第137話 雨の気配


 堅牢に作られた城壁の上へ出ると、灰色の群れが空を覆い尽くさんと広がっていた。

 西からの風が時折強く吹きつけ、そこには仄かな瘴気が混ざっているようにも感じられる。


 ――――どうにも首の後ろがチリチリする。


 しかし、俺以外の面々にはなにかを感じ取った様子が見られない。

 もしかすると、単純に俺が生物災害スタンピードの接近を前に神経質になっているだけなのかもしれない。

 だが、いかに大軍とはいえ魔物の群れの接近を前に、ここまで感覚がざわつくのはおかしいようにも感じられる。


 やはり、この違和感の正体は、エミリアが語った邪竜の復活によるものだろうか。

 この予感にかぎってはできれば外れて欲しいところだが、こういう時の勘だけは昔からよく当たってきた。


 あの覇王が家臣に討たれた時のような……。なんともイヤな感じだ……。


「……イヤな天気だな」


 そんな俺の内心と重なるかのように、傍らに立つリズが西の空を見つめながら小さなつぶやきを漏らす。


 たしかに雲の流れが速い。

 遠方には黒い雨雲も見えることから、一部では雨も降っていることだろう。


 ここまで来ないでくれるといいが……。


 まぁ、そう願う時に限って、起きて欲しくないことほどよく起きるものだ。


「雨が降り出すと視界が悪くなる。俺たちが気配の接近だけで警告を出しても、衛兵隊が動いてくれるかどうかだな。あぁ、早く色街に戻りたい……」


 黒髪を吹く風になびかせた征十郎が遠くを見据えながら同意の言葉を発するが、最後の台詞で諸々台無しだ。


 城壁を見回せば、そこかしこに配置された衛兵たちが西方へと視線を送っている。

 領主からの命を受けて普段の倍以上の人数を動員して警戒に当たっているが、やはり半信半疑といった様子だ。


 ルクレツィアたちと出会ってしまった次の日、王都カレジラントの西にある街ハイスクルへと移動した俺たちは、そこで生物災害を迎え撃つべく領主と交渉を行った。


 オウレリア公国公女たるリズからの面談の申し出とあれば断られることもなかったが、それ以前にリズと領主の間に面識があったことが大きかった。


 王国執政府に頼れない事情などをうまくぼかして説明をしたものの、もしも生物災害が事実であった場合、その被害を受けるのは王都よりも先にこの街となる。

 冒険者ギルドの腰の重さもあって生物災害の発生が公式に認められていない以上、王都への避難指示などを大々的に出すわけにもいかないが、それでも何もしないよりはと動いてくれる運びとなったのだ。


 自分の領地を守らねばならないという保身によるものだが、それで回り回って救われる者がいるのだ。

 行為が偽善であることを問うなどは無粋というものだろう。


「まぁ、警戒してくれるだけ物分りがいいと喜んでおくべきだろうな」


 戦力として計上するにはいささか頼りないが、いないよりはずっとマシだ。

 どちらかといえば彼らには戦ってもらうよりも、城壁が破られないように補強作業を実施したり、実際に戦闘が発生した際に市民の避難誘導などを行ってくれた方が俺たちとしてはありがたい。


「衛兵のことはよい。しかし、はどうするつもりじゃ?」


 エミリアの言葉を受けて俺の眉根が寄る。


「好きにしろとは言ったが、まさかここまでついてくるとはな……」


 返す俺の言葉にも呆れが混ざる。

 ちらりと視線を送れば、数十メルテンほど離れた場所にルクレツィアとジリアンの姿があった。

 勇者一行の話を聞きたがる衛兵などに囲まれている中、さりげなくこちらに視線を送ってきているがバレバレだ。


 《勇者の従者》という肩書は、人類圏のどこでも比較的効果を発揮するらしく、後から現れておきながら対生物災害の戦力のひとつにちゃっかりと納まってしまった。

 領主には俺たちとの関係性について言及はしなかったようだが、こうも距離感が近いといつか気付かれてしまうのではないかと思う。


「まったく、この大変な時に……」


 憮然とした表情を浮かべるリズ。

 向こうの抱える事情は理解していながらも、それでも時と場合を考えてほしいといったところか。


「引くに引けないのじゃろ。まぁ、あそこまで言われてすごすごと帰るようでは、見込みも何もあったものではないがのう」


 昨日あれだけふたりをこてんぱんに叩きのめしたくせに、エミリアにはやはり事態を愉しんでいるフシがあった。

 何百年も生きている者からすれば、一喜一憂する人間の様子は見ていて退屈しないのかもしれないが、当事者としては勘弁してほしい。


「だからといって、なにもここまでついて来ることはないだろうに」


「放っておいたら逃げられるとでも思ったのでは? どうもルクレツィア様はずいぶんとジュウベエ様にご執心な様子でしたから……」


 呆れ顔のリズへと向けるハンナの言葉にはなぜか棘が含まれていた。


 そして、ハンナのなにか言いたげな目線が微妙にこちらを向く。


 なんで昨日からハンナの機嫌がちょっと悪そうなのか。

 どうもなにかしらの勘違いをされている気がするのだが……。


「……バカを言うな。俺は逃げたことなんて一度もないぞ」


 さすがに天下原での撤退戦についてはちょっとばかり自信ないが。


「いやいや、兄者。向こうがそう思っているとは限りますまい。兄者がなんとも思ってなくたって、勇者と旅している時にはどうだか……」


 とうとう征十郎までもが面白がるようにそんなことを言いはじめた。


「お前たちなぁ……。他人事だと思って勝手なことばかり言ってくれるなよ」


 溜め息を吐き出した時、頬に生まれる濡れた感触。

 それと同時に城壁にもいくつかの染みが生まれる。


「降ってきたか……。よくない流れだな」


 雨粒によって土埃が舞い上げられ、降り始め独特の匂いが辺りに漂い始める。

 勢いがそれなりにある。通り雨とはいってくれるかどうか。


「――――来たようじゃな」


 エミリアがそっと告げるが、はっきり言って最悪の時期タイミングだ。

 視界が遮られつつある中、雨の布簾カーテンの向こう側に押し寄せる魔物の軍勢が見えていた。


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