第135話 修羅場BURN!
気を緩めれば自然と溜め息が漏れ出そうになる。
王都の中でも昼から営業している薄暗い酒場。その中に流れる空気は、はっきり言って非常によろしくない。
周囲の客から時折こちらへと向けられる奇異の目が、それをまた一層重苦しいものに仕上げていた。
言っておくが、俺が悪くしているわけじゃない。
俺の周りに座る女人たちによるものだ。
どうしてこうなったのか――――などと、いざ事ここに及んですっとぼけたことを言い出すつもりはない。
単純に言えば、出会わない方がいい人間同士が出会ってしまったのだ。
ならば、こうなるのは必然とも言える。
「「「「…………」」」」
それぞれが相手側に視線を向けるだけで言葉は発せられない。
当事者ではあるものの、今の俺は見ている側だ。
……なのにひどく肩の据わりが悪い。
これでは空気が悪くならない方がどうかしている。
俺から見て対面側に座るのはかつて共に旅をした仲間――――ジリアン・マックイーンとルクレツィア・セイン・イゼルローツのふたり。
さらに、俺の逃げ場を封じるようにリズとハンナが左右に腰を下ろす。
そして、この女人勢四人が先ほどから空中で目に見えぬ視線の戦いを繰り広げている。
尚、昼間から仕事もせずに飲んだくれている酔客たちの視線は、女人たちよりもどちらかといえば俺へと向けられている。
彼らの視線に込められているのは「女を何人も転がして手ひどく捨ててきたろくでなし」とでも言わんばかりの無言の圧力。
勘違いされているだけなのに、まるで自分が極悪非道なクソ野郎に思えてくるから不思議である。
……まぁ、どちらにしろ、彼らにこちらの会話は聞こえない。
エミリアの《真祖》の力によって周囲に遮音の魔法が仕込まれているからだ。
この先、会話がどのように転んだとしても、俺は彼らに誤解されたままで終わるのだ。
「いやー、これは修羅場の匂いじゃのう……」
ひとまず傍観者になることを選択したのか、征十郎と隣のテーブルに座り事態を楽しむような声を漏らすエミリア。
頼むから余計なことは言わないで欲しい。
こうした事態を面白がる
「あ、あの、ご注文は……?」
「「「あとで頼みます」」」
遠慮がちに声をかけてきた店員に対して、リズとハンナとルクレツィアの声が重なった。
「は、はい……。お決まりになりましたら、またお呼びくだ……さい……」
やや怯えながら下がっていく給仕役の店員。
あれは注文が決まっても呼んでほしくはなさそうだ。
残るジリアンは、何か言いたげな視線こそ俺に向けてはいるものの、そこに込められた感情には戸惑いが多く見受けられた。
どちらかといえば、ルクレツィアに引っ張られて仕方なくここまで来ているという感じだ。
いずれにしても、この後に待ち受けているのは面倒ごとでしかない。
先ほどから懸命に堪えてはいるが、やはり溜め息のひとつでも吐きたくなる。
そもそもこの二人が現れたこと自体、けして偶然などではなく、厄介事を持ってきたからに決まっている。
本人たちはまだ口にしていないが、明らかに俺を探してこの国まで来ているとしか思えなかった。
「それで、貴殿らはジュウベエ殿にどのような用件があるのだろうか?」
そんな俺の思いを代弁するかのように、最初に口火を切ったのはリズだった。
俺からざっくりと聞いていたことで事情をある程度理解しているのと、ルクレツィアたちに負い目があるのを知っているからこその動きだろう。
「ジュウベエ殿? これは異なことをおっしゃられますね。この方はユキムラ・クジョウ様であられますが?」
対するルクレツィアは戸惑うように首を傾げる。
同時に、それは「お前らが知らないことを自分は知っているぞ」とでも言うかのようであり、その態度を目の当たりにした俺の頭が痛くなる。
横ではジリアンが「なんでそこでいきなりケンカ腰になるんだよ……」とでも言いたげな表情をしていた。
「……そんなことは承知している。彼が公にその名を使っていない以上、そう呼ぶべきではないと判断しただけのことだ」
苛立ちのこもったリズの声。
すでに目に見えぬ戦いが始まっていた。
「左様でございますか。そのような事情をは存じ上げずまことに失礼を」
そんなリズに向けて軽い謝罪を返すルクレツィアだが、その言葉にはすくなからぬ棘が含まれていた。
そこに俺は小さな違和感を覚える。
「社交辞令は不要だ、“聖女”殿」
「では、早速本題に移らせていただきます。わたくしどもはふたたびユキムラ様にお力添えをいただきたく各地を探しておりました。ユキムラ様、どうかお戻りいただけないでしょうか?」
正面からこちらを見据えるルクレツィアに、俺は違和感を覚える。
一年以上も前のことだが、俺が勇者一行にいた頃、彼女はこんなにも自身の感情を表に出すような人間ではなかったように記憶している。
別れてから起きた変化によるものかもしれないが、それにしても初めて見る俺としては困惑せざるを得なかった。
なにかを問おうとするようなハンナの視線がこちらを向いたが、そんなことが俺にわかるはずもない。
知らんと目で返すと小さく溜め息を吐かれた。
なんだというんだ。……いや、待て。まさかとは思うが……。
「ちょっと待ってもらえるだろうか」
そこで内心の声とリズの声が重なる。
思考の海に沈みかける俺の前で次なる舌戦が始まろうとしていた。
「今さら現れていきなりなんなんだ? 別れてから一年以上も経って探しに来るなんて貴殿らは非常識とは思わないのか?」
紡がれるリズの言葉には容赦というものがまるで存在していない。
諸々の事情を知っていることもあるのだろうが、それだけでは説明がつかないほどに表情が厳しいのはどういった感情からか。
「それは……小さな行き違いによるものです。そもそも、公国の公女ともあろう御方が勇者の補佐に就いていた人間をそのまま手元に置くなど……」
国の意向を受けて動ている立場上、下手に出ることが難しいルクレツィアはどうしても言い分がキツくなってしまう。
それがリズから反感を買うと知りながらも、他の切り口で攻めることができないのだ。
「ほう、“補佐”と申すか。共に旅をしてきた仲間を追い出しておきながら、よくもまぁそのように白々しいことを言えたものだな」
痛い所を衝かれたルクレツィアの表情がついに強張る。
「あれは本意ではありませんでした。火急の事態にあって両者の意見の相違が……」
なんとか反論しようとするが、それは歯切れの悪さもあって説得力を持った回答にはならなかった。
デュランのしたこととはいえ、彼女としてはそこに言及されてしまうとどうしても立場が弱くなる。
「であるのなら、勇者殿が自分から来られるのが筋ではありませんか? あなた方がお越しになる意図がわたしにはわかりかねます」
リズを援護するように放たれたハンナの言葉は、客観的に見ても正論だった。
俺の個人的な感情――――いや、もう一行を抜けた上にやることをやった以上は正直気にしてもいなかったのだが、仮に一行を抜けただけとしても、俺を連れ戻しに来たのなら道義上は
もしも俺がここで復帰を宣言してルクレツィアたちについて行ったとしても、デュランと会えばまたぞろ問題が生じるのは陽の目を見るよりも明らかだった。
だが……会話を始めてすぐのところでここまで潰しにかかるか普通。
容赦の欠片もないリズとハンナの対応に俺は内心で閉口する。
「勇者デュランには、やむにやまれぬ事情がありまして。ですから、わたくしたちがこうして名代として……」
ルクレツィアの表情には苦いものが宿っている。
嘘や誤魔化しができない彼女の表情から、理由があるというのはおそらく本当のことなのだろう。
「なるほどなるほど。世界を救う一大事業へと戻ってきてほしい――――そう頼む場に代理を寄こす程度の事情ですか」
しかし、ハンナはそんな事情など知らぬとばかりにルクレツィアの言葉を一蹴。
言葉にこそ出さないが「さっさと帰れ」と言っているようなものだった。
「ちょっと待ってくれ。デュランが動けないのは本当だ。意識が、戻らないんだ……」
そこで助け舟を出すかのようにジリアンが絞り出すような言葉を漏らした。
ルクレツィアも当初の目的を思い出したのか、熱くなりかけていた自分を恥じるようにそっと姿勢を元に戻す。
「どういうことだ?」
ここが時機と判断して俺は口を挟む。
《聖剣の勇者》たち一行に元から好感情を抱いていないリズとハンナにこの場を任せていては、いずれはどちらかの感情が爆発して収拾がつかなくなるだけだ。
それを話し合いとは言うまい。
かといって一切を俺が取り仕切るのでは、リズとハンナが納得しない。
その塩梅を見るのにかなりの精神力を削られたが、おそらく今がその時だ。
「事情があるなら話してくれ。そうでなければ当事者として何か言うこともできない」
「わかった。……ユキムラと別れた後も、わたしたちは魔王討伐のために進んでいった。だけど――――」
そこからジリアンが語り始める。
前衛をひとり欠いた状態では、やはりそれまでのように戦うことはできなくなり進行速度は大きく低下していった。
また、援軍となる騎士をサントリア王国から派遣してもらったものの、それはサイクロプスとの戦いの中であっけなく死亡。
さらにはデュランが脚を切断される大怪我を負い、なんとか神殿でくっつけたもののそのまま意識が戻らず昏睡状態にあるという。
……なるほど、だから俺を探しにやってきたというわけか。
「デュランはこのまま目を覚まさないかもしれない。だけど、それじゃこの大陸に安定を取り戻すことができなくなる。だから、わたしたちはユキムラに頼るしか――――」
「それはいささか身勝手な理屈じゃの」
そこで新たな言葉がかけられた。
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