第116話 人にものを説明するときはわかりやすく簡潔に


 エミリアの要求は、たしかにもっともなことであった。

 すくなくとも、《真祖》という伝説級の存在が永き眠りから目覚め、国を乗っ取った可能性が高いとの情報を得た以上、それをどう判断するかの権限は雇い主であるエーベルハルトにある。


「……ここであれこれ論じても仕方があるまい、早馬を仕立てよう。こうなれば、わたしも父上に判断を仰がねばならん」


 リズもいよいよ覚悟を決めたのか最低限動くことを承諾する。


 横顔にはすくなからぬ緊張感。

 先日のような事態――――後手に回った上で窮地に追い込まれるような失態を二度は晒したくない、そんな想いが伝わってきた。


「妥当だな。ここで勝手に動く愚を犯すわけにはいかんだろう」


 今後どのように動くとしても、まずは早急に報告を行う必要がある。

 その上で、情報が然るべき場所に伝わっていないことこそがもっとも致命的な問題となり得るのだ。

 俺の判断で動くことはあれど、それにも限度というものがあるし、なにより不用意な行動はリズの立場を危うくしかねない。


「では、その役目はわたしが。機密度の高い情報を送るのであればそれなりの警戒も必要となりましょう」


 静かに前へと進み出たハンナが名乗りを上げる。

 やはりここは忍としてのスキルに優れた彼女に動いてもらうべきだろう。


「悪いな、頼まれてくれるか?」


「滅相もございませぬ。元より、我々はそのために御身にお仕えしているのです」


 こちらに向けて相好を崩し、ハンナは優雅に一礼する。

 忍として生きてきた長い年月。そこで培った技能を活かす場を本能レベルで求めているのだ。


「では俺からも。兄者、僭越ながら“かつての面々”を集めるべきでは?」


 続いて征十郎が軽く手を挙げて俺に問う。

 さすがに俺たちだけで動くには事があまりに大きくなり過ぎたと、普段であれば他者を頼ろうとしないこの男も理解しているのだ。


「……選択肢としてはありだな」


 征十郎が触れたことで、俺はかつて自分と共に戦場いくさばを駆け抜けた面々の顔が思い起こされる。

 その多くは天下原あまがはらの戦いで散ってしまったが、それでもまだ生き残っている者もいたはずだ。


 もし、ふたたびあの者たちと戦場を駆けられるならば――――己の内に滾る何かを感じずにはいられない。


「では――――」


「そう急くな。すぐにというわけにもいかんだろう。それに、連中をノウレジアここには呼べんぞ。あいつらの血の気の多さは俺でも御しきれん。目下で言うなら、旗本衆の中心人物からだな」


「では、そちらはわたしが。商業ギルド経由で八洲に出向かせて、接触を試みましょう。御身が動かれれば過剰反応を示すところもございましょう」


 そこでイレーヌがやんわりと口を挟んで提案する。


「任せる。左海さかいという街に、長いこと世話になっていた商家がある。そこを経由すれば間違いはないはずだ。幕府の目もすり抜けられるだろうよ」


「承知致しました。こちらもすぐに」


 呆気ないと思えるほど、こちらの動きはほぼほぼ固まった。


「しかし、依然として連中はこの国を優先的に狙ってきそうだな。真っ先に欲しているのは《夜魔の秘宝》だったか?」


 小さく息を吐き出してエミリアに訊ねる。


「左様じゃ。《夜魔の一族》の始祖が遺した秘宝。それを手に入れることで、秘宝を手にした者は“夜を渡る者”から“夜を統べる者”へと変わることができるとされておる」


 《夜魔の一族》。

 昨晩エミリアから寝物語に聞いたそれはその名の通り、“夜を渡る者”たちの総称を表す。

 《真祖》はかつてその頂点に立っていた最上位の種族らしく、現在の大陸に存在する吸血鬼ヴァンパイア淫魔サキュバスなどはそこから派生した下位種族に過ぎないのだという。


 ……まぁ、昨夜のエミリアのアレコレを見るに、たしかに淫魔のルーツを持っていると言われても驚くに値しない。


「そして、滅びし“夜魔の王”が封じたそれが、あの学園の地下に眠っておる」


 そう神妙な口調で語るエミリアの表情は真剣そのものだった。


「だが、それはおかしくないか?」


 そこで聞き手に回っていた征十郎が疑問を挟む。


「《眷属》相手が楽勝だったとは言うともりもないが、もしそいつを手に入れたなら、ただでさえ強力な《真祖》がより強くなるってことだろう? 」


「そうじゃな。手に負えなくなる可能性とて高い」


 にわかに姿勢を正して発した言葉に、その場にいた者の視線が一気に集まる。

 もちろん、《真祖》たるエミリアの視線も含めて。


「じゃあ、それほどまでのものがすぐ近くにあるっていうのに、エミリア、なぜ君がそれを手に入れようとしないんだ?」


 征十郎は敢えてそこへ切り込んだ。

 おそらく、この疑問は今の話を聞いていた皆が感じていたことの代弁でもあった。


「……もっともな疑問じゃな。たしかに《夜魔の秘宝》を手に入れることで、我ら《真祖》はより強力な力を手にすることができる」


 淀むこよなく語るエミリアはそこで言葉を切る。

 そこから先を口にしていいものかと迷うかのように。


「しかし、そのために数千の生命を必要とするならば、おぬしであればいかがする?」


 エミリアから告げられた言葉。

 その意味を理解した征十郎の表情が一瞬にして固まる。


 いや、誰しもが同じ反応を示していた。


 告げられた数のあまりの多さに、誰もが想像がおよばなかったのだ。


「……す、数千の命だと?」


 愕然とした表情を浮かべる征十郎。

 この男がここまでの表情を他人に晒すことは珍しい。


 つまり、それほどの衝撃だったということだ。


「そうじゃ。他者の生命を血肉に変える能力を持つ《夜魔の一族》が作り出した中で、もっともおぞましい秘技じゃよ。妾はただ己が力を誇示するために、無辜の人間を生贄に捧げてまで求めるような真似はできぬ」


 静かに瞑目しながら語るエミリアの表情には苦いものが生まれていた。

 それは、もし彼女の兄にそれが渡れば、躊躇なく使うであろうことも意味していた。


「所詮、。封印されていたとはいえ、今の世に現れて当時のように振る舞おうとするのはただの未練でしかなかろう」


 一抹の寂寥感を滲ませつつエミリアは静かに語っていく。


「今の世には、今の世の秩序がある。伝え聞いた勇者と魔王による勢力の均衡が正しいとは思わぬが、それもまた世界の選択じゃろうて」


「だが、それを受け入れられない者たちがいるというわけか」


 エミリアの言葉を引き継いで言葉を発する俺は内心で思い浮かべる。


 未だに出会った“理の外にいた者”はイルナシドと目の前にいるエミリアだけだ。


 しかし、そのたった二人でさえ、どれほど控えめに見ても、個々が大陸に大きな影響を与えられるだけの凄まじい力を有している。

 目覚めを経て、その秘めたる力を持て余し、気紛れにでも世を動かそうとすればどうなることだろうか。


「むしろ、そちらの方が当たり前じゃろう。いきなり眠りにつかされ、目覚めたらすべてが変わっていたとして、いったいどれだけの者がそれを受け入れられるというのじゃ? 人間社会に溶け込もうとした妾が異常なだけじゃろうて」


 かく言うエミリアの表情にも、己の身に訪れたものすべてを受け入れたという感情があるわけではない。

 納得はできないが、世の混乱を避けるために、あくまでもそうせざるを得ないという想いが先行したに過ぎぬのだろう。


「……であれば、なおさら放置するわけにはいかないな」


 困惑の感情が漂う空気の中、俺は言葉を発する。

 周囲からの視線が集まるが、リズにこの決断を下すことはできないだろう。


「おっ、“阿修羅斬り雪叢”の活躍が見られるわけですね」


 ……お前、さっきまで“遊女斬り”とか言って散々バカにしていただろ。


 しかし、空気を作り変える征十郎の能力は本当に抜群だった。


「茶化すな。言っておくが、俺は勇者一行に参加しても、役立たず扱いされて追い出されたような人間だぞ」


 俺が小さく肩を竦めて返すと、それまでからかう気満々でいた征十郎が怪訝な表情を作る。

 というかわずかに表情が引きつっている。


「……は? なんですかそれ? 兄者を追い出すとか真性のバカなの? というよりも、死にたいんですか?」


 背後ではハンナとイレーヌが「バカなんですよー」とか「ガキの背伸びですねぇ」とか好き勝手言っているがやめてやれ。


「俺にわかるわけないだろう」


「いや、むしろいい機会だから訊きたいんですがね。兄者が役立たず扱いされるって、いったいどういう触れ込みで勇者一行に加わったんですか?」


 怒りの感情が征十郎のこめかみあたりに漂っているが、それを押し込めて玲瓏な剣士はこちらに問いかけていた。

 よく見ればリズもハンナもイレーヌもそこまで俺が語っていなかったからか、興味深げな視線を向けていた。

 

「ふむ、それは妾も興味があるのう」


 さらに乗っかってくるエミリア。


「面白い話じゃないぞ? 触れ込みもなにも、魔族相手にどれだけ戦えるんだみたいなことを訊かれたから、「八洲の北方を荒らしていた鬼の一族を討伐した」って返しただけだ」


 俺の言葉を受けてますます首を傾げる征十郎。


 今になってよくよく考えてみると、俺からしても疑問はある。

 こう言っては悪いが、監督役とか師としての役割でもなく、魔族ではなく魔物に属されるような低位の敵に苦戦するような一行に加えられた理由が未だにわからないのだ。


「もしかして……」


 ひとりだけ得心に至ったような表情を浮かべるリズ。


「どうしたんだ、リズ?」


「その……八洲の鬼というのは、大陸で見られるオーガ種とは違う存在だったりするのではないか?」


 自分の推測に自身がないのか、遠慮がちに問いかけてくるリズ。

 というよりも、それはまるで自らの推測が間違いであってほしいかのように見えた。


「オーガ? あの図体だけデカいくせにトロい連中か?」


 そう口にしながら、俺はつい最近討伐したオーガウォーリアーとオーガロードの姿を思い起こす。


「いやいやいや。あんなのとは全然違う。八洲の鬼の見た目は人族と同じようなもので、どちらかというと頭に角を生やした魔族とでも…………あっ」


 俺の後を続けた征十郎の目が途中で点になった。

 事態をほぼほぼ理解したらしきリズが「あちゃー」と両方の手で顔を覆っている中、俺もようやく長年の謎が解けてなんとも言えない気分になった。


 一方で、ハンナとイレーヌは依然として首を傾げたままだ。


「もしかしてだが、サントリア王国の人間はジュウベエ殿の実力を単身でオーガが倒せるくらいにしか認識していなかったのでは……?」


 あくまでも――――あくまでもそれは予想でしかない。

 だが、もしリズの述べた推測が真実であったならば、それはあまりにもひどい認識の差だ。


「あー……。なんともまぁ、最後の最後で締まらない話じゃのう……」


 俺たちの愕然とした表情を見て、小さく苦笑を浮かべたエミリアの言う通りだった。


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