第129話 Martial Law


 外界と遮断された部屋。その中には静寂のみが漂っていた。


 ……ずいぶんと趣味が反映された部屋だな。


 部屋の中を見回しながら、俺は内心で小さく感心していた。


 まず、丁寧な仕事で造られた木製の調度品類が、この空間に深い落ち着きを醸し出している。

 それと色を合わせた革張りの応接椅子ソファーなど、正直には不釣り合いなのではとひと目でわかる高級品だ。

 まさしく持ち主の趣味なのだろう。


 内部の音が外へと漏れ出ないよう魔道具による防音が施されているようだが、俺にはむしろこの部屋の雰囲気を損なわないためではないかと思えた。

 そして、そんな持ち主の“こだわり”が生み出した空間のせいで、すこし前までの喧騒が嘘のようにも感じられる。


 静謐さを湛えた空気の中、不意にノックの音が響き、俺たちの視線がそちらへと向けられる。

 ややあってから扉が開かれ、外の喧騒の一部と共に部屋の中へ一人の男が入ってきた。


「大変お待たせいたしました。皆様お揃いとはつゆ知らず……」


 やや急ぎ足で部屋の中へと入ってきた痩せぎすの中年男は、応接椅子ソファーの前へと立って鷹揚に口を開く。


「さて、本日はいったいどのようなご用件でしょうか?」


 ややこけた頬と落ち窪んだ目のせいで鋭さというよりも陰気さを強く感じるが、彼なりのにこやかさのつもりなのだろう。

 口角を吊り上げ、笑みらしきものを浮かべてこちらへと用件を尋ねてくる。


 しかし、これは来訪を歓迎するものや媚びの表情ではない。

 


 そもそも、貴族を前にして名乗りを先に行わないのだから、これはある意味挑発的な行動ともいえる。


 そんな男の“挨拶”を受けたリズは、言葉を返すこともなくその場で静かに立ち上がる。

 横に座っていたエミリアもそれに続く。


 さすがに護衛役の名目である俺は彼女の背後で元から立ったままであったが、突然立ち上がった貴族ふたりの姿に中年男の眉が面食らったかのようにわずかに動く。

 その瞬間を俺は見逃さない。


「では、まずご挨拶を。お初にお目にかかります、支部長殿。すでにご存じのこととは思われますが、わたしがリーゼロッテ・レヴィア・オウレリアスです」


 すらりと自然な伸びを見せた背筋と、わずかに張り出された胸から発せられる凛とした声の響き。

 それを受けて中年男の目がわずかに細められた。


 リズの挨拶には多くの貴族に見られがちな尊大な態度が一切含まれてはいなかった。

 相手を見下そうとせずとも、気品というものは身についてさえいれば自然と漂うものだ。

 巷で聞くこともある傲慢な貴族の態度というものは、それを有しない者が行っているだけものにすぎない。


「……大変失礼いたしました。私がこのギルド支部を預かりますモルガン・アルドワンでございます」


 姿勢と表情を正し、ギルド支部長ことモルガンは詫びを先に口にしてから貴人に対する礼を返してきた。

 その仕草に仕方なくやっているといった“動きの遅れ”は見られない。


 どうやら最低限話を聞く相手として認められたようだ。


「立ち話もなんですので座って話しましょう」


 試されたと知りながらもリズが態度を変えることはない。

 それが相手をより一層恐縮させる。


「ご配慮痛み入ります。それでお話というのは……」


「ええ。世間話の類であればよかったのですが、そうもいきそうにありません。もっとも、わたしが身分を明かしてこの場所ギルドを訪ねてくる時点である程度の想像はついているかとは思いますが……」


 もはや語るまでもないことだが、ここはいつぞや征十郎との再会を果たした場所――――冒険者ギルド・ノウレジア支部である。

 エミリアの訪問から時間をおくことなく、俺たちは冒険者ギルドへと直接出向くことにしたのだ。


 事態が事態であったため、あらかじめ先触れを出してアポイントを取っておく余裕などあるわけもない。

 ほぼそのままの足で乗りこみ、リズの身元を明かした上で目の前の男――――モルガン支部長との面会を申し出ていた。


「ええ。公女様ともあろう御方が先触れもなくお越しになられたのです。厄介事かそれに類するものであろうかとは」


 リズの言葉を受けた支部長は愛想笑いを消すと、モルガンはおそらく日頃の表情へと戻して小さく首肯する。


 ここにきて社交辞令を繰り返すような真似はしなかった。

 さすがにギルド支部を預かる身だけのことはあって、貴人に対する接し方と相手が何を求めているかを察する能力には長けているようだ。


「残念ながらその通りとなります。こちらにおられますクリムゾン男爵令嬢の国許より生物災害スタンピード発生の報が寄せられました」


 リズの言葉に、無意識の反応ではあろうがモルガンの眉根が片方だけ動く。

 男の表情に動揺が現れたのを見逃さず、そこからさらに畳みかけていくようにエミリアが口を開く。


「なにぶんわたくしのような者には王国執政府にツテがございませぬものでして……。そこでリーゼロッテ様にこの場を用意していただきました」


 エミリアは男爵令嬢の顔で喋りはじめた。


 普段の古風とでも呼ぶべきか尊大とでも呼ぶべきか判断に悩む喋り方など微塵も感じられない擬態に、俺は噴き出しそうになるのを懸命に堪える。


 気を抜けば震え出しそうになる身体を必死で制御。

 場の空気的に絶対に笑ってはいけない勝負の時間が勝手に始まる。


「大陸で独自の地位を築き上げておられます冒険者ギルドのお力添えをいただければと思うのですが……」


 必死で笑いを堪える俺の目の前で、あくまでも控えめな態度を演じながらエミリアは語っていく。


 これもすべて面倒な儀式のせいだ。


 基本的に、貴族同士が揃う会話では最上位の者が場を仕切るような暗黙の了解があるらしく、今回の場合は男爵令嬢のエミリアが公女であるリズから話を振られたことで発言を許されたことになる。

 まこと面倒臭いものだと俺たち三人は思っているが、貴族との接点も多いであろうモルガンの前でそれを無視するのはあまり利口なやり方とはいえない。


 いずれにせよ、たったひとりでギルドとやりとりさせるわけにもいかないため、エミリアにはなんとか貴族らしく振る舞ってもらい、それをリズが補佐という手間のかかることをしなくてはならないのだ。


「つきましては、ギルドよりノウレジア王国の冒険者に対して警戒宣言を発令の上、防衛の体制を整えていただきたくお願いに上がりました」


 最後をリズが引き継いでようやくひと安心といったところだ。


「ス、生物災害スタンピードですか……。いやはや、それはなんとも困りましたな……」


 言葉とは裏腹の乏しい表情のまま、モルガンは両手を組み合わせて困惑を示す。


 元々の顔はともかくとして、この老獪な男が内心の感情をそのまま表情に出すようなことはあり得ない。

 かといって、反射的に湧き出てきた緊張感を隠そうとしているわけでもなかった。


 この様子では、半信半疑といったところか……。


 ある意味、ここまでは俺たちの想定通りに推移している。


「一刻を要する事態であることはご理解いただけると思いますが」


 リズはさらに追撃の言葉を向ける。


「たしかに警戒宣言を出すことは可能です。それと同時にノウレジアへの兵力の動員も依頼することはできるでしょう」


 モルガンは簡単に言ってのけるが、これがどれほど異様なことかは冒険者ギルドが存在しない国の人間にしかわからないだろう。


 ザイテンの街でリズとはじめて出会った時にも垣間見えたことだが、冒険者ギルドは様々な国が存在するルカレシア大陸に存在する民間の組織でありながら、不思議なまでに高い独立性を有していた。

 これは過去に冒険者ギルドを立ち上げた異世界から来た勇者が、ある種の既成事実を作り上げることに成功したためとも言われている。


 この背景には、対魔族戦線に兵力を割かざるを得ない各国の慢性的な“人手不足”があった。

 そこに目を付けた最初期のギルド首脳部は、足りない人手を業務委託として補うことで、自分たちの存在なしでは国家運営にも影響が出てしまうという事実を各国首脳に身体で理解させようとしたのだ。

 そうして冒険者制度が始まり、しばらく経った頃にはもうどうにもならないところまできていた。

 当初の目論見通り、今さら冒険者に頼らず治安維持業務などを行うことはできなくなっており、またギルドを国に取り込もうにも各国に支部ができているせいで下手な動きは他国との関係に影響を及ぼしかねない。


 貴族でもない社会階級出身者で構成される冒険者ギルドが、異例ともいえる利権を築き上げられたのは勇者発案のこの戦略が見事にハマったためである。


 それと同時に、長年に渡って積み上げてきた有形無形の功績があるからこそ、貴族――――いや、あまりにも理不尽な要求であれば、王族の要請であっても跳ね除けられるだけの力を冒険者ギルドは誇張抜きに有しているのだった。


「では、なにが問題なのですか?」


 リズはモルガンの反応の意味がわかった上で訊き返す。


 そう、先ほどいかに冒険者ギルドに高い独立性があるとはいえ、今回の件で警戒宣言を出すとなれば話は変わってくる。


 ノウレジア王国で冒険者を動員させるためには、それなりの大義名分が必要となる。

 生物災害ともなれば、本来は国家が兵力まで動員した上で対応しなければいけない事態だ。


 だが、事態の報告をもたらしたのはまるでギルドに関係のない他国バルベニアのいち貴族令嬢だ。


 これでもしも今回の生物災害が誤報であったとしたら――――。


 ギルドは大いに面目を潰すことになりかねない。


 そんな葛藤が、ギルド支部長たるモルガンの腰を重くしているのだ。

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