第136話 運命の環から抜け出せなくて


 全員の視線が声の主の方を向く。

 それまで聞き手側に回っていたエミリアが不意に会話に入ってきたのだ。


「おぬしらの会話に口を挟むつもりはなかったが……さすがにちと度が過ぎてはおらぬか」


 エミリアから向けられる不快感の混じった視線が、ルクレツィアとジリアンを射貫く。


 最初にふたりが現れた時とは大違いだ。

 なにしろ「誰じゃその女どもは。妾という女がありながら」と言葉の炸裂魔法を投下しかけたところで、咄嗟に征十郎が口を押さえて封じこめたほどなのだから。


 先ほどは見事な要撃インターセプトを見せた征十郎も、今は様子を窺っているのか制止する素振りはない。


 エミリアの視線がこちらを向く。

 「構わぬな?」と問いかけるそれに俺は小さく頷きを返す。


「無論、このままでは魔王討伐の旅が続けられなくなるというおぬしらの危惧はわからぬでもない」


 周りからの様々な感情が乗った視線が集まる中、エミリアは先に注文を済ませていた紅茶の陶杯を口へと運びながらルクレツィアたちに対して一定の理解を示した。


 突如として会話に入ってきた謎の美少女。

 その発言の意図が掴めず、勇者一行のふたりは怪訝な表情を浮かべるしかない。


「それなら――――」


「では仮に、百万歩譲ってユキムラ殿がおぬしたちの一行に復帰したとしよう」


 エミリアは紅茶の陶杯を受け皿ソーサーに置くと、ジリアンの反論を視線で遮りながら続けていく。

 

「なるほど、ユキムラ殿が仲間ならば順調に旅をすることもできような。じゃが、勇者とやらが目覚めた場合はどうする?」


 痛い所を突かれた。

 ルクレツィアとジリアンの表情がそれを雄弁に物語っていた。


「おぬしたちがユキムラ殿の排斥に賛同していなかったとしても、こうなるまで放置しておったことは事実。さて、その者を説き伏せることはできるのかのう?」


「それは……承知の上でここまで来ております……。かならずや説得をして受け入れてもらうつもりです」


 ルクレツィアが反論しようと口を開く。


「なんの中身もない言葉じゃな」


 だが、エミリアはさらに言葉を続け曖昧な回答を許さない。


「それだけではないぞ。反対に勇者が目覚めなかった場合はどうするつもりじゃ? まさか最後までやらせた挙句、功績はすべてその者がしたことにするのではあるまいな?」


「それはなんの確証もないことです。疑い過ぎというものではありませんか」


「どうじゃろうな。おぬしはユキムラ殿の敵ではないが、かといって完全な味方でもなかろう。話を聞いているだけの妾にもわかることじゃ」


「そんな、味方ではないなどと……」


 ルクレツィアはエミリアから立て続けに並べられる指摘を否定しようとするが、それはどれも反射的なものであってまともな言葉にはならない。


 この場にいないアリエルもそうだが、ルクレツィアたちはあくまでも“聖剣の勇者デュランによる魔王討伐”のためにサントリア王国から派遣されている立場だ。

 最終的な結果に繋がらなければ、彼女たちの戻る場所はなくなってしまうだろう。


 そこを見透かしたエミリアの言葉だった。


「さっきから聞いていれば言いたいことばかり並べて! おたくがどこの令嬢様だか知らないが、そのような些事にこだわるのか……! 《聖剣の勇者》の旅には、大陸に暮らす人間たちの未来がかかっているんだぞ……!?」


 ある意味ではもっとも核心を突いたエミリアの指摘を受け、ついに耐えきれなくなったジリアンが激昂する。

 それは正論をぶつけられたがゆえの防衛的な行動でもあった。


「侮るな。


「なっ――――」


 はっきりと告げたエミリアの言葉に、二の句が継げなくなるジリアンとルクレツィア。


 まぁ、古代の人外魔境にいた《真祖》からすれば、後の世にぽっと湧いて出た魔王などどうでもいい存在なのだろう。


 だが、エミリアの言葉が言わんとしている部分はそうではないようだった。


「なぜおぬしらは思考を止める? たかが小僧ひとりに世界の命運を委ねるなどおかしなことだとは思わぬのか? であろう、リーゼロッテ様?」


「……ああ。エミリア殿の言う通りだ。たしかにどうでもいいことだな」


 突如として話を振られたリズであったが、考えていることは同じだったのか小さな笑みを浮かべてエミリアへと同意を示した。

 その隣ではハンナも無言ながら頷いている。


「こう言ってはなんだが、ユキムラ殿なしに魔王を討伐できぬのであれば、当代勇者はそこまでの存在だったのだろう。少なくとも、わたしはそう判断するよ」


 そして、人類連合軍に参加している諸国もな――――と言外に含めるリズ。


「ちょっと、いくらなんでもそんな言い方って――――」


 リズの物言いを正確に理解しなかったジリアンが声を上げる。


 しかし、リズはそれを小さく手を掲げて制止。


「だが、それが現実だ。《聖剣の勇者》の名は飾りではない。世が世である以上、それだけの重みがある。いくら内側にいるといえ、貴殿らがそれを知らぬということはあるまい」


「それは……そうです……。ですが、魔王を倒すには聖剣 《ゼクシリオン》の存在が不可欠であるのもご存じでございましょう?」


 今度はルクレツィアがリズに言葉を向ける番だった。


「ああ、無論承知の上だ」


 しかし、リズは即答した。


「だが、たとえ勇者がいなければ魔王を滅ぼせないとしても、わたしはそのような見ず知らずの人間に自身の運命を委ねはしない。それに、


 最後の部分によってリズが言わんとしているところを察したのか、ルクレツィアとジリアンから言葉が消える。


 《聖剣の勇者》はたしかに魔王討伐の切り札だ。

 だが、魔王軍はその頂点の存在だけで構成されているわけではない。

 言い換えれば、“軍勢を用いなければ人類圏に攻め入ることもできない集団”でもあるのだ。


 だからこそ、人類連合軍は勇者に魔王討伐――――いや、暗殺を遂行させようと支援しつつも、自国の軍を動員して魔王軍を引き付け、さらには自国にも万が一に備えた切り札と呼ぶべき戦力を擁している。


 なまじ世間から隔離された場所にいるがゆえに、デュランたちは自分たちの存在が唯一無二と勘違いしている節が何度も見受けられた。

 あるいはそれすらも代々 《聖剣の勇者》を輩出してきたサントリア王国によって、長い年月をかけて刷り込まれたものなのかもしれない。


 そう考えれば、デュランもアリエルも、さらには目の前にいるルクレツィアとジリアンもある種の“被害者”といえるのだろう。


 だが、俺がそれを理由に彼らの下へ戻ることはない。


「人ぞれぞれ、抱えている事情や感情が異なることも理解はするが……貴殿らからはなんのためにその力を振るうのかがまるで見えてはこない」


「それは……」


「もう少し、自身の感情に向き合ってはどうだ……?」


 真正面からふたりへと向けられたリズの言葉は、力が持つ意味を理解したものだった。

 ルクレツィアとジリアンは初めて投げかけられた問いに戸惑うばかりで何を返すこともできない。


「悪いが……俺もリズと同じ意見だ」


 ここを時期と判断した俺は静かに口を開く。

 視線が集まってくるが、構わず言葉を紡いでいく。


「……俺の口からはっきりと告げておくべきなんだろう。悪いがお前たちの旅には、


 小さく息を吐き出してから、俺は明確な拒絶の言葉を発する。


 理屈の面でも感情の面でも、ルクレツィアとジリアンは俺を納得させることができなかった。

 だが、それは仕方のないことだと思う。


「当然の力など存在しない。それは権力であれ武力であれ、けして変わることはない。積み上げてきたモノ――――裏付けられたモノがあってはじめて、他者から力として認められるものだ。ただ選ばれたというだけで振るうようなものではない」


 そして、その意識が彼らにはついぞ生まれなかったのだ。


 もちろん、魔王がすでに滅んでいることも俺が動かない一因にはある。


 しかし、それを差し引いてもルクレツィアとジリアンのふたりは“勇者の従者”という駒同然の存在に囚われている。

 おそらく、彼女たちがそこから抜け出せないかぎり、この話が噛み合うことはないのだろう。


「いずれにせよ、話はここまでだな」


 席から立ち上がろうとすると、それよりハンナが先に動き俺の進路を作る。

 リズもそれに続き、征十郎とエミリアも静かに立ち上がる。


「すまなかったな、迷惑料だ」


 事態の推移を見守っていた店員の前にいくらか多めの代金を置き、そのまま店の出口へと向かって歩いていく。 


「待ってください、ユキムラ様。わたくしたちには手立てが……いえ、もう引き下がることは――――」


「しばらくの間は、この街にいようが好きにしてもかまわん」


 背中に投げかけられたルクレツィアの言葉を遮り、俺はその場で立ち止まると振り向かずに言葉だけを返す。


 エミリアを見ると小さく頷く。

 遮音魔法はまだかけてくれたままのようだ。


「悪いが今は言葉遊びをしている余裕がない。この国に生物災害スタンピードが迫っている。魔王軍なんぞよりも先に、こちらをなんとかしないとならないものでな」


 追ってきた過去を今は振り払うように、俺は一方的な言葉だけを残して店の扉を潜り抜けた。




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