第123話 踏み出す一歩


 王都カレジラントの東から朝日が昇る。

 夜露を宿した木々へと生まれたばかりの陽光が差し込み、眩いばかりの輝きを放っている。

 暗い夜が終わりを告げ、生命の多くが活動を始める中、小鳥たちが目覚めを促すかのように鳴き声を上げていた。


 そんな穏やかに過ぎていく朝の時間に、鈍い音が澄んだ空気に響いては消え、そしてまた新たに生まれていた。


「踏み込みが甘い。腰が引けているぞ」


 高速で叩きつけられる振り下ろしを、俺は右手のみで握った袋竹刀で受け止めて口を開く。


 掲げた腕の先には、一気に間合いを詰めようと跳躍した状態でいるリズの姿があった。

 実戦を想定しているため、ほぼ軽装と呼べるまで身軽にしたミスリル銀の鎧を纏っている。


「くっ――――」


 今の一撃で決められるなどと思ってはいなかったようだが、それでも跳躍の力と体重を載せた全力に近い攻撃を片腕だけで阻止されたことに、リズの表情に少なからぬ衝撃が浮かぶ。


 しかし、いつまでも呆けてはおらず、そこからの立て直しは速かった。

 微動だにしない俺の袋竹刀を押し返すことで後方へと反発する力を生み出し、間合いを稼ぐ手段にしようとする。


 こちらから積極的に攻めるつもりはないが、かといって受けるばかりでは鍛錬になどなりはしない。

 追撃というにはやや勢いが足りないが、それでも喰らえば苦悶せずにはいられないくらいの力で横薙ぎの一撃を放つ。


 間近に迫る剣閃を前に、リズは身体を大地の力に任せて、膝をすっと抜いてその場に沈み込んだ。

 脱力からの見事な緊急回避により、俺の放った一撃は空を切るに留まる。


 想定外の動きを見せたリズに、俺の眉が無意識のうちに動く。


 あの日の夜、リズは自分も強くなると決意を口にした。

 だが、予期せぬ死線を潜り抜けたことで、彼女の身体はすでに一段階上の動きを自然の内に体得していたのだ。


 ふたたび両足が大地を強く踏みしめ、瞬時に立ち上がりながら振り抜いた姿勢でいる俺を狙って突きの連続を繰り出してくる。

 最低限の身体と足の動きだけでそれを回避する中、時期を見計らっていたリズの身体が大きく旋回。

 こちらの胴を薙ごうと高速の一撃が放たれるが、軌道を読んだ俺は地面を小さく蹴って最低限の跳躍で後方に跳んで避ける。

 未だ闘志衰えぬ剣姫に追撃を諦めた様子はないが、その場の小手先ではどうにもならない間合いがすでに開いていた。


 今までのリズなら、ここで一度様子を窺おうと足を止めたことだろう。


 しかし、今日の彼女は違った。


 覚悟を決めたかのように鋭い視線がこちらを射抜く。

 同時に、リズはその場で大きく踏み込んで雷光のような刺突を放つ。


 それは、二人の間に存在する空気が歪む錯覚を覚えるほどの速さだった。


「――――ッ!」


 ふたたび、両者の動きが停止。

 こちらの鳩尾へと伸びた一撃を俺は空いた左腕を掲げ、人差し指と中指を使って挟み止めていた。


 驚愕がリズの顔に浮かび上がるも、咄嗟に彼女は剣を引いて至近距離で勝負を決めるべく反撃に移行しようとする。

 しかし、こちらが力を入れて抑えている袋竹刀はびくともしない。


 ここで剣を手放し、素早く肉薄し体術に移行すればまだ目はあったかもしれない。


 だが、リズは咄嗟にそう判断することができなかった。


「きゃっ!?」


 剣を拘束した腕へと瞬間的に力を入れて引くと、突然の動きに対応できなかったリズは悲鳴を上げて体勢を大きく崩す。


 そこで俺は前へ進み出ながら、右手に握る袋竹刀を旋回させて露わになっていた細い喉元へと突きつける。


 リズも途中でなんとか踏みとどまったものの、それでもガラ空きとなった隙は大きく、俺の剣を躱すことはできなかったのだ。

 

「……参った。降参だ」


 大きく息を吐き出して、リズが全身の力を抜いた。

 それと同時に、俺も指で挟んだままであった袋竹刀を離す。


「こうして剣を交えたのは初めてだが、何か得るものはあったか?」


 互いの距離をやや空けてから、俺は小さく肩で息をするリズへと尋ねる。

 直接稽古をつけてほしい――――模擬戦を行いたいと言ったのは、他ならぬ彼女自身だった。


「いや、実際に戦ってみると様々なことがわかる。だが、まさか片腕さえ使ってくれないなんて……」


 初日なのだからこんなものだろうと俺は思っていたが、圧倒的な力量差を目の当たりにしたリズは大きく肩を落としていた。

 

 こちらは剣を握るのは片手だけに留めており、力の半分も出してはいない。


 だが、それを俺の口から告げるのはあまりに酷であるし、それではやる気を削ぐだけに終わってしまう。


 そもそも、幾度となく俺の戦う姿を見ているのだから、それはリズ自身が一番よく理解しているはずだった。


 だが、悪い話ばかりではない。

 本人は今までにない相手との戦いについてくるのが精一杯の様子ではあったが、パッと見た限りではまだまだ無駄な動きが多く、逆に言えば“伸びしろ”があるように思える。


 もちろん、それを当人に伝えないままでは意味がない。


 ――――“もし弟子ができたら、必要なことは必ず言葉でも教えろ。以心伝心なんてものは幻想だ”。


 それこそが、かつて剣の師から教わったやり方だった。


「最初に踏み込みが甘いと言ったが、あれは訂正しなけりゃならんな。次に横薙ぎを躱して踏み込んできたのには俺も驚いた」


 そう声をかけると、途端にリズの表情が明るくなる。


「本当か!?」


「ああ、左手は使うつもりがなかったからな」


 口にしてから俺はしまったと思う。

 これでは補完フォローになっていない。


「うう、素直に喜べない……」


 案の定リズはしょんぼりとした表情になる。

 こういう部分はまだ年相応に見える。


「……おいおい。そんな簡単に上達するもじゃないってのは、リズが一番よくわかっていることだろう?」


 軽く窘めてみるが、リズはいまいち納得がいっていない様子だった。


 これはハンナなりイレーヌにも稽古をつけてもらうべきだろうか?


 このまま続けても一定の成果は出せるかもしれないが、こちらが本気ではないという事実が透けて見えるようでは効率が下がる可能性もある。

 まだ彼女に近い実力の持ち主と稽古を交わすべきなのではないだろうか。それに同性の方が何かと話しやすいこともあるだろう。


 そんなことを考えていると付近に人の気配。

 視線を向けると、こちらで新たに雇い始めた使用人の姿があった。


「お取込み中失礼致します。リーゼロッテ様にお客様がお見えです」


 メイド服に身を包んだ小柄な少女が、栗色の髪に朝日を反射させながら遠慮がちに声をかけてくる。


「客? こんな朝早くからか?」


「はい、なんでも喫緊の用件だと……」


 彼女自身も常識的とはいえない来訪時間に、主人に取り次ぐべきか悩んだのだろう。

 しかし、こうして直接呼びに来るということは、相手の身分がそれなりであることの裏返しでもある。

 それは彼女の緊張した面持ちから察することができた。


「わかった、会おう。応接間に通してくれ。それと湯浴みの用意を」


 返事と共にリズは姿勢を正す。

 俺が差し出した手に袋竹刀を渡し、そのまま屋敷へと向かって歩き出し始める。


「ジュウベエ殿も一緒に出てくれ。ちょっとばかり支度に時間はかかるだろうが、待っていてほしい」


「……ん? 俺もか?」


 予想外の言葉に、思わず俺は訊き返してしまう。


「当然だろう。なにしろ、今のわたしを護衛してくれるのはジュウベエ殿しかいないのだから」


 小さく手を広げると、その場で半回転して振り向いて見せるリズ。

 すこしだけ悪戯っぽく微笑む彼女の表情には、先日までとは違うモノ――――ともすれば落ち着きにも似たなにかが宿されていた。




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