第122話 いい日飛び立ち~東へ~


 名もなき山のいただきで、封印から解き放たれ現世に蘇った太古の邪竜ザッハークは、天上より降り注ぐ月明かりを浴びながら静かに傷を癒していた。


 復活したばかりの時はざわめく周囲の有象無象に煩わしさすら感じたものが、今はもう付近に生息していた生物の気配は大きく数を減らしていた。


 ――――なんと張り合いのない。腑抜けたモノどもしかおらぬのか。


 ザッハークは小さく鼻を鳴らす。

 それと共に退屈さすら滲む感情の波長が放出されるが、その“声”が届く範囲にこれよいった生物は存在しない。

 すべての生ありし存在は息を潜め、今は突如として現れた王者の不興を買わないようにしているだけだ。


 この身に挑んできた存在もあった。


 事実、ザッハークの鎮座する山の周囲は《黒の森シュヴァルツヴァルド》と呼ばれ、ひとたび人界に解き放たれれば並々ならぬ災厄を撒き散らすであろう強大な力を持つモノも存在している場所だった。




『おのれ! この《黒の森》を侵す不届き者は誰だ!』


 発声器官を持たぬ身ながら、他者に意思を伝えることのできる念話を使いこなすのであれば、少なからぬ星月を生き抜きし存在なのだろう。

 苔生す巌のような身体は動くだけで付着した土塊を地面へと落とし、その下に隠されし光沢質の鋼にも似た灰色の鱗を久方ぶりに露とする。

 全長二十メルテンにも達する巨躯は、数十トルンの超重量を持ちながら巨木のような脚を前へと動かして岩に覆われた大地を踏みしめる。


 それはともすると、突如として現れた存在に舐められているとでも思ったのだろうか。


 それまで何者も行き交うことのなかった山へと、地響きを供として挑みにきたのは巨大な地竜だった。

 《黒の森》でも存在だけが囁かれながらも、ついぞ目撃した者はここ三百年はいない幾多の伝説に肩を並べるであろう怪物。


 歴史から置き去りにされたこの場所で、今まさにふたつの生物が衝突しようとしている。


『我はザッハーク。貴様はこの身に宿りし渇きを潤してくれるのか?』


『なにをわけのわからぬことを……! 貴様がこの地に現れたことにより、長きに渡り保たれてきた秩序が乱されておる。地岩竜アストリンゼンの怒りがその身を砕く前に疾く去れい!』


『口上だけとは実に無粋。……やってみせよ』


 ザッハークが挑むように念話を飛ばした瞬間、地竜の怒りが沸騰した。


『我を見下すか、下郎が!!』


 周囲の魔那マナまでもが超高速で地竜の身体へと吸い寄せられ、破壊力へと還元。

 アストリンゼンの口腔内で渦巻く溶岩の奔流が、火山の噴火を思わせる速度で泰然と佇む古の邪竜に向けて放たれる。


 火と土の属性を瞬時に高位魔法にまで引き上げ、尚且つ干渉させずに同時発動することは、《賢者ワイズマン》と呼ばれる魔法をいくつもの系統に渡って修めし存在であっても容易なものではない。

 まさしくこの地岩竜アストリンゼンの巨躯と膨大な魔力があってこそ可能とする自然現象の再現がそこにはあった。

 これが人の住む場所にて振るわれれば、人の子は大地の怒りと形容したかもしれない。


『しばらく留守にしていた間に、この程度の“若造”が得意顔でうろつくようになったか……』


 自身に迫る溶岩を前に、邪竜の双眸に嵌る金色の眼が細められた。


 直後、その巨躯を飲み込まんと迫る紅蓮の輝きが殺到。


 しかし――――


『ば、バカな……』


 地竜から漏れる呻きの波長。

 生まれてはじめて、アストリンゼンは震えを覚えるほどの驚愕を覚えていた。


 すべてを溶解せしめる大地の怒りは、間違いなく“新参の竜”を真正面から直撃し呑み込む勢いで放たれていた。


 ところが、それはザッハークの前に展開する障壁――――銀色の煌めきの中へと吸い込まれるように、込められた破壊力を解放することすらできずに夜空へと散っていく。


 “抵抗レジスト”ではなく、“消失バニッシュ”。

 さながら地上に舞い降りようと空を滑る星々の残滓のように、破壊のエネルギーは一瞬の輝きだけを放つとそのまま虚空へと消えていった。 


『これが、貴様の竜の息吹ブレスか……?』

 

 小さく首を傾げるように、アストリンゼンの放ちし紅蓮の息吹が周囲へと視線を送って、黒き竜ザッハークは敢えて問いを送る。


「き、貴様はいったい――――」


『もうよい。では、我から見せてやろう』


 時間切れを告げるかのように、ザッハークの全身を覆う黒曜石を思わせる鱗が妖しく輝く。

 同時に、大きく開かれた口腔に組成印が発生し、周囲の魔那が莫大な魔力へと変換。


 


 この火山を構成する地面に含まれる重金属だけが粒子として浮かび上がり、邪竜の口腔内で形成されていく魔力の渦の中へと溶けるように吸い込まれていく。


『甘んじて受けよ。これが本物の竜の息吹ブレスだ』


 地竜が見せた多重属性の攻撃ブレスを嘲笑うように、夜の闇の中でも塗りつぶされることのない漆黒の波濤にも似たエネルギーの奔流が伸びていく。


 《黒の森》の支配者に向けて放たれたそのブレスは、障壁として生み出された岩石群を一瞬にして蒸発させながら貫通。

 高熱のみならず溶けた重金属の高質量までを伴う一撃は、アストリンゼンの前に全力で展開された魔法障壁に衝突すると、数十トルンの質量ごと吹き飛ばさんと猛威を振るう。


『なん、だ、この、威力は……ッ!?』


 強烈な衝撃を受け、宙に浮かび上がりかけた地竜は即座に地属性魔法で作りだした岩の杭を大地に突き刺して踏みとどまろうとする。

 しかし、ブレスに含まれる気化した重金属がそれをたちまちのうちに溶解させ破壊。

 この地の支配者として振る舞ってきた巨躯を吹き飛ばしながら麓の地面へと衝突させると、収束したブレスが魔法障壁に亀裂を走らせそのまま消し飛ばす。

 

『こ、こんな……ことが、あってたまるかぁぁぁっ!!』


 守るもののなくなったアストリンゼンの身体を漆黒の息吹は完全に飲み込み――――周囲の溶けた地面と混じり合った赤熱した液体へと変えていた。


 その瞬間、周りで息を殺しながら様子を窺っていた有象無象の生物たちは恐慌状態へと陥り、一斉に東へと向けて我先にと逃げ出し始めていた。


『久しぶりのあまり、本気を出し過ぎたか』


 ブレスを全力で発動した反動により、ザッハークが大地を踏みしめる両脚もまた地面へと深々と沈み込んでいた。

 続いて邪竜の身体の各部から血が噴き上がり、同時にその傷口付近から放射される蒸気。

 体内を高速で駆け巡った魔力により、細胞が急速に破壊と再生を繰り返し熱が発生しているのだった。


『……まぁ、これでしばらくは静かに休めよう』


 静寂に包まれた黒の森の中、ザッハークは静かに山の山頂へと身体を横たえた。




 その日以来、この邪竜は何者にも邪魔されることなく傷を癒している。


 ――――しかし、復活したはよいが、あれからどれだけ時間が経ったのかてんでわからぬ。


 わざわざ“威嚇の咆吼なのり”を上げたにもかかわらず、小さき者どもにはそれが届いていないのか、討伐の軍勢を送り込んでくる気配すらまるでない。

 よもや自分が眠っている間にこの世を取り巻く状況が大きく変わってしまったのではないか。

 そんな疑念にも似た感情がザッハークの内心に渦巻く。


 それではつまらない。


 気の向くままに世界を焼き払わんと動いていた時期もあったが、結局彼の抱える破壊衝動は自分と向き合える存在を探していたに等しい。


 あの時、矮小なる存在でありながらも我が身を討ち滅ぼさんと挑んできた者たちは、先日消し飛ばした地竜よりもずっと手強い存在であった。

 踏み潰せばそれだけで死んでしまうはずの人間という種族が、思いもよらぬ力を発揮して邪竜の身を封印にまで追い込んだのだ。


 ともすれば、同様の境遇を持つ生命体がいないだけに、ただ死に場所を求めているのかもしれない。

 しかし、生死をかけて戦っている時こそが、ザッハークにとっては生まれでてよりはじめて生の実感を感じることのできた瞬間であったのだ。


 ――――もしも、ヤツらに比肩する存在が現世うつしよにいないのであれば、それこそすべてを我が漆黒の炎にて焼き払ってくれようか。


 感情の発露――――喉の奥から唸り声を上げると同時に、獰猛な獣のような衝動が鎌首をもたげてくる。


 まさしく本能に導かれるがままに、ただ見下ろすだけで救いを与えてはくれぬ蒼穹へと向けて翼を広げようとした、まさにその時であった。


 ――――これは……!?


 本当に、偶然の出来事なのかもしれない。

 しかし、ザッハークの鋭敏な感覚は一瞬のそれを見逃さなかった。


 我が血の気配……!


 たしかに感じ取った。

 分かたれし自身が身体の一部を纏うに相応しい、鋭い刃のような気の在り処を。

 

 それがかつて己が身を封じた存在と同じかまではザッハークにもわからない。


 だが、一瞬だけ感じ取ったそれは、たとえ誰であろうとその身より発せられる覇気を感じ取りたい――――そう思うには十分なほどの魂の輝きを秘めていた。


 弾かれるように首が東の地へと向く中、鋭い切れ目のような瞳孔が収縮。

 鰐のように鋭く裂けた口唇が蠢き、無数に並ぶ刃の如き牙が一瞬にして剥き出しとなる。

 牙と牙の間から漏れ出る呼気は、高温の蒸気となって大気中に蒸気となって放出。

 空気そのものを揺らめかせる刹那の陽炎となって立ち昇り、そして消えていく。


 意図せずして、ザッハークは“獣”の笑みを浮かべていた。


『……ならば往くか』


 抑えきれない感情が念話となって漏れ出る中、身体を起こすとおよそ千年ぶりに空を駆けるべく翼を大きく広げていく。


 ついに、古の邪竜が羽ばたく時がやってきた。



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