第126話 千客万来おまけつき


「たーのもう」


 エドワールが去ってからしばらくの後、リズと茶を喫していると廊下を進む足音が聞こえ、それに続いて扉が開きエミリアが顔を出した。


「今日は千客万来だな」


 屋敷の中にまで入って来てから言っても意味はないと思うのだが、このある種破天荒な《真祖エルダー》の姫に何かを言っても無駄だと判断して茶を啜る。

 その背後ではメイドが困ったような表情をしていたが、彼女にバルベニアの男爵令嬢としての身分を持つエミリアを止めろというのも酷な話だ。


 前髪部分に集中した赤の髪を旗印とし、後方の色素の薄い金色の髪をなびかせて部屋の中を進むエミリアは女将軍のような気品すらある。


「……なんじゃ。せっかく訪ねてきた美少女相手にご挨拶じゃのう」


 俺の言葉が気に召さなかったのか、エミリアの顔に不満気なものが浮かぶ。


「ああすまない。エミリアが悪いわけじゃないんだが……」


 美少女というところに言及するのは危険だと勘が告げていたため、俺はそこにはあえて及せず短い謝罪の言葉を投げかけて話の方向を変える。


「大方、この国の者が訪ねてきたのであろう?」


「その様子だと、そっちにも行ったみたいだな」


 俺の言葉を遮って口にされたエミリアの言葉を聞いて、俺とリズに苦笑が浮かぶ。

 今の台詞とエミリアの表情を見ればなにがあったかわかろうものだ。


「左様。妾の屋敷よりも先にそちらへ向かったと思って顔を出したのよ」


「どうだったんだ?」


 問いを受けたエミリアは小さく鼻を鳴らす。


「第三王子だか知らぬが、王族とはいえ礼節たるを知らぬ者に語ることなど持ち合わせてはおらぬ。早々にお帰り願ったよ。……もっとも、然るべき礼節を以って来られても、妾には語れること自体が少ないゆえ、かえって助かったようなものじゃが」


 疲れたとばかりに小さく息を吐き出し、空いていた応接椅子に腰を下ろすエミリア。


「俺たちにも知っていることと知らないこと、それとがあるからな」


 小さく笑った俺はメイドに新たな陶杯を持ってくるよう指示を出す。


「手間をかけるの」


「饗応もしないのは不義理にすぎる」


 エミリアからの礼の言葉。俺は簡潔に返す。


「そう言ってもらえるだけでも気分はよいものじゃ。特にあのような手合いの相手をした後じゃとことさらにな」


 人間を遥かに凌駕する《真祖エルダー》たる彼女でも、こういう社交的なものは苦手なようだ。

 俺も同じ気分ではあるが、回りくどい遣り取りというのはどうしてこうも精神を疲弊させるのだろうか。


 しばらくしてメイドが新たに用意した茶と陶杯を持って現れる。


 会話が始まるまでのひと時を待つかのように、互いの間に流れる沈黙。

 陶杯に茶が注がれていく音だけが部屋の中に小さく響き渡っていく。


「……それで、わざわざ足を運んできた用件はなんだ?」


 先ほどの来客の影響もあってかあまり長々と話を聞いていたい気分でもない。

 無粋な対応だとは思いつつも俺は単刀直入にエミリアへと切り出す。


「そう結論をくでない。愛しのユキムラ殿に逢いに来たと申す――――」


 大仰な物言いをしかけたエミリアだが、その途中で同席しているリズを見て言葉が止まる。


「――――のはいささか大袈裟な物言いじゃが、ちと気になったことがあっての」


 取り繕うように話題を変えるエミリア。


 狂四郎と同化したことで、彼女もまたリズの秘めた想いを理解しているため、その意識が先行しようとする感情に歯止めをかけたのだ。

 このような場で互いに影響を与えてしまうような物言いは慎むべきだと。


「しかし、《真祖エルダー》が気になるとは、どうにも穏やかには聞こえないな」


 あまりいい予感はしない。

 そんな感情を振り払うように鼻を鳴らす。


「そうじゃな。正直に申して、あまりよい話ではない」


 エミリアもふざける余裕がないのか、それ以上茶化すような言葉は出てこなかった。

 先ほどまで見せていた態度は完全になりを潜め、今はその表情に真剣さのみが宿されている。


「……ユキムラ殿は、邪竜ザッハークの名前に聞き覚えはあるか?」


 ふとエミリアの形のよい口唇から生まれ出た単語。

 数度だけ耳にした単語だったためやや時間をおいたが、最新の記憶として俺はエミリアが自分の部屋を訪れた夜のことを思い出す。


「たしか、コイツに染み込んだ血の持ち主……なんかの竜だったと記憶してはいるな」


 身にまとった羽織に軽く指を添えて返す。


「左様。かつてこの世界を焼き滅ぼさんと暴れ回った悪しき竜じゃ。《真祖》を含む何体もの強者がザッハークの前に塵一つ残すことなく消滅した」


 はるか過去の記憶にもかかわらず、エミリアの表情には当時の光景がはっきりと残っているかのように緊張を帯びていた。


 その時点で、俺の脳裏に浮かび上がってくるひとつの答え。

 気が付けば、軽く握り込んだ掌には汗が滲み出ていた。


「こういう時、できることなら自分の予感を信じたくはないんだが……。まさか、ソイツが復活するとか言い出すんじゃないだろうな」


 世界を滅ぼさんとする生物など、あの人外魔境と化した八洲でさえ神話上の存在なのだ。


 小さく肩を竦めておどけて見せた俺に対して、エミリアは笑みを見せない。

 この真祖の少女が、はじめてこの場に存在しない他者に対する緊張感を見せた。


「その可能性がかぎりなく高い。だが、それだけでは済まない事態も起こりつつある」


 エミリアの眉間に小さな皺が刻まれる。

 続く言葉を前に、不吉なものを覚えたか陶杯を握りしめるリズは小さく身構えていた。


「つい先ほど、バルベニア本国から早馬で手紙がきた。生物災害スタンピードの兆候が観測されたとな。……おそらく、復活を遂げたザッハークの覇気を受けての反応じゃ」


 休む間もなく、厄介事が津波となって押し寄せてこようとしていた。




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