第138話 激突の刻
にわかに降り出した雨粒が城壁の上を叩く。
雨雲の到来と吹きつける風によって、それらは瞬く間に地面を塗り潰す。
そんな中、遥か西方の地平線に近い場所では、雨によって地面が濡れ出しているにもかかわらず、大量の物体が移動する証――――砂煙が上がっていた。
しかし、そんな光景も長くは続かない。
地上を洗い流そうとするかのように天から降り注ぐ雫の群れが、程なくして舞い上がらんとする砂埃を鎮めてしまう。
そして、同時に砂塵が覆い隠そうとしていた魔物の群れの姿を露わにする。
「あれが……」
こちらへと迫りくる魔物の群れを目の当たりにしたリズが緊張を孕んだ声を上げる。
「おい、あれって……」
「まさか……ス、
「うそだろ……」
にわかに周囲からもざわめきが上がり始める。
半信半疑で警戒態勢をとっていた衛兵たちも、地平線の向こうから姿を見せた異形のものたちの姿をついに視認したのだ。
「て、敵襲ぅぅぅぅっ!」
「迎撃態勢を取れ! 急げ!」
「魔法使いはどこだ! ……なにぃ? 詰所だと? さっさと呼んでこい!」
一転して混乱状態に陥った衛兵の叫び声がそこかしこで上がるが、こちらからの警告を眉唾扱いされていた状態で増援を呼ぶ態勢などできているはずもない。
この規模の街なら戦闘に使えるほどの魔法使いがいないということもなかろう。
だが、今から詰め所なりから城壁まで連れてきたとして、果たして戦いに間に合うかどうか。
「思っていたよりも早かったな……」
身体を濡らす雨の降る中、周囲の混乱を余所に俺は視線を魔物の群れに向けたままつぶやくが、そこで違和感を覚える。
次第に近づいてくる魔物の群れを見ると、思ったよりもずっと数が少ない。
妙だ。あの程度の数で生物災害と称されるには――――
「――――くるぞ!」
そんな俺の思考を掻き消すように、横にいたエミリアが彼女にしては珍しい鋭い声で警告の叫びを発する。
瞼を細めて視線をはるか先へと送ると、先頭を走っていた
その巨躯からより高位の魔物――――
魔力組成印が赤く輝き、そこから炎の塊が二十ほど同時に射出。
「まずい! 全員、回避しろ!!」
周囲に向けて叫ぶが当然間に合うわけがない。
もしも火球の回避に成功したところで、着弾時に解放された力によって広範囲が爆炎に呑み込まれるのは必至。
まさか、魔王軍でもない魔物の群れが組織だった動きをするとは。
知らず知らずのうちに相手を侮っていたかと内心で舌打ちしつつ、俺は腰に佩いていた《
「“精霊よ。我らを悪しきものより守りたまえ、
刀を抜くよりも早く、すぐ近くから放たれる詠唱の凛とした声。
城壁の
その直後、張り巡らされた障壁へ放物線を描いて殺到する紅蓮の球体たち。
虚空に浮かび上がる白の眩い輝きが、火球が障壁へと衝突したことを周囲に知らしめる。
続いて青白い光の散乱が無数に発生し、城壁ごと焼き尽くさんとする破壊の力を魔那の粒子へと戻していく。
「広範囲防御魔法……。やはり、精霊教会が擁する《聖女》の名は伊達ではないということか」
ルクレツィアの実力を目の当たりにしたリズが小さく唸る。
俺自身も、ルクレツィアがこれほどの奥の手を有していたことに小さな驚きを覚えていた。
さすがはサントリア王国に本拠地を持つ精霊神殿で《聖女》と呼ばれるだけのことはある。
ただの家柄や容姿だけでその称号を得ることはできないということか。
その一方で、俺が勇者一行にいた時に、ルクレツィアがこの大規模防御魔法を行使するのを目撃した記憶はない。
別れてからの期間で新たに使えるようになったものか、あるいは切り札ゆえのこの非常事態まで使えないでいたかだが――――。
奇襲攻撃の第一波を凌いだところで魔物の群れへ視線を戻すと、
たいした魔力容量である。
「ちょ、ちょっと、まだ来るのですか……!?」
容赦なく数で押し切ろうとしてくる魔物へ向け、呻きにも似た声がルクレツィアの口から漏れた。
《聖女》の言葉で俺はあまり嬉しくない確信を得る。
そう、奥の手といえばたしかに聞こえはいい。
しかし、それは逆に言ってしまえば、奥の手を使わねばならないほどの窮地に今まで遭遇してこなかったというということになる。
だから、おそらく今のルクレツィアでは長くは持ちこたえられない。
続いて放たれる火球の直撃を受け、先ほどは完全に受け止めた障壁の耐久性が限界を迎える。
一撃目と同じく火球を魔那の塵へと分解していくが、同時に表面へと細かな亀裂が入り始めた。
「うそ……! たったこれさえも凌ぎ切れないの……!?」
ついにルクレツィアから悲鳴に近い声が上がる。
無理もないことだった。
伝え聞いている範囲でも、彼女たちが相手にしてきた魔物は中位まで。
あれが群れの本命かどうかはわからないが、アーマード・サラマンダーは確実に勇者一行が今までに倒してきたそれよりも上位の魔物となる。
そして、それが複数体もいるとなれば、この時点で彼女に勝ち目はなかった。
「ルー! もういい、退避しないと……!」
ジリアンが駆け寄り、この場から撤退しようとする。
衛兵たちは俺の警告を受けた際にとっとと退避しており、今ここに戦いの行く末を最後まで見守ろうとする者は俺たちを除いて他にはいない。
……やはり、俺が出ていくしかないか。
「やれやれ……。どうにも甘いのう、小娘。障壁とはこうやって張るものじゃぞ」
発せられた新たな声に、前へと踏み出した俺の足が止まる。
いつの間にかルクレツィアたちの真横へと移動し、緋色の雨傘を差していたエミリアが、宙に向けて片手を小さく掲げていた。
「防げ、“夜の
短い詠唱と共に、《聖女》の展開した障壁の内側へと、それよりも大きく高密度の障壁が凄まじい速さで構築されていく。
ほぼ同時に、三度目の着弾を受けて砕け散るルクレツィアの障壁。
「ふむ、三発か。まぁ、もった方じゃろうな」
淡々とルクレツィアの魔法を評するエミリア。
そして、続く四度目の火炎弾を《
「そ、そんな……。ルーの奥の手をあっさりと上回って……」
「それだけじゃありません。この戦術魔法クラスの攻撃にびくともしないどころか、
「ふふ、年季が違うのじゃよ」
俺たちでなければ意味するところが理解できない言葉を発しながら、エミリアは愕然とした表情を浮かべるルクレツィアたちに向けて笑みを向ける。
謎めいた少女から投げられた言葉の意味がわからず、ふたりは怪訝な表情を浮かべるが、涼しい顔をしたエミリアはそれには構わずこちらへと視線を向けてくる。
意図するところを察した俺は小さく頷きを返す。
「よし、先に斬りこんであのトカゲどもを潰す。リズとハンナは衛兵隊に指示を出してエミリアと合流。後から来い」
「え? ちょっとジュウベエ殿……!?」
言葉だけを置いて、俺は城壁から飛び降り地面に着地。
一瞬遅れて物音がひとつ。何も言わなくとも征十郎が横に続いていた。
エミリアが遠距離攻撃を防いでくれている間に、俺と征十郎のふたりであの砲台役になっているトカゲどもを潰すしかない。
おそらくだが、本命はまだ後から来るはず。今の時点で陣地たる城壁を失うわけにはいかない。
「いやぁ、久しぶりの死地だ。滾るものがありますね」
《
世の大半の人間が見れば、間違いなくどこかおかしい人間と思われることだろう。
「まだ本番じゃないかもしれん。バテてくれるなよ?」
「ええ、はしゃぎすぎないようにしますよ。でも、そう言う兄者こそさっきから浮足立っているじゃないですか」
俺が投げかけた言葉に、すかさず征十郎は弧を描く唇から軽口を返してくる。
「……目敏いヤツだ」
見透かされていたことに俺は小さな溜め息を吐き出す。
さすがにここまで付き合いが長いと、内心を完全に派隠しきることはできないか。
「たしかに、ここまでの敵を相手にするのは久しぶりだ。やはり――――」
そこで一度言葉を切って、俺はこの戦いの一番槍を務めてくれる《
掌に伝わる柄の感触。そのまま軽く振るって刃の重みを確かめながら、知らぬ間に笑みの形へと歪んでいた口を開く。
「血が踊る」
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