第125話 もういっぺん言ってみろ
「……なるほど。殿下のご事情は理解いたしました」
抜け駆けを企む――――野心が透けて見えるエドワールとは対照的に、リズは落ち着いた様子で紅茶の杯をゆっくりと口元へ運ぶ。
発せられるその声は、こころなしかすでに冷めた響きが宿されているようにも感じられた。
自身の躍進しか考えていないと気付いたことに失望したのだろう。
結局のところ、エドワールが口にしたのは白々しいお題目だけだった。
公国での一件以降、リズも為政者は潔癖であるべきなどという幻想を抱いてはいないはずだが、それでも最低限本音を隠して見せるくらいの腹芸もできない相手と組むのは危険にすぎる。
「ですが、わたしがすでに語った内容はご存知なのであられましょう? ならば、ここで同じことを繰り返すことは必要でしょうか?」
「リーゼロッテ様、いかに公女殿下といえども、我が国の第三王子に対して――――」
「よせ、コンスタンス」
護衛の女騎士が口を開いて前に出るのを、エドワールは手を掲げて止める。
もっとも、当人の表情にもわずかながらの不快さが滲んでいた。
部下のおかげで自分は冷静になれたというところか。
「ですので――――ここは殿下が疑問に思われていることを挙げていただき、それに対してこちらが答えるべきかと」
エドワールの感情が表に出かけたことなど素知らぬ顔でリズは提案を申し出る。
自分が喋るよりも、なるべくなら相手にさせたほうがいいと判断したのだろう。
今の時点では表沙汰にできないことがある以上、齟齬が発生しないためには賢明なやり方だといえよう。
まぁ、それ以前に、他国の重要人物に同じことをもう一度喋れという行為自体が非礼にあたるのだが。
残念ながら、競争相手を出し抜こうとする意識が先行しているエドワールからはそこへ気付いた様子は見受けられない。
お付きの女騎士も同様で、主人を優先するあまりか余裕がない。
「……わかりました。それでは早速ですが、今回の件には少々不審な点があります」
リズとの温度差に苛立ちは覚えつつも、エドワールは自分の思い描く方法に進んだと思ったのか、姿勢を正すと小さく笑みを浮かべて切り出した。
「此度の賊は他国の貴族子弟から手引きを受けて侵入したようですが、肝心の痕跡が隠れ家に利用していた場所にまるで残されていないのです。これがまず異常と言わざるをえません」
その程度は掴んできたか。
俺は内心で嘆息する。
俺と征十郎で強襲した例のアジトだが、もちろん得るものなどないと勝手に判断を下して放置したわけではない。
あの時はリズの安全を最優先しなければならなかったのだ。
だが、それでも本来であれば、ハンナないしイレーヌに待機するなりして動いてもらうべきだった。
屋敷に戻り次第忍娘二人を派遣したが、その時には痕跡はすべて拭い去られていた。
他国で暗躍するというリスクを抱えていた以上、バルベニアもそこまで馬鹿ではなかったらしい。
正直なところ、試合に勝って勝負に負けた気分だ。
「生きた賊と遭遇しているのはリーゼロッテ様と、バルベニアのバーミリオン家の令嬢のみ。そこからなにか手掛かりを得ることはできないかと思いまして。事によってはこれは大きな何かとつながっている可能性がある」
当然ながら、俺たちにさえ遅れたノウレジアはこの様子ではなにひとつ掴むことができていないと見られる。
しかし、面倒なことになった。
ノウレジアはさておきとして、俺たちの関与はある程度バルベニアに知られていると思っていいだろう。
今回の件では、《
それに先日接触した貴族然とした男のこともある。
今後、連中がどのような策に出てくるまでかはわからないが、それ相応の戦力が投入される可能性は格段に高くなった。
やはり対策を急がねばならない。
「そうは仰られますが、いくら試験用とはいえダンジョンはダンジョン。死んでしまった生物があの地に吸収されてしまう以上、報告以上の証明を求められてもわたしにはなんともできません」
内心で進んでいた俺の思考を余所に、困惑したように肩を竦めて見せるリズ。
いったい誰から影響を受けたか知らないが、出会った頃よりもずいぶんと腹芸が上手くなったものだ。
「……でしょうね。しかし、あの場にはリーゼロッテ様の護衛と称する異国人がいた。これが私には不思議に思えまして」
そこでエドワールの視線が俺へと向けられる。
探るような目は、宝玉にも似た碧色の中に“澱み”を含んでいた。
権謀術数の渦巻く宮廷にいれば、否が応もなく心に歪みをきたさずにはいられない。
そして、これは八洲でも幾度となく見てきた者の目でもあった。
身分の貴賤を問わず、己が身の内に野心を秘めた人間特有のものだ。
主君殺しの数寄狂いや、天下原に散った関白殿と同じく。
「それは――――」
「これは純粋な疑問なのですがね。オウレリア公国の公女であるあなたが、なぜ異国人などを護衛にされているのでしょう? 私の記憶が正しければ、公国には《銀剣》、《剛剣》、《黒剣》といった高名な騎士がおられるはずですが」
「公国は人手が不足しているのか?」とでもと言いたげな口調に、リズの肩が小さく震えたのがわかった。
さらにいえば、そこでリズ自身が《火葬剣》と呼ばれていることに言及しない時点で、こいつらはやる気で来ている。
そう。これは“挑発”だ。
あくまでもこちらがのらりくらりと追求を躱すのであれば、別の角度から殴りつけようというわけだ。
たとえそれがエドワールの功を焦る執念が見せたある種の奇跡だとしても、この場ではそれなりの効果をもたらしてはいた。
「……彼はかつてわたしの窮地を救ってくれた存在です」
言葉と共にリズの背中からほのかに怒気が漏れ出るのがわかった。
対するエドワールがそれに気付いた様子はなかったが、背後に控える女騎士の右手の指が小さく動く。
……過剰反応だな。だが、そこそこ使いそうではある。
俺は俺で警戒を少しだけ強めておく。
「なるほど、騎士が足りないのですね。ならば、いっそのこと我が国で騎士の養成を引き受けるべきかも――――」
「殿下といえど、あまり勝手な物言いはされないでいただきましょうか」
怒気がこめられた言葉を受けたことで、エドワールははじめてリズの怒りを理解したのかわずかにたじろぐ。
そして、正面から他者の怒りを受けた
「……殿下、なにか誤解をなされてはおりませんでしょうか?」
ふたたび発せられたリズの言葉には平静さが戻っていた。
「誤解、ですと?」
先ほどの困惑から立ち直り切っていないのか、エドワールの声は歯切れが悪かった。
……ちょっとばかり危なかったが、これで形勢はある程度決まったな。
「ええ。そもそも他国に遊学するとはいえ、正式な後継者でもない人間の護衛に国の守りの要ともいうべき騎士を派遣するわけにも参りませんでしょう? それとも、殿下は陰謀論の類がお好きなのでしょうか?」
一瞬の感情の乱れこそ見せたものの、その後は毅然とした態度に立ち返りエドワールの牽制を躱してのけた。
「……な、ならば、公国の騎士の類ではない部外者を同席させたと?」
今までの話題では追及できないと思ったのか、今度は俺が公国の正式な身分を持つ者ではないことをあげつらおうとしてくる。
さすがにここまでとなると必死さが滑稽に思えてしまう。
「これは異なことを。彼は公国から正式に護衛の依頼を受けた二級冒険者です。不審に思われるのであれば、冒険者ギルドに確認をなされたらよろしいでしょう」
わざと見せつけるように溜め息を吐き出してからリズは口を開く。
「彼は我が国にて冒険者登録をしており、その後公国が雇いわたしに同道しました。先日、こちらの支部で移籍申請を出しているはずです。てっきりそれくらいのことは調べてこられたものかとばかり」
リズの言葉にエドワールの表情は凍りついていた。
おそらく今までこれほどまでに率直な物言いをされたことがないのだろう。
「よもや、我々の協力要請を拒否するおつもりか……」
エドワールは震える声を放つ。
そこには憎悪にも近い感情が混ざっていた。
しかし、先般人間を遥かに超えた化物たちと戦い生還したリズは、その程度の感情の放射などまったく意に介さない。
「まことに残念ではありますが、殿下個人への協力はできかねます。それと最後に」
すこしだけ姿勢を正すリズ。
小さく息を吐き出し、それから言葉を続けていく。
「国体にかかわる者が自国の利益を追求することは至極当然。殿下が功を焦られるお気持ちとて理解できないものではありません」
「なればこそ――――」
「ですが、双方の国には本来外交ルートが存在するはず。それを介されずに抜け駆けをされようとする殿下にお話などできようはずもございません。次は“然るべきルート”からお願いいたします」
食い下がろうとするエドワールに向けて、リズは明確な拒絶の意思を見せつけた。
「さて、お帰りはあちらにござる」
そこではじめて俺は口を開く。
部屋の扉を開き、右腕を掲げて出口を指す姿を見たエドワールと女騎士の顔に憤怒が宿る。
「き、貴様――――」
「ああ、剣を抜くのはそちらの勝手だが、間違いなく勝てるんだろうな?」
激昂しかけた両者へと、公国を敵に回す覚悟の有無ではなく、この場で命の遣り取りをする覚悟はできているのかと問う。
最初は「何を言っているのかこの蛮族は」と怪訝な表情が浮かんでいた二人ではあったが、こちらを見ているうちに徐々に顔色が蒼白になっていくのがわかった。
「くっ……! この続きはまた後日かならず!」
捨て台詞を残し、足早に部屋を出ていくエドワールとそのお付き。
すれ違う際、エドワールからは憎悪と敵意のこもった視線が投げかけられたが、女騎士からの視線には敵意と畏怖の感情がこめられていた。
さて、しばらくは夜道を歩く時には気をつけねばならないかもしれない。
すこしだけ愉しくなってきた。
「……よく切り抜けたな、リズ。ああいうのは苦手だって言ってたと記憶しているが」
足音が遠退いていくことを確認してから、俺はリズに向かって口を開く。
「わたしもいつまでもやられっぱなしではいられないからな。しかし、ジュウベエ殿。最後のあれは……」
リズの顔には不安の色が宿されていた。
さすがに公女を害するような真似はノウレジアにとっては自殺行為だが、俺を狙うだけなら話は別だ。
爵位などの公国が保証する地位を持たないからこそ、物盗りの類に殺されたと片付けることもできる。
敢えて火中に手を伸ばすことはない。
リズは言葉にこそしないものの、そう言いたげな表情をしていた。
「まぁ、ああして憎まれ口のひとつでも叩いておけば、連中の怒りはこちらに向くことだろうさ」
小さく肩を竦めて俺は部屋の中を歩く。
「さぁ、茶を飲み直そう。たまには俺が淹れようじゃないか」
窓を開け、部屋の空気を入れ替えながら適当に誤魔化しておく。
こういうのはあまり自分から語るものではないと思うのだ。
「まったく……。でも、ありがとう……」
小さくつぶやかれたリズの言葉を拾う。
しかし、リズに背を向けた俺はそれを聞こえない振りで通すのだった。
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