変わらない。


 高速で飛来する氷の刃は、砕けた鱗によって露出した大トカゲたちを中心に、皮膚へと容赦なく突き刺さりながら血の華を咲かせ、腹部から抜けるとその身体を地面へと縫い付けていく。

 運の悪い魔物は、頭部などの重要器官を貫かれて即死。串刺しの死体が出来上がる。


「ハンナまで出て来ていたのか」


 まさかハンナが広範囲を攻撃できる忍術まほうを持っていたとは知らなかった。

 三代目八取伴蔵の名を襲名しただけのことはあり、奥の手を持っていたとしても驚きではないが、それでも昔の彼女を知る者としては驚きを禁じ得ない。


「もちろん、わたしもいるぞ。――――起動イグニッション


 鎧の音を鳴らし、凛とした声を伴って進み出て来たのはリズ。

 すでに破邪剣 《オルト・クレル》を抜き放ち、《火葬剣》発動の言葉によって重厚な刀身に桔梗色ベルフラワーの炎を纏わせている。

 その毅然とした態度に、昨日まで時折見えていた戦いへの怯えは一切存在していなかった。


「わたしからもお返しをさせてもらおう。――――悪しきものどもよ、塵に還れ。戦技アーツ、《断罪神波パニッシュメント・ブラスター》!!」


 叫びと共に、燃え上がる炎。

 しかも、リズの奥の手ともいえた《断罪神閃パニッシュメント・スラッシュ》ではなく、それを大きく上回る波濤規模となった炎が宙を飛翔していく。

 地面に拘束された装甲大炎蜥蜴アーマード・サラマンダーたちはそれを真正面から受けるしかない。


 対不死者アンデッド特効を持ちながら、それ自体の熱量も極めて高い一撃が魔物たちの肉体を瞬時に炭化。

 焼き尽くされる断末魔の絶叫を周囲に響き渡らせる。


 一瞬にして形勢が不利になったことを悟り、前衛の魔物たちが逃げ出そうと動き始めるがもう遅い。

 まだひとり、夜魔の王女が残っているのだから。


「せっかくじゃ。妾の技も見てもらおうかの」


 この瞬間を待っていたとばかりに、エミリアが悠然と前へ進み出ていく。


「さて、浄炎よ。敵を呑み込め。――――《臥龍翔焔斬がりゅうしょうえんざん》」


 エミリアが素早く踏み出すと同時に、狂四郎が振り抜かれる。


 刀身から迸った紅蓮の炎は、不可視の斬撃を可視のものへと変え、装甲大炎蜥蜴アーマード・サラマンダーたちがなし得なかった高熱量を生み出す。

 狂四郎がその身に宿していた数多の血を取り込み、膨大な魔力を生み出す炉となったエミリアはまさしく魔力砲台にも等しい存在となっていた。

 地面を這うように射出された一撃は、八洲の伝説にある龍の形となって残された魔物たちを容赦なく飲み込んでいく。


 エミリアはすでに狂四郎の力を自身のものとしていた。

 あの技は、人間であれば《操気術》が使えるだけの研鑽があってはじめて発動できるものだ。

 それを狂四郎と同化してまだ日が浅いにもかかわらずエミリアはほぼ使いこなしている。

 やはりこれも《真祖》の力によるものなのだろうか。


「……なんていうか、俺たちの戦いが形無しに思えてくるなぁ」


 ハンナとリズ、それにエミリアが繰り出した今の連撃で、魔物たちの大半が消し飛んでいた。


 広範囲を攻撃できる技が征十郎にはまだないためそう思えるのだろう。

 俺も手持ちの刀の中にはそれが行えるものもあるのだが、あまりにも“じゃじゃ馬”すぎて使用を躊躇っており、それがある意味では窮地を招いていた。

 まだまだ研鑽が足りないようだ。


「しかし、もうすこしかかるものだと思っていたが……」


「時間を稼いでくれたおかげで小娘ルクレツィアの魔力も回復しての。それで我らが出て来られたのじゃよ」


 エミリアが指で示す方向を見ると、城壁ではルクレツィアが懸命に障壁を展開して次なる攻撃に備えていた。

 ……なるほど、盾役の代わりが務まりそうと目星がついたわけだ。


 それにしても、後は任せたとばかりに押し付けてくるあたり、うちの女人たちはまこと容赦というものがない。


「もちろん、ジュウベエ様たちがここまで敵の数を減らしてくれたのもありますが」


「左様。まぁ、トカゲどももここまで減らせば、仮に攻撃がいったところで次はあやつでも持ち堪えられよう」


 ハンナとエミリアが俺に向けて小さく微笑みかける。


「お前たち……」


 つぶやきが口を衝く中、知らずのうちに俺の口元には笑みが宿っていた。


 仲間と共に戦う感覚を久し振りに思い出しつつあった。

 八洲で駆け抜けた戦場の記憶が蘇ってくる。


「そんなに驚くことではないだろう? 後から来いと言ったのはジュウベエ殿だぞ。それに……こういう時は守っていては負けるのだろう?」


 吹っ切れたように笑うリズ。

 彼女もまた戦いの中ですこしずつ成長を遂げているのだ。


「……そうだな。よし、全員揃ったところで――――」


 新たに持ち替えた《三ヶ月宗親》を軽く構え、俺は完全に腰の引けている魔物たちへ向けてそっと告げる。


「今までの鬱憤を晴らさせてもらおうか」


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