第114話 リズ様が見てる!


 朝のひと騒動からややあって、俺たちは会話の場所を応接室へと移していた。


 この前に朝食の時間を挟んでいたのだが、それはやはりお世辞にも和やかな空気とは言いがたかった。


 当事者であるエミリアは空気を一切読むことはなく、躊躇なく社交辞令的に勧められた朝食の席に座り、俺の食欲を少なからず減退させてくれた。

 また、第一発見者たるハンナとイレーヌも、メイド服に身を包んでいる以上はしっかりとその仕事をこなしていたが、それでも時折エミリアに向けられる視線に対抗心にも似た感情が混じっているのは俺にも伝わってきた。


「まったく、年頃の乙女がこんな真似をするなど……。それにジュウベエ殿もジュウベエ殿だ。そんなことをしなくとも、もっとちかくに……」


 そして一番取り乱していたリズは、未だにこの反応だ。

 幾分かの落ち着きを取り戻しはしたものの、彼女はそう簡単には感情を処理しきれないのか、食後の紅茶を口にしながらぶつぶつと文句を言っていた。


 ところで、エミリアが《真祖》であることを考えると、外見年齢などまるでアテにならないので“年頃の乙女”という表現はあてはまらない気もする。

 だが、それを口にした瞬間、この場にいる女性すべての矛先が俺に向くことだろう。

 ここで自分の首を絞める真似をするわけにはいかない。


 それ以前に現実逃避しているわけにもいかぬ。

 後半部のよく聞こえなかった部分が大いに問題となってくるからだ。


 俺の読みが間違っていなければ、リズのこの反応は、自分に手を出さずにぽっと出のエミリアに先を越された悔しさだとか自尊心への打撃ダメージだとかの諸々からきているものだ。

 つまり、リズと行動を共にしてからの期間で、彼女が俺に向ける感情、その距離が思った以上に近くなっていることを意味している。

 狸親爺エーベルハルトの思惑通りに進んでいる気がしてならないが、俺自身もそろそろ覚悟を決めるべきなのかもしれない。


「その……。リーゼロッテ様、あまりユキムラ殿を責めないでくれぬか。妾が我儘を申し、自制ができなんだからこうなってしまったのじゃ……」


 さすがにリズの反応を見て、勢いだけで突っ走ったことがまずかったと理解したのか、エミリアが困ったような表情を浮かべて頭を下げる。

 そこにはリズとの信頼関係を失いたくないという想いが垣間見えた。


「……わかった。いつまでもグチグチ言ってると自分が悪者みたいに思えてくる。それに、あれこれ事情を聞いてしまうと、わたしもあまり口やかましく言う気にはなれないしな……」


 長く大きな溜め息が漏れる。

 さすがのリズもこうされては強く出ることができなかったようだ。


 自身の感情が先行しそうになる中、貴族の令嬢として育ち自分の想いを優先させられない環境で育ったゆえの忍耐力と、エミリアの抱える“事情”を想像してしまったからだろう。

 こういうところが不器用であり、そしてまた彼女の魅力のひとつなのだと思う。


「まぁ、兄者のは昔からさ。剣を振るっていないと抜けてるところも多々あるから。あまりに気にしていると疲れるだけだよ」


 いつの間にかやって来ていた征十郎が肩を竦めながら口を開く。

 うんうんと頷いているハンナとイレーヌ。なにげにリズまでもが一瞬首肯しそうになっていたほどだ。


 たしかにそうかもしれない。

 だが、征十郎。お前にだけは言われたくないぞ。


 とはいえ、征十郎が冗談を挟んでくれたおかげで幾分か空気が弛緩した。

 さすがは色街を渡り歩き、自分自身で幾度となく修羅場をくぐっているだけのことはある。


「ところで、いい機会だからひとつ訊いておきたいのだけれど」


 このまま微妙な空気そのものを変えてしまおうと、征十郎が話題を切り替えにいく。

 すさまじく頼りになる弟分の支援に、先ほど下した評価もどこかへいってしまいそうだ。


「なんで、エミリアはリズちゃんのことを“様”づけで呼んでいるんだ?」


 それは俺もかねてから気になっていたことだ。

 これだけ古風な喋り方をするエミリアが、今の時点で唯一“様”づけで呼んでいるのはリズだけだった。


「あぁ、それは……」


 そういえば説明していなかったかといった表情でエミリアは語り出す。


 なんでも、ほんのすこしだが先に入学していたリズが、後から入ってきたエミリアの振舞いが不慣れゆえのものだと思って話しかけたらしい。

 もしかすると、それは周りに知る者のいないリズ自身の孤独感を紛らわすためだったのかもしれない。


 だが、その背景はともかくとして、途方もない時間が経過していたため人間社会での振舞いがわからず困っていたエミリアにとって、打算や下心などなしに接してくれる人間の存在は《真祖》であっても勇気づけられたのだという。


「だから、妾は人間だとか《夜魔の一族》だとかは関係なく、敬意をこめてリーゼロッテ様と呼んでおるのじゃよ」


 まるで我が身のことのように、柔らかな笑みを浮かべて答えるエミリア。


 その言葉の効果は大きかった。

 なにしろ、それまで警戒心を漂わせていたハンナとイレーヌの表情までもが緩んだほどだ。

 なんとなくだが、これならエミリアと上手くやっていけるのではないかという予感も俺の中に生まれてくる。


 一方、当のリズは少しだけ眉を寄せ、「そんなことをしたかなぁ……」という表情を作っている。

 このお姫様、どうやら自分自身が何の気はなしにやったことを覚えていないらしい。


 ……うん、ちょっとばかり浮世離れしているところはあったな。


「ちなみに、リーゼロッテ様は他の女生徒にも同じようなことをしていた関係で、結構な数のファン層がおるのう。同時に男どもからは並々ならぬ嫉妬の感情が……」


 そこでエミリアの笑みが苦笑に近くなる。

 思い当たる節があったのか、リズの顔が「あー、もしかして……」というものへ変わっていく。


「……俺が言うのもなんだが、リズは学園生活でもうすこし気を配ったほうがよさそうだな」


 加えるなら、なるべく俺は学園に近寄らない方がよさそうである。

 のこのこ出て行ったら、リズのファンとやらにどんな目で見られるかわかったもんじゃない。


「うぅ、面目ない……」


 リズはふたたび顔を赤くして震える。今度は羞恥のそれだ。

 自分のなにげない行動でそんなことが起きていると気付いて、途端に恥ずかしさがこみあげてきたらしい。


「でも、その裏表のなさがリズのいいところだと俺は思うぞ」


 俺は素直に評する。

 すると、先ほどまでとは別の意味合いでリズの顔が赤くなっていく。


「あー、出ましたよー。色男の何気ない言葉。破壊力高いですねぇー」


「これを狙ってやっていないんだからタチが悪いですよねぇ」


「さすがは古都で暴れ回った“遊女斬り雪叢”」


 ハンナとイレーヌが聞こえよがしに口にし、面白がった征十郎が火を点ける。


「そこ! 勝手なこと言うな! 特に征十郎! 最後に余計なことだろ!」


 俺の言葉で当初の雰囲気はどこへいったのか、部屋の中が大きな笑いに包まれる。


 そして、いつの間にかエミリアもその笑いの中へと加わっていたのだった。



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