第124話 舞台裏からの接触


「すまない、ジュウベエ殿。ずいぶんと待たせしてしまった」


 応接間に繋がる扉の前で待っていた俺のもとへと、支度を終えたリズが急ぎ足でやってきた。


 湯浴みを終えて程ないからか、白い頬はわずかに上気しており、ふわりと漂う香のやわらかな匂いが俺の鼻腔をくすぐっていく。


 来客の素性をメイドから聞いていたのだろう。

 着替えたリズの格好は俺が思ったよりもしっかりとしたものだった。

 

 肩が見える白地のドレスは、以前見たものと似たような作りとなっており、細身ながらも均整の取れた身体つきと同時に、リズの引き締まった筋肉が柔肌の下に備わっていることを窺わせる。

 俺が渡した首飾り以外に華美な装飾をしてはいないが、これだけでも夜会に出れば彼女の持つ生来の美しさを見せつけることができるだろう。


 普段の姫騎士としての印象が強いため、やはりこういった格好をするリズを見るとどこか新鮮に感じられる。


「なに、女人の支度は時間がかかるものだ。……それに、似合っている姿を見られたら待った甲斐があるってものさ」


 軽く頷いた俺は踵を返し、そのままリズに応接間へ入るよう促そうとするが、なぜか背後の気配は動かない。


 不審に思って視線を向けると、そこには顔どころか肩のあたりまで真っ赤にした姫騎士の姿があった。


「……リズ?」


「あぁ、いやなんでもない。……そうか、似合っているのか。なら、大丈夫だな!」


 俺の問いを受けて我に返ったリズが小さく首を振り、表情を引き締めて正面に向き直る。

 彼女がいったい何に反応したのかは理解できたが、そこへ言及してはまた真っ赤になられてしまう。


「では、行こうか」


 リズとのそんな他愛のない会話が続けられないことを名残惜しく思いつつ、俺は小さく扉を手で叩く。

 やや間を置いてから重厚な造りのそれを開き、主人であるリズを先に自身も中へと入っていく。


「お待たせ致しました」


 余所行きのやわらかな声で来訪者へと向かって口を開くリズ。

 凛とした彼女の声が応接間に響くと同時に、応接椅子に座っていた男が静かに立ち上がる。


「これはこれはリーゼロッテ様。急な訪問にもかかわらずお会いいただき、まことに恐縮です」


 ……なんともわざとらしい。


 貴族特有の大仰な言葉に俺は鼻白みそうになるが、今の自分の立場から表情には出さず、リズの三歩ほど後ろについて部屋の中を黙って進み相手の前に立つ。


 エドワール・ド・ノウレジアーーーーこのノウレジア王国の元首たるアントワーヌ・ド・ノウレジアの三男にして王位継承権第三位の王子である。

 色素の薄い金髪を小奇麗にまとめており、双眸に宿る緑の瞳に細い鼻梁が貴公子然とした印象を与える。

 だが、それらに反するようにして世界を見据える視線はやや鋭い。


「いえいえ、第三王子たるエドワール殿下にこうしてお越しいただけましたこと、至極光栄に存じ上げます」


 丁寧な物言いでにこやかに応対するリズだが、朝の時間を邪魔されただけに内心では「時間が時間なのだから先触れくらいは出しておけ」くらいには思っていることだろう。


 とはいえ、さすがは公女としての教育を受けた身だ。

 そんな心の内を一切感じさせない見事な振舞いを披露してくれる。

 

「リーゼロッテ様、これは公式の場ではありません。畏まらずとも結構です。私のことは“エド”とお呼びいただければ」


 長身の美青年はにこやかに微笑む。

 そこらの初心な貴族令嬢なら、この笑みを受けただけでコロっといってしまうことだろう。


「ええ、。どうぞ、おかけください」


 だが、リズは微笑みを浮かべたままそれを流す。

 塩対応な勧めを受けたエドワールは肩透かしを喰らったように応接椅子へと座り、リズもまたそれに続いてそっと腰を下ろす。


 ちなみに、ただの護衛に過ぎない俺は無言のまま彼女の斜め後ろに立つ。

 その際、エドワールの目がこちらに向けられる。


 既視感を覚える視線。

 こちらを品定めするような、それでいて何か含むもののある目だった。


 蛮族程度には思われているんだろうな。

 いいかげん慣れてしまったいつもの光景に、俺は内心で小さく笑うしかない。


 一方、エドワールの背後にも、造りの良い騎士鎧に身を包んだ女人の姿があった。

 リズがやって来るまでずっと立ち続けていたであろうに、その女騎士は身じろひとつせずに直立不動のまま。

 この様子では、単なる家格だけで第三王子付きの騎士となったわけでもなさそうだ。

 不躾にならない程度に視線を送るが、こちらのそれに気づいているはずが意に介した様子もない。


「……それで、早速ではありますが、本日はどのような御用件で?」


「ええ、先日学園に賊が侵入した件ではリーゼロッテ様に多大なるご迷惑をおかけしましたこと、ノウレジアを代表して深くお詫びいたしたく馳せ参じた次第です」


 リズからの問いを受け、それぞれの背後に侍る者たちの挙動を余所に頭を下げるエトワール。

 躊躇のないそれを見て、俺は逆に警戒感を強める。


 こいつはちょっとばかりだな。


 一国の王子が、他国の重要人物とはいえ小娘相手に頭を下げる。

 これは何か目的があっての譲歩的な行動だ。


 そもそもこの場で第三王子程度が頭を下げたところで、実のところはなんの意味もない。

 エドワール本人が言ったように公式な場ではないのだから、外交筋から謝罪を求められればまた別途しなければならなくなるのだ。


 では、ここに来た真の目的はなにか。


「おやめください。あれは予想外の事態でした。殿下が頭を下げられるような真似をされるのは……」


 明確な物言いは謝罪の拒否と受け取られかねないため、リズとしては遠回しな物言いにならざるを得ない。

 まこと面倒ではあるが、彼女の立場が安易に振る舞うことを許さないのだ。


「これは失礼を。しかし、今回こうしてお伺いさせていただいたのは謝罪のためだけではありません。先の件で詳しくお話を伺いたく思いまして」


 やはり、か。

 俺は納得していた。


 国の大物が自ら訪ねて来たのだ。

 その目的についても予想はついていたのか、リズに動揺は見られない。


「それであれば、関係者にはすでにお話しているかと思われますが……?」


「ええ。しかし、私はリーゼロッテ様から話をお聞きしたかったのです」


 このまま必要以上に迂遠な会話が続くことを嫌ったのか、エドワールはここで自ら本題を切り出してきた。


 ハンナが書状を携えて公国に向けて旅立ってはいたものの、さすがにまだ日が浅い。

 一刻を争うとは言っていないため、国主たるエーベルハルトから正式な外交筋を通してノウレジアに話が行くにはまだ日を要するはず。


 そうでありながら、第三王子が動いたのはどうも妙だ。


 ……これはほぼ確実にエドワールの独断であろう。

 国王たるアントワーヌが指示を出したのであれば、より大規模な面子でこの屋敷に押し掛けてきているはずだ。

 正式な書状なりを携えて。


 しかし、予備品である第三王子だからと一概に侮ることは慢心というものだ。


 実際に“やんごとなき身分”とされる者が動いていることにかわりはない。

 それは、あの事件の報告をノウレジアの一定勢力が額面通りに受け取っていないことの証左でもあった。

 今回の訪問にしても、この第三王子を推す人間が仕向けた可能性とてある。


「直接、ですか…」


 予想していた以上の直接的な物言いを受け、リズは困惑の表情を見せる。

 どう答えるべきかで悩んでいるのだ。

 すでに話すことは語ったと拒否することも可能だが、それでは相手の疑いを無意味に深めることへとつながりかねない。


 そんな時、ちょうど応接間の扉が控えめに叩かれた。

 メイドが手配していた紅茶を運んできたのだ。


 意図せずして会話が中断される中、それぞれが表情とは別で会話に必要な思考をまとめていく。

 陶器が触れ合う音がわずかに響き渡る中、束の間の時間が静かに過ぎ去っていく。

 

「正直に申し上げれば、あれは学園側の警備上の不手際と言っても過言ではありません」


 メイドが退室すると同時にエドワールが口を開く。


 出された紅茶には手を付ける素振りもない。

 せっかくの上質な茶葉が勿体ないものだと肩を竦めたくなる。


「ですから、責任を持つはずの彼らが一言一句違わず……というのはいささか大げさですが、それでも私には自分たちに不利益になるとも限らない内容を馬鹿正直に伝えてくるとは思えなかったのですよ」


「……道理ではありますわね」


「まぁ、身内の恥を晒すようで恐縮はありますが、これでなにかしらの新たな事実が判明するかもしれないのです。ご協力いただけませんでしょうか」


 エドワールの発言は、かなりの攻め姿勢と言えた。

 身内を疑っているように見せて、実際はこちらに「なにか我々に隠し立てをしてはいないだろうな?」と訊いているに等しい。


 物言いこそ丁寧ではあるが、正直なところ当事者からすればあまり気分のいいものではなかった。

 何かしらの証拠を持ってきているわけでもない以上、俺たちが事件に関与していることは事実だとしても、エドワールの物言いは現時点では当てずっぽうに等しい。


「大陸諸国家の平和のためにもぜひ――――」


 エドワールはここぞとばかりに話を大きくした。


 


 こうもあからさまだと笑いたくなるが、様々な勢力から国土を囲まれているノウレジアの生き残り策を目の当たりにした気分にはなれる。

 各国の貴族子弟を集めることで安全を確保している以上、ノウレジアとしては関係国を巻き込みかねない不安要素はとにかく早いうちに潰しておきたいのだ。


 そして、おそらく――――。


 エドワールはこの事件を国内における自身の勢力拡大に利用しようとしている。


 当面、退屈な思いはせずに済みそうだな。


 突然の来訪者が持ちこんできた面倒事の起こる気配。

 俺はわずかながらの不快感を覚えると同時に、“新たな予感”を覚えていた。




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