第133話 告死の翼


「戦闘用意! 無礼きわまりない若竜に我らの力を見せつけてやれ!」


 威嚇をすればすぐに態度を変える。

 はねっかえりな竜などその程度のものだとゴルメキオスたちは認識していた。


『どれ……。ならば、少しばかり見せてもらおうか。この時代の魔族の実力とやらを』


 しかし、魔族たちの予想を裏切るかのように、呟いた黒竜は放射される殺気をものともせず静かに地面へと降り立つ。

 それを魔族たちは明確な敵対行動であると判断した。


「斉射!」


 大剣を抜き放ち発したゴルメキオスの怒号じみた命令。

 それと共に魔族と彼らが使役する高位魔物たちが高速起動した火炎魔法が、空中を疾駆する群れとなって一斉に襲い掛かる。

 複数の魔法を統一することで、数倍の威力を生み出す全力の攻撃であった。


 いかに相手が年若い竜だとしても、一度戦うとなった以上ゴルメキオスはけっして侮らない。


 ただ存在するだけでも強力な存在として知られている竜は、通常の打撃攻撃を高硬度の鱗で防ぎ、その身に宿した膨大な魔力が生み出す障壁によって魔法攻撃を大きく減衰させる。

 仮に障壁を抜けても先述の鱗が鎧の役割を果たし、さらにその下に宿る高密度の筋肉と骨格が致命傷を阻止してしまう。

 かつて、この世界における最強の一角を占めていた竜も今ではその数を減らしているが、それでも個体同士の戦いでは圧倒的な力を有する規格外の種族なのだ。


 魔法の着弾と同時に秘められたエネルギーが解放され爆裂。周囲の土砂が粉塵となって舞い上がる。

 その向こう側で炎が逆巻き渦を形成。


 まともに浴びれば生き残るなど不可能となる高温を、しかも高密度で浴びせかけたのだ。

 たかが単体の戦力など間違いなく屠れるはずであった。


 だが、それでもゴルメキオスは勝利を確信して気を緩めるような真似はしない。


「まだだ! 連続して放て! そう簡単に竜の障壁は抜けぬ! 油断をするとこちらが死ぬぞ!」


 指揮官の指示を受け、魔族たちを中心にして高位攻撃魔法が立て続けに放たれていく。

 使役される魔物たちもなにかに急かされるように口腔から魔法を発射していた。

 まるで、それは目の前に現れた得体のしれぬ存在への言い知れぬ恐怖を拭い去ろうとするかのようでもあった。


「――――いかん! 総員、防御姿勢!」


 精鋭による一斉攻撃の最中、突然背筋に走る極大の悪寒を覚えたゴルメキオスが弾かれたように叫ぶ。


 その直後、漂う粉塵を切り裂くように現れた漆黒の線。

 颶風ぐふうとなって叩きつけられる黒竜の尾だった。


「えっ――――」


 咄嗟のことに反応できないでいる魔族たち。

 そんなものなど関係なく放たれた尾は攻撃と同時に展開していた障壁へと激突し一瞬にしてそれらを破壊。

 背後にあった肉体ごと巻き込んでそのまま水平に振り抜かれる。


 たった十数メルテンの距離にもかかわらず、超高速にまで加速した巨大質量は障壁を破壊して魔族たちの身体に着弾すると同時に破壊力を解放。

 その場で秘められた力を容赦なく伝え、直撃を受けた者たちは破裂するように弾け飛ぶ。


 一瞬にして部隊のほとんどが息の根を止められた。

 ゴルメキオス以外では、メルキーザを中心とした魔法部隊だけが、展開した障壁を利用して受け流したため、彼らを後方へと飛ばしつつも黒竜の尾の範囲から抜け出すことができていた。


「バカな……。あれだけで大半が壊滅だと……」


 愕然とした声がゴルメキオスの口から漏れ出る。

 そして、それは彼の副官を長きにわたって務めるメルキーザが今に至るまで一度として聞いたことのない声であった。


 だが、いち兵士ならともかく、副官である彼はその感情に浸ってはいられない。

 敵は未だ健在であり、反撃できるほどの力を有しているのだから。


『ふむ、躱して――――いや、受け止めてのけた者がいるか。しかし、あのように自ら視界を遮るとは愚策にも程がある。よほどの弱者を相手にしてきたと見える』


 晴れた粉塵の向こうには、振り抜いた尾を元の状態へと戻した黒竜の姿があった。


 魔族たちの戦術を評する声の響きに嘲りはない。

 ただ、失望の響きが多分に含まれていた。


「メルキーザ、私はこれから吶喊とっかんする。悪いが援護を頼めるか」


「ゴルメキオス様、それは……」


「ここでこの黒竜を倒せねば我らの任は果たせぬ。たとえ生き残る戦力がわずかになろうとも退くわけにはいかぬのだ……!」


 大剣を構えてゴルメキオスは前へと進み出ようとする。


 その背後でメルキーザをはじめとする魔法部隊の生き残りたちが持てる魔力の大半を次ぎ込んで切り札となる魔法を構築する。

 本来、この魔法はノウレジア公国の王都へ切り込んだ際、万が一脱出が不可能と判断された場合に、王都を巻き込んで人間たちへと多大なるダメージを与えるために用意されていたものだった。


 ――――これで作戦は失敗に終わるかもしれんな。


 大剣の切っ先越しに黒竜の姿を見据えながら、ゴルメキオスは副官が構築した最高クラスの障壁の中で悲壮な覚悟を決める。


『面白い。では、これで応えよう』


 開かれたザッハークの口腔に組成印が発生。生物の気配がない荒野にもかかわらず、そこへ漂う魔那が莫大な魔力へと変換されていく。

 魔法を解するだけにメルキーザたちには、それが自分たちの放とうとしている魔法にも劣らぬ威力を秘めていると瞬時に理解できた。


 だが、退くわけにはいかない。


 必殺の魔法が完成したことを気配で感じ取ったゴルメキオスは無言で前進を開始。


極大焦熱獄魔陣ギガンティック・メギド!!」


『――――“黒のほむら”』


 そして両者の魔法が放たれた。

 放たれた白と黒の火球は真正面から惹かれ合うかのように接近。


 瞬間、曇天の荒野に太陽が出現した。








~~~ ~~~ ~~~




 眩さで意識が覚醒した。


 いったいどれだけの時が流れたのか。いや、それよりも――――


 意識を取り戻したゴルメキオスは、曇天の間から陽光が降り注いでいることに気がついた。


 身体を起こそうとするが動かない。

 致命傷を受けてはいないようだが、全身の骨が軋みを上げていて動かすことができなかった。


 戦いはどうなった……!?


「ゴルメキオス様!」


 自分の名を呼ぶ声がして顔を動かすと副官メルキーザの姿があった。


「メルキーザ、どうなっ――――」


 声をかけようとして愕然とする。

 駆け寄ってきた副官が変わり果てた姿となっていたからだ。


 攻撃と同時に展開した障壁でも受け止めきれなかったのか、輻射熱で肌には所々に焼けただれた跡が見られ、左目は完全に白濁して視力を失ってしまっている。

 また左腕は肘の部分から先が消失しており、断面は炭化していた。


『目覚めたか。魔族の者』


 投げかけられた声になんとか頭を持ち上げると、そこには黒竜がまったくの無傷で存在していた。

 自分の意識が戻るのを待っていたと理解したゴルメキオスは、相手との間にある途轍もない力量差に言葉を失いかける。


「手も、足も出なかったのか……」


「申し訳、ありません。我ら以外にはもう生き残りも……」


 無念そうに呟くメルキーザの言葉も、今のゴルメキオスの脳には半分も入ってはこない。


 膨大な熱と光と衝撃波が荒れ狂った荒野。

 その一部だけが変化を遂げていた。


 赤茶けた岩肌はほんのわずかな時間にもかかわらず高熱に曝されたことによりガラス化しており、陽光を浴びて輝きを放っている。

 その中心で一切変わることのない存在こそが黒竜だった。


 もはや神話の光景を見ているようですらあった。 

 猛威を振るう破壊の奔流の前で、魔族軍の極大魔法を相殺するどころかその一部を飲み込んで余波によるダメージだけで壊滅させるなど誰が想像することができるだろうか。


『生き延びられたのも天命であろう。……く去れ。貴様らに、我――――ザッハークが舞う戦場いくさばに立つ資格はない』


 そう言い残すと、神話の世界から蘇ってきた黒竜はその場に浮かび上がり、残された魔族たちを一瞥することもなく南へと向かって羽ばたいていった。


 かくして、長きに渡る眠りから目覚め歴史の表舞台に現れた邪竜ザッハーク。

 蘇りし黒竜により瞬く間に壊滅に追いやられた魔王軍南部方面団第一侵攻隊が最初の目撃者となるのだが、隠密部隊でもあった彼らの痕跡は歴史には残らずザッハークの名が大陸史に刻まれるのはもうすこし先のこととなる。


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