第139話 Howling Edge


 次第に強まる雨脚。

 身体を濡らしていく雨粒が俺たちの体温を奪っていこうとする。


 だが、そんなもので戦場いくさばを前にした俺たちの熱を奪うことはできない。


「……行くぞ!」


 短く征十郎へと告げて全身へと“オーラ”を巡らせる。

 同時に、俺たちは地面を蹴るように疾走を開始していた。


 この火急の時に出し惜しみをするつもりなど一切ない。

 《操気術そうきじゅつ》を発動し、時間と距離を一気に短縮させる。


 ぬかるみ始めた地面を蹴る俺たちのはるか頭上を通過していく火球の群れ。


 真っ先に狙うべきは、あの厄介な火球を吐き続けている大トカゲどもだ。

 敵の群れが城壁へ向けて動き出す前に、俺と征十郎で引っ掻き回す。


「正面からのカチ込みですか! いいですねぇ、実に兄者らしい!」


 傍らを走る征十郎は嬉々として笑みを浮かべながら言うが、真正面から突っ込むのはべつに一刻も早く戦いたいからではない。

 遮蔽物のない平原では、迂回しようがなにをしようが遠距離攻撃が可能な敵がいる限り意味がないためだ。


「どうせ迎撃されるんだ。最短距離を駆け抜けて、あのケダモノどもに刃を叩き込むだけだろ」


「いや、さらりと答えてますけど実にイカレた回答ですよね、それ」


「狙いがわかっているくせに煽るんじゃない。……さて、やっこさんら動き出したぞ」


 視線の先で、こちらの接近に気付いた魔物の群れに変化が発生。


「へぇ……。る気満々ってか」


 征十郎から歓喜の声。

 周囲に展開している小型の魔物が前進してくるかと思っていたが、そんな俺の予測は裏切られる。

 一体の装甲大炎蜥蜴アーマード・サラマンダーが、城壁への火炎弾砲撃から外れ動き出していた。


 魔物の群れにたったふたりで挑もうとする慮外者りょがいもの嘲弄ちょうろうするかのように、強靭な鱗に覆われた頭部をこちらへ向けてくる。

 鋭い牙が並ぶ口腔はすでに上下へと大きく開かれ、多数の砲撃を生み出した魔力組成印が灯っていた。


 立ち塞がる者は吹き飛ばせばすべて片付くという実に脳筋的な思考。

 なるほど、そういう単純な答えは嫌いじゃない。


「ここは引き受けた!」


 征十郎に声をかけると同時に、火竜もどきの組成印から生み出された火球が発射された。


 装甲大炎蜥蜴アーマード・サラマンダーへと集まった魔那マナの規模からわかる。

 軍の一般兵士の集団程度であれば、瞬時に消し炭に変えてのける威力を秘めた一撃だった。


 ……たったふたりを相手によくやるものだ。


 ある意味では手を抜かない敵へと呆れと感心の入り混じった感情を覚えつつ、俺は高速で迫り来る火炎弾を前に、軽く前方へと跳躍して着地と同時に地面を強く踏みしめる。

 右手に握り締めた《斬波定宗きれはさだむね》の刀身へと気を流し込み、一閃。


 風切り音と共に、空を切り裂く妖刀がその身に秘めたる力を垣間見せる。


「悪いが……これくらいの攻撃では受けてやれん」


 見据える視線の先で、押し寄せる火球が空中で真っ二つに割れた。

 内包された破壊の力が行き場を失い、轟音を響かせて虚空に鮮やかな爆炎の花を咲かせる。


 押し寄せる熱波が肌を炙っていく。


 これは《斬波定宗きれはさだむね》が持つ、“斬撃が空そのものを切り裂き距離を縮めて届く”異能によるものだ。

 火球の中心部分に忽然と刃だけが通過したことで、着弾を前に魔法としての結合を破壊されたのだ。


 対群遠距離攻撃として使えるほどの有効射程こそないものの、この力があれば先ほど受けた火炎弾の斉射程度ならば十分対処はできたことだろう。


 ――――まぁ、その役目は今はもう信頼できる者なかまたちに任せてきた。


 どうでもいい思考を止めて、俺は前進を再開する。


 火球が炸裂したことで周囲に立ち込める黒々とした爆煙。

 あえて火球を破壊するだけに留めて魔那の塵へと分解させなかったのは、発生する煙を目くらましとすることが目的だった。


 これで後方への狙いがつけにくくなる。そしてなにより――――


「来てやったぞ、歓迎しろ!」


 俺の横合いを高速で走り抜け、煙の布簾カーテンを突き破りながら征十郎が叫ぶ。


 そう、先ほどまで俺たちが見せていたものは全力の疾駆ではなかった。

 自身が攻撃を受ける可能性がある中で突撃を仕掛けてくる相手がいれば、迎撃する側はそれが最高速と錯覚する。

 煙幕が発生して視界が妨げられた瞬間、一気に加速をかければどうなるか。


 互いの距離の認識に齟齬が発生するのだ。

 


 瞬く間に超高速にまで至った征十郎は、俺たちを迎撃しようとしていた大トカゲへと肉迫。

 不意を衝かれる形となった装甲大炎蜥蜴アーマード・サラマンダーはその動きに対処することができない。


「おおおおおおおっ!!」


 裂帛の気合いと共に鼻先の直前で振り下ろされた刃が、装甲を形成する頭部の鱗へと衝突。

 硬質物同士がぶつかり合って火花が上がる。


 しかし、それでも斬撃の勢いは止まらなかった。

 《操気術》によって征十郎の両腕の筋肉が膨張し、跳ね上がった膂力で刃を押し込んでいく。


 装甲大炎蜥蜴アーマード・サラマンダーの瞳孔が驚愕に細められる中、《尾前長舩光匡びぜんおさふねみつただ》の刃は、追撃の火球を放とうとしていた口腔の組成印を頭部ごと両断。

 鮮血が噴き出すと同時に、不完全な組成印は魔力の供給を絶たれそのまま魔那の塵に還っていく。


 脳を破壊された大トカゲの顎が地面へ落下。続いて身体が前のめりに崩れる。


 これを成し遂げたのが城壁の衛兵や冒険者の集団であれば、強敵を倒した喜びに喝采の叫びを上げたかもしれない。


 だが、倒した相手はたったの一体のみ。

 あの征十郎がそれごときで止まるはずもない。


「どこを見ていやがる、クソトカゲども!」


 せっかく狙う敵たちが密集してくれているのだ。

 相手の懐へと飛び込んだ好機を逃すまいと征十郎の刃が縦横無尽に暴れ回る。


 突如として地上に発生した暴風の中心で銀色の輝きを放つ《尾前長舩光匡びぜんおさふねみつただ》。

 担い手たる征十郎の成長により、の刀もまたその身に秘めたる異能を発現させていた。


 高速で振るわれる太刀は、惜しみなく注がれる持ち手の”気”を喰らい神速へと昇華。

 旋回する刃が死を運ぶ存在と化し、ハイスクルの街を一方的に蹂躙するはずたった魔物たちの生命を刈り取っていく。


 すぐ近くにいた装甲大炎蜥蜴アーマード・サラマンダーの頸部へと水平に振るわれた太刀が喰らい付き、切断された頭部から上が宙を舞う。

 切断面から噴出する鮮血が、近くにいた魔物たちの身体を深紅に染め上げていく。


 本来であれば城壁を破壊し街を蹂躙するはずだった魔物たちの群れの中で狂乱の悲鳴と怒号が飛び交う。


「こうも脆いとはな……」


 いつの間にか、魔物たちの立場は完全に変わってしまっていた。


 魔物たちが押し寄せんとするのはもはや城壁ではなく、たったふたりの人間がいる場所。

 征十郎に続いて“新たな戦場”の中心へと飛び込んだ俺は、《斬波定宗きれはさだむね》を振るい獲物と化した魔物たちを仕留めていく。


 邪魔となる小物――――犬鬼猟兵コボルト・イェーガーを袈裟懸けに斬り殺しながら、その場で地面を蹴るようにして真上に跳び上がり、大トカゲが掲げる頭部の真上へと飛び込むように侵入。

 そして、定宗で空間を圧縮させることで前方への回転を生み出しながら踵蹴りを繰り出す。


 火炎を発射する寸前だった装甲大炎蜥蜴アーマード・サラマンダーの眉間部分へと踵落としが直撃。

 巨大な顎が俺の一撃によって強制的に閉じられる。


「うわ、エグ……」


 なぜか征十郎の声が聞こえる中、瞬時に大トカゲの身体を蹴って後方へと離脱する。


 ほぼ同時に、俺の視界の中で行き場をなくした火炎魔法が口腔内で暴発。

 爆発の力を受け止めきれずに大トカゲの頭部が破裂し、広範囲に爆炎を撒き散らす。


 一度具現化された魔法はあらかじめ込められた指示式に従うしかない。

 もちろん、そこに敵や味方の区別など存在せず、範囲内にあるものすべてを焼き尽くそうと猛威を振るう。


 元来は進軍を支援するはずの攻撃が、今や自分たちを燃やし尽くす脅威と化していた。

 押し寄せる炎の壁が容赦なく同朋を呑み込んでいく。


「迂闊だな。火の用心だぞ」


 頭部を失って横倒しになった死骸へ向けて吐き捨てるように言葉を残しながら、着地した俺は真後ろへと向けて身体を半回転。


 旋回した《獅子定宗》が背後から接近して来ていたオーガウォーリアーの棍棒を握る腕を斬り飛ばし、続いて翻った刃が垂直に落下。

 肩口から侵入した刃が腰までを両断する。


 気が付けば、周囲に押し寄せていた魔物たちは姿はなく、俺たちを包囲するように遠巻きにしている。


 たった今までの短い時間のうちに、魔物たちの放つ気配がにわかに変わりはじめていた。

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