第128話 幕間~その頃の勇者たち④ 邂逅と西風~


 《聖剣の勇者》デュランが意識を失ったままになってからはや半月。

 彼をアリエルひとりへと任せたルクレツィアは、護衛役としてジリアンを伴いノウレジア王国の東側に位置するカレンシア王国の王都へとさしかかろうとしていた。


「ここでなにかつかめれば……」


 道中、立ち寄った街でユキムラの情報を探ってはみたものの、ここに至るまで何の手掛かりも得られてはいない。

 この大陸で目立つ風体をしていながら、それらしき人間の痕跡がないというのはいささか奇怪に過ぎた。


 ここから東へ向かえば、列強国と呼ばれ対魔族戦線を支える役目にも大きく寄与しているオルソリア帝国となるが、人が多くなればなるほどに痕跡もまた比例して増えていく。

 そのような場所を、あのユキムラが目指すとはどうしても思えなかった。


「なぁ、ルー。やっぱりユキムラは国に戻ったんじゃ……」


「いいえ、ジリアン。何度も言うようですが、魔王討伐なくしてあの方が国許へ戻ることはできません。かならずこの大陸におられるはずです」


 ルクレツィアを愛称で呼ぶジリアンへと静かに返し、彼女は先を急ごうとする。


 実際、彼女の推測はさえ除けば、かなりの精度のものであったといえる。

 もっとも、魔王が既に討伐されていることを知る人間などほんのごくわずかにすぎないため、彼女がその可能性に至らないのは無理もないことだ。

 にもかかわらず、すぐ隣国にまで辿り着いているのだから、ここで大きな間違いさえなければいずれはユキムラの下へと辿り着くはずだった。


「にしたって、わたしたち二人で探すなんて無茶な話だって。やっぱりデュランの回復を待つべきだったんじゃ……」


 旅の疲れというよりは慣れないことへのストレスを感じている様子だった。


 ジリアンが元々こういった人探しのような地道な行動を苦手とすることは承知していたつもりだった。

 しかし、こうも街に入ろうとするたびに似たような遣り取りを繰り返されては、教会では聖女と呼ばれるルクレツィアとて辟易せざるにはいられない。


「そんなことをしていては――――」


 苦言を呈そうとしたところで、突如としてルクレツィアが振り返った。


 視線の先にはたった今すれ違ったばかりの後ろ姿。

 この大陸ではまず見ることのない異国の衣装に彼女の意識は釘付けになる。


「お、お待ちください!」


「おい、ルー!」


 短く叫んで足早に駆け出すルクレツィア。ジリアンも慌ててそれを追いかける。


「ユキム――――」


 着物姿の男の正面へと回り込んだルクレツィアが放った言葉は途中で止められる。


「なにか?」


 深編笠を上げてルクレツィアに顔を見せた男は、彼女たちの探し求める人間ではなかったからだ。


 笠を取った男の風貌は、ユキムラよりもいくぶんか齢を重ねていた。


 ――――どこか、似ている?


 ルクレツィアは不思議な感覚に襲われていた。

 眼前に立つ異国の男は、鋼の棒が刺さっているかのように伸びた背筋をしており、衣服の下には歴戦の猛者を思わせる肉体が隠されている。

 見た目こそ似つかないものの、その風格を覚える立ち姿にルクレツィアはどこかユキムラに似た何かを感じ取った。

 もしかすると、それがあったからこそ彼女は男を探し人と見間違えてしまったのかもしれない。


「あ、その……。たいへん失礼致しました。こちらの勘違いでございました……」


「……構わぬよ。この大陸で私のような恰好をした存在はさぞや珍しいことであろうからな。時折、このように尋ねられることもある」


 小さく頭を下げるルクレツィアに、衣装の袖を摘まんで両手を軽く掲げて見せる異国の剣士。

 目の前の少女が、必要以上に気に病まないようにしているのがわかった。


 そして、気取らないその涼やかな立ち振る舞いがなぜかユキムラの姿を連想させた。


「もし――――もしご存知であればなのですが、齢二十半ばほどで目つきの鋭い、おそらくあなた様と同郷の剣士にお心当たりはございませんか? 他には――――」


 なにか手がかりがあるかもしれない。

 そこからルクレツィアは思い浮かぶ限り、ユキムラの外見的特徴を語る。


 彼女の言葉を横で聞くジリアンはしきりに感心していた。

 よくもこんなにもかつての仲間のことを覚えていたものだと。


 ――――いや、ちょっとおかしくはないか?


 ジリアンは次第に違和感を覚えていく。


 最初は彼女だけでなくアリエルでも、さらにはユキムラを毛嫌いしていたデュランであっても口にすることができる内容だった。

 だが、詳しくなるにつれてルクレツィアの言葉は、ユキムラを仲間以上の対象として意識していなければ間違いなく出てこないであろうものになっていく。


 ――――まさかルー、お前……。


 ついに疑念が湧き起こるが、それをジリアンはこの場で問うことはできなかった。


「フム……。直接会ったことはないが、西にあるノウレジアで同郷の者らしき剣士の話は耳にした記憶がある」


 もちろん、それは嘘だった。

 話を聞いたどころか、ルクレツィアが探し求める剣士とは旧知の間柄であり、先日様子見とはいえ剣を交えてきたのだから。


 目の前の少女が、ユキムラと浅からぬ因縁があることを看破した柳生実政は、すぐに脳内で筋書きを組み立てていく。


「私は先日ノウレジア王国を通ってこちらに流れてきた身だが、王都を拠点とする二級冒険者でかなりの腕利きだとか」


「その方はノウレジアには長くおられるのですか?」


 先日間近でまみえたユキムラの直接的な特徴には触れず、実政はいかにも人から聞いたような口調で語る。

 ユキムラが見れば大した役者だと呆れたことだろう。


「いや、少し前にどこからかふらりと現れたようで、一か所に長く留まるつもりかはわからぬ。もし探しているのであれば急ぐといい」


 さりげなく背中を押しておくことも忘れない。


「ありがとうございます。あなた様もどうかお気をつけて」


「ああ、お嬢さんが探し人に出会えることを旅路から願っているとするよ」


 最後にもう一度頭を深々と下げ、足早に去っていくルクレツィア。

 その後ろ姿を見送って、実政はふたたび深編笠を目深に被る。


「……なんともよくモテるものだな、ユキムラ殿よ。まぁ、勝手に柳生の名前を使ってくれたのだから、これくらいの意趣返しはしておかねばな」


 運命の悪戯かと思うような出会いを終え、オルソリア帝国へと向けて歩く侍――――柳生実政は、深編笠の中で小さく微笑む。


「またなにか“仕込み”をされていたのですか」


「琥太郎か……」


 すっと傍ら後方まで忍び寄ってきた気配に実政は気付いていた。

 なにもしなかったのは見知った存在だったからである。


 風眞フウマ忍軍。

 かつて八洲東国を支配していた宝条家子飼いの忍集団であり、西の伊駕イガ甲駕コウガと並ぶ存在だった。

 主家が屈した後も最後まで夜刀神家に従うことなく、差し向けられた討伐軍によって滅亡したとされている。


 しかし、実際のところ彼らは壊滅などしてはいなかった。


 天下原の戦い以降も存在していた反夜刀神家勢力と同じく八洲を脱出し、新たな主君と活躍の場を求めてこの大陸へと渡っていたのだ。

 そこで彼らが見つけた新たな主君こそが――――


「御身は我らが旗印。いつまでも浪人のようなお考えであられては……」


 苦言を受けた実政がやや気だるげに視線を動かすと、視界に大陸冒険者風の衣装を身に纏う黒髪の女の姿が映る。


 六代目風眞琥太郎。この地に渡りし風眞忍軍の頭領だ。

 たとえ異国に落ち延びる形であっても風眞忍軍を存続させるため、五代目琥太郎が夜刀神家との最後の戦いの前に腹心の部下を中心とした精鋭に託したのが彼女だった。


「今の俺はただの冒険者だ。それに、貴様らを拾ったのだってただの気まぐれに過ぎん。これが嫌だと申すならどこへなりと行くがいい。この大陸、忍の能力を求める国は多々あろう」


 実政の率直な物言いに、琥太郎は押し黙ってしまう。


「……そのように無体なことを申さないでいただきたい」


「許せ、からかっただけだ」


 実政は小さく笑うが、琥太郎の眉根は寄ったままだ。


 ――――本当にこの方は……。


 彼女が現在主君と仰ぐ実政は、言ってしまえばかたきの身内同然の存在である。

 彼の父である柳生宗貞は夜刀神幕府大老であり、風眞忍軍討伐に関わっていないとは言い難い存在だ。

 そんな因縁のある身でありながらも、実政は風眞の生き残りたちを配下に置くだけの実力と風格を持っていた。


 いかに正式な流れで六代目を受け継いでいないとはいえ、琥太郎とて彼の側で戦えるだけの実力は有している。

 そんな彼女であっても、未だに実政の実力の底が片鱗さえも見えないのだ。


 事実、最初にその命を狙った際にはなすすべもなく無力化されていた。


「それで何の用だ」


「帝都を離れられている間に宮廷よりお召しがありました。つきましては寄り道などされませぬよう」


「さてな」


 おおよそ普通の人間であれば感情の揺らめきが生じかねない言葉を受けながらも、実政は特に感慨を受けた様子もなく短く返す。

 琥太郎には主君の真意が読めなかった。


 いつの間にか辺りの人通りは途絶えていた。

 実政から十五メルテンほど先から歩いてくる二人組の男の姿があるだけ。

 これといって特徴のない旅人風の出で立ちをしており、もうすこしで王都へ辿り着けるからか会話が弾んでいるようだった。


 漂う気配も凡庸そのもので殺気の欠片も存在していない。


 両者の距離が狭まっていく。

 琥太郎が忍の習性として警戒をわずかに強める中、両者が静かにすれ違った。


「――――ふむ。精鋭か」


 ふと立ち止まる実政。


「どうされ――――」


 琥太郎の言葉は途中で途絶。

 実政の右手にはいつの間に抜かれたのか太刀が握られていた。


 同時に背後で崩れ落ちる音が重なる。

 琥太郎が弾かれたように振り返ると、たった今すれ違ったばかりの男ふたりが地面に倒れ伏し血だまりに沈んでいた。


 ぴくりとも動かない。即死だった。

 一瞬の凶行になにごとかと口を開きかける琥太郎だったが、すでに事切れたふたりの袖口から銀色の刃が覗いていることに気が付くとすぐに周囲へと視線を走らせ臨戦態勢へと移る。


 警戒こそしていたが殺気らしきものは感じられなかった。

 いや、実際に害意をもって動き出せば気配で察知することはできたはずだ。


 だが、それ以上に実政様の動きは――――。


「もう気配はない。周囲に控えている忍に始末させろ。おそらくなにも出てはこないと思うが」


 実政の指示を受けた琥太郎は何も言わずに姿を消す。

 失態は後の働きで取り戻すということらしい。


 それを見届けてから、実政は自身が辿ってきた方向――――西へと視線を送る。


 何者の血であろうとも汚れることすらない絶対零度の刃。

 《天龍叢正てんりゅうむらまさ》の冴え渡る青みを帯びた刀身が音もなく鞘へと収められていく。


「なにもかもが踊り始めた。だが、誰もまだ真なる踊り手を探し出せてはいない」


 ここにはいない誰かへと告げるように言葉を紡ぐ実政。


「さて、どうする雪叢殿。たとえ目を背けようとも、おぬしは舞台へと上らずにはいられぬ」


 不意に、湿り気を帯びた風が西から吹きこんできた。

 夏の到来にはまだ早いながらも、それは嵐の到来を予感させるものにも似た感触を肌へと残すと、音もなく東へと去っていく。


西風ならい――――か。実に面白くなってきた」





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