第140話 驟雨乱刃


 降りしきる雨の中、幾重にも重なった出来事によって、戦場いくさばの中に奇妙な静けさが生まれていた。

 

 俺たちを取り巻く魔物たちから漂ってくるのは畏怖の感情だろうか。

 遠距離攻撃の要となっていた虎の子の装甲大炎蜥蜴アーマード・サラマンダーが、たかだか二匹の人間によって狩られていく悪夢が発生しているのだから当然のことかもしれない。


「……さっきまでの威勢はどうした」


 軽く太刀を振るいながら、言葉を投げると刃についた水滴が飛ぶ。


「そう簡単にビビってくれるなよ。もっと楽しませてくれるんじゃなかったのか?」


「ナ……ナメルナ! 人間ゴトキガァッ……!」


 異形の喉から無理矢理放たれた人語が耳朶を打つ。


 俺の挑発によるものか、はたまたこのままでは勢いに飲まれると判断しがゆえか。

 ゴブリンの中でも相当な上位種に位置する緑鬼将ゴブリン・ジェネラルを筆頭に、体躯に優れた魔物たちが包囲網を狭めるように、巨大な戦斧や両手剣を手に携えて間近にいた征十郎へ向けて殺到してくる。


「……へぇ、いるじゃねぇか。ちっとは根性のあるヤツらが」


 俺の左隣で《尾前長舩光匡びぜんおさふねみつただ》を携えて、征十郎が獰猛な笑みを浮かべる。

 そして、これからが本番とばかりに玲瓏たる剣士は太刀を方へと担ぎ、憤怒の形相を浮かべたゴブリン・ジェネラルたちに怯むことなく悠然と前へ進み出ていく。


 通常であれば緑鬼将ゴブリン・ジェネラルは、大緑鬼ホブ・ゴブリン緑鬼公ゴブリン・ロードを大きく上回る数百匹規模にもおよぶゴブリンの群れを率いるとされ、また自身の戦闘力が非常に高いことでも知られている。

 それが目の前に数匹。


 現在、配下となる兵隊ゴブリンたち率いていないとはいえ、これだけで生物災害スタンピードの発生した場所がどれほど厄介な場所かがわかろうものだ。


 こいつらが周辺に散ってしまうと、単体だけでも並みの冒険者ではまず討伐することはできない。

 それだけならまだいい。

 どこにでもいるようなゴブリンをはじめとした低位魔物を群れに吸収するだけで、簡単にちょっとした規模の軍が出来上がる。

 生物災害が真に恐ろしい点はここにある。

 頭となる魔物が拡散してしまうことで、二次被害が爆発的に増えていくのだ。


 だが――――


「威勢はいい」


 突撃してくる魔物たちに向けて征十郎は一歩ずつ踏み込んでいく。

 そこに躊躇いなどは一切見受けられない。


 無造作ともとれる征十郎の滑らかな足取りが、なにを恐れるものがあるかと示していた。


 そう、今のヤツらが頼れる存在はこの場にいる魔物たちのみ。

 本来行使すべき数の暴力で俺たちを蹂躙することはできないのだ。


 事実、魔物たちが見せた突撃も、征十郎の間合いに踏み入ることができただけだった。


 征十郎の歩みが不意に疾走へと切り替わる。

 一斉に繰り出される剣や槍、斧を舞うように回避しながら飛翔。


 追撃を繰り出そうと視線が動いたところで、俺の《斬波定宗きれはさだむね》が横薙ぎを放つ。

 虚空を舞う征十郎の身体の真下を不可視の斬撃がはしる。

 最前列にいた緑鬼将ゴブリン・ジェネラルを一体、左右から武将を守るように進んで来ていた戦牛頭鬼バトル・ミノタウロスを四体を胴体部分で上下に分かつ。


 先に地面へと倒れていく上半身が見つめる視線の先で、空中を進む征十郎の刃が高速で一閃。

 巨大な弧を描く軌跡が生まれ、後列にいた豚鬼槍兵オーク・ランサーたちの槍が刺突を放つ前にその首を刈り取っていく。


 降り注ぐ雨とは異なる赤い液体が臓物と共に周囲へと撒き散らされる。

 着地と同時に、征十郎は水平となって振り抜かれていた刃を前方へと旋回。

 突進してきていた緑鬼将ゴブリン・ジェネラルが左腰から右肩までを鎧ごと逆袈裟に両断された。 

 それでも征十郎は止まらない。


「どうしたぁっ! 止まったヤツからおっぬぞっ!」


 叫び声を伴い、翻った征十郎の太刀が垂直に落下。

 姿勢を低くして接近してきた殺戮人狼スレイヤー・ウェアウォルフが頭頂部から股間までを一気に断ち割られ左右へと倒れていく。


 鈍い輝きを放つ《尾前長舩光匡びぜんおさふねみつただ》。刀身に秘められた異能が目覚めようとしているのだ。

 振るわれる刃が暴風と化して荒れ狂い、たとえ身を包む鎧の存在があっても関係なく五体を切り刻まれ地面に沈んでいく。

 

 魔物たちの中には、単身で多勢を相手にする征十郎の死角へ回り込もうとする個体もいるが、それは俺が許さない。


 わずかな隙間を縫うようにゴブリン・ジェネラルが槍を投擲。

 それを引き抜いた脇差 《獅子定宗ししさだむね》で斬り払い、返す斬波定宗の刃が接近していた豚鬼公オークロードの脚を大腿部で切断しながら虚空へと抜ける。

 物足りないので自由になった脇差で首を刎ねておく。 


「あまり夢中になるなよ、征十郎」


「背中は兄者に任せていますから。さすがの援護です」


「なら、もうすこしありがたそうに言え」


 鼻を鳴らして俺は答える。

 褒めてはくれるが、もうすこしこちらのことも考えてほしい。


 そこで首筋に悪寒。

 本能が命ずるままにその場で身体を回転。征十郎もまた俺の動きに合わせて後方へと下がる。


「発気――――断空閃」


 “オーラ”を注ぎ込んだ定宗の刃から後半に及ぶ不可視の斬撃を放つ。


 魔物ごと巻き込みかねない火炎攻撃を繰り出そうとしていた複数の装甲大炎蜥蜴アーマード・サラマンダーたちを周囲にいた魔物の群れごと上下に斬り分ける。


「どうやら連中、尻に火がついてきたようだな」


 仲間という意識はないのかもしれないが、行動を共にしている者たちまで巻き添えにしかねない攻撃を選択するのだ。

 なるほど、俺たちのやり方は向こうの嫌な所を突いているらしい。


 道理でいえば己の欲せざるところを人に施すべきではないらしいがこれは戦いだ。

 積極的に嫌がるところを攻めてやるべきだろう。


「どちらかといえば、我が身可愛さじゃないんですか。……ほら、あの通り」


 征十郎の言葉に促されて視線を向けると、いつの間にか魔物たちの後方まで退いていた残りの装甲大炎蜥蜴アーマード・サラマンダーたちが一斉にこちらを向いていた。

 言うまでもなく、その口腔には発動直前の魔法組成式が浮かんでいる。


 いや、それだけならまだマシだ。

 今回収束されている魔那の量は先ほどまで放たれていた火炎弾のそれではない。

 一体一体が自身が持つ全力クラスの一撃を放とうとしていた。


 自爆覚悟――――といえば聞こえはいいが、まぁあの具合なら連中だけは生き残れることだろう。

 先ほどから薄々感じてはいたが、コイツら大した同胞意識で動いているものである。


「この距離でやられると、さすがに無傷ではいられないかもしれんな」


「ちょっと深入りし過ぎましたかねぇ……」


 間近に迫る死の気配を前にしながら、肩を竦めるだけの征十郎。

 この男なら腕が一本千切れたくらいでも戦いを止めることはないだろう。


 俺たちの周囲にいた魔物たちが自身の生命の危機を感じて逃げ出そうとする。 

 もちろん、ここで失敗すれば自分たちが狩られる側へと転落する大トカゲたちに、そんなものを待っている義理など存在しない。


 そして次の瞬間、辺り一帯を焼き尽くさんとする猛烈な炎が放たれた。



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