第127話 スタンピード


「ス、生物災害スタンピードだって!?」


 驚愕のあまり、リズはその場で立ち上がり悲鳴にも近い声を上げる。


 声こそ上げていないものの俺も同様の衝撃を受けていた。


 生物災害スタンピード

 文字通り、それは魔物などが何らかの理由で本来の生息域から他の地域へ向けて移動することを意味する。

 これだけならば、自然界において起こり得ないことではないし、定期的に住処を移動する魔物の存在も世界各地で確認されている。


 しかし、それが大群を伴い、またとなれば話は別だ。


「ひとつ訊きたいのだが、エミリア殿。それをわたしたちに告げたということは、生物災害の予想進路は……」


「バルベニアではない。おそらく……このノウレジアとなるじゃろう」


 リズは言葉を失って応接椅子に腰を下ろす。


 八洲でも四百年以上も昔、天下を二分する有力将家の戦いの影響を受けたことで、域内の魔物の討伐が疎かになった時期がある。

 その結果、各所で生物災害スタンピードが発生し、いくつもの国が壊滅的な打撃を受けたことが伝えられているのだ。


 当時、領域を出て活性化した魔物は、低位魔物を瞬く間に喰らい尽くすと驚くべき繁殖力で増え続けていった。

 本来であれば、いかに高位の魔物が住んでいても、特定個体を中心として定期的に間引きを行うことで生物災害スタンピードは予防できる。


 だが、一度広範囲にまで拡散してしまったことで、それがかえって討伐を困難にさせた。


 結果、八洲にあった多くの国が荒廃し、復興にもかなりの年月を要したとされる。

 上條幕府の先代にあたる厳氏げんじの幕府が、たった三代で潰えてしまった背景にはこの生物災害の影響が大いにあったとも言われているのだ。


「もしノウレジアが陥落するようなことがあれば……この地を取り巻く人類圏の状況は一変してしまう」


 絞り出すようなリズの言葉に、俺もエミリアも小さく頷く。

 それはほぼ確実に起こる事態と理解していたからであった。


「じゃが、ほとんどの軍は動けまい」


 続くエミリアの声には冷淡な響きが含まれていたが、それは現実を如実に物語ってもいた。


「ああ。魔王軍を相手にするべく主力のほとんどは北方に展開しているからな」


 現在、人類諸国家連合が魔王軍に対して前線を押し上げようとしている中で、その兵力をノウレジアにまで引き戻すことは、はっきり言って困難と言わざるを得ない。


 一度下がった戦線を元のレベルに押し戻すには相当な年月がかかる上に、せっかく押し込んだ敵を勢いづけてしまう危険性もある。

 これを人類主要国家群が許容するとは思えない。


 俺の持つ手札でなにかないかと考えてみるも、すぐにそれは取り止める。

 もし仮に、ここで魔王がすでに討伐されていることをエーベルハルトなどを通じて公のものにしたとしてもおそらく意味はない。


 いや、


 長きに渡り目の上のたんこぶとなっていた脅威まおうぐんが消えたことで、生物災害の終息後に人類圏の覇権を握ろうと策動する各国の思惑で、最終的には誰も動けなくなるだけだ。

 下手をすれば「生物災害など放っておけ」と言い出しかねない。


 降って湧いた災厄の報せに、俺は暗澹とした気持ちになる。


「とりあえず、冒険者ギルドを通して周辺の冒険者に非常招集をかけてもらうしかあるまい。それと同時にノウレジアの軍の動員もだ」


「ふむ。それだけの戦力が揃えば最低限は戦えるじゃろうな」


 腕を組んだエミリアが思案するように答える。


「まぁ、どれだけ魔物の数を減らすことができるかだがな……。こいつは下手に魔王軍の大攻勢を相手にするよりも厄介だぞ」


「しかし、復活したザッハークの動きも気にはなるのう。ヤツがこのまま大人しくしていると考えるのはいささか楽観的にすぎよう」


 エミリアが続けた言葉でさらに状況が悪いことを思い知らされる。


「ソイツの復活が引き金なんだとしたら本当に迷惑なヤツだ。死ぬまで寝ててくれればいいものを」


「ははは、違いない」


 エミリアに浮かぶ苦い笑み。


「だが、現実逃避の言葉だけで済ませてもおけない」


 こうなってくると、もはや自分が死ぬことを厭わず戦えば済む問題ではない。

 被害が最低限に収まるように動かなければ、この大陸に新たな暴風が吹き荒れることとなる。


 元々この大陸の出身でもない俺からすれば、ノウレジアがどうなろうと正直に言ってしまえば俺には関係ない。


 だが、それは


 八洲で起きた事例があるように、ノウレジアを喰らい尽くした魔物たちは周辺国へと広がっていくだろう。

 南に向かえばオウレリア公国があり、そこはリズの故郷でもある。


 そして、その中にはザイテンの街があった。

 たった一年過ごしただけとはいえ、知人もしくは友人と呼べる存在も少なからず存在する。


 自分が関わった人々が、魔物どもに蹂躙されるような未来を、俺は許容することができなかった。


「だが、ジュウベエ殿。事態が事態とはいえ、これだけの情報で信じてもらえると思えないのだが。こう言ってはなんだが、今のジュウベエ殿は一介の冒険者にしか過ぎない」


 苦渋の表情を浮かべながらも、リズは冷静さを失ってはいなかった。


「そこは信じさせるしかない。すくなくとも斥候を放つくらいのことをさせる必要がある。そこまでいけば、あとは最低限の役者たちを巻き込むことができる」


 逆に言えば、それが最大の問題でもあった。


 だが、俺たちにはひとつ“切り札”がある。


「なぁ、リズ。お前、歴史の表舞台に立つ覚悟はあるか?」




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