第113話 朝が苦手な君だから


 布団から露出した顔を、夜の間に冷やされた空気がそっと撫でていく。

 眠りの浅くなったところに、わずかな窓の隙間から入ってきた空気が俺の意識を覚醒へと導いたのだ。


 ノウレジア王国の首都カレジラントは大陸の中央部から北に位置しており、夏となってもオウレリア公国やさらにその南にある南方諸国家のような激しい暑さに見舞われることはない。


 そして、今の季節は春。

 朝晩ともなれば気温も冷え込み、掛布団を用意しなければ寒さによって安眠を妨げられてしまう。


 今現在俺が暮らしている場所の気候について意味もなく考え始めたことで、完全には目覚めていない頭がほんのすこしずつだが動き出したと教えてくれる。

 ふと、俺はそこで傍らに自分以外の体温があることに気がついた。


 首をわずかに動かして視線を左側に持っていくと、布団が自分の身体だけではありえない盛り上がりを見せていた。

 ほぼ同時に小さくもぞもぞと動くその膨らみ。


 小さく布団をめくると、純白の中に幾分かの赤色が入った艶のある髪の毛が飛び込んできた。

 さらにその下にはあったのは、裸身の少女――――《真祖》エミリアが小さく寝息を立てる姿。

 シミひとつない白磁のごとき透き通るような肌と、女性としての肉付きが出来上がりつつも儚さを併せ持つ肢体は、雄としての欲求をほのかに掻き立てられそうになる常識外れの美しさを見せつける。


 しかし、彼女が一糸まとわぬ姿で俺の寝所にいる理由はなんだろうか。


「……そうか」


 働きを取り戻した脳が記憶を復元させた。

 昨夜の“手合わせ”の後、エミリアに迫られた俺は、求めるがままに彼女を受け入れたのだった。


 その後の記憶なども辿りながら首元に手を持っていくと、ふと指先に硬いものが触れる。

 そこにあったのは、すでに治癒が終わり瘡蓋かさぶたとなったふたつの痕跡。


 それはエミリアの牙が俺の身体に突き立った名残であり証左でもあった。


 それと同時に、俺は灯りを落とした部屋の中で、そっと肌を重ねながらエミリアが語ったことを思い出す。


 《真祖》は伴侶と決めた者へ身体を許すと同時に、その相手が同族でない場合には血を求めるのだと。


 死に追いやるほど吸うことはまずあり得ないらしいが、血を失えば体力や思考能力に影響が出る。

 手を握ったり開いたりしてはみたが、それらしき影響は特に見られなかった。


「困ったものだな……」


 自嘲気味のつぶやきが声となって口から漏れた。


 こんな時にも、真っ先に気にするのは眠っている少女を抱いたことではなく、問題なく刀を振るうことができるかどうか。


 自分で言うのもなんだが、本来であればもうすこしこの状況に対して慌てたりするべきなのではないかと思う。


 口元が苦笑の形に歪むのを感じながら、エミリアの眠りを妨げないように上体を起こしていく。


 幸いにしてエミリアが起きる気配は見られなかった。

 やはり、《夜魔の一族》と名乗っただけのことはあって、朝に弱いものなのだろうか?

 そんなとりとめもない思考が湧き上がってくる。


 とりあえず、すぐに起きる必要もないだろうと寝台のヘッドボードに背中を預けて横の寝台卓ナイトテーブルに置いた水差しから硝子杯に水を入れて喉の渇きを潤す。


 それと同時に、小さく扉を叩くノックの音。


「おはようございます、ジュウベエさ……ま……」


 一礼と共に室内に入ってきたメイド服姿のハンナ。

 その身体と表情がこちらを見た瞬間に固まった。


 当然だが、俺の露わになった肌を見ての反応ではない。


「もう……。なんですか、伴蔵。まったくもってだらしない。主人に対する朝の挨拶くらいきちん……と……」


 後から胡乱な表情をハンナに向けて入ってきたイレーヌだが、こちらを見た瞬間同じく表情が固まった。


「……まぁ、見てのとおり、いろいろとあってな」


 短い言葉で説明するにはこれしかなった。


 成り行きだったというのもあるが、彼女たちには来訪者エミリアがいることは伝えていなかった。

 さて、そんな状態でこの光景を見られればどうなるだろうか。


「ちょ、ちょちょちょ……!?」


「あぁ、また厄介なライバルが増えたなんて思っていたけど、あまりにも進展が速くないですかね……」


 二人の反応は見事なまでに分かれた。


 ハンナはぷるぷると小刻みに震えているし、なにやらぶつぶつと語り始めたイレーヌの目からはにわかに光彩ハイライトが消失。


 ある意味ではこの二人で済んでよかったと思うのだが、まずは背景を説明して丸め込――――納得させなければならない。


 ……とはいえ、いったいどこから説明したものか。 


 目覚めたばかりの頭を最大限に動かしながら俺は弁明を開始した。


「――――というわけだ。昨日言っておいただろう? エミリアと狂四郎が融合してだな――――」


 結局、半ば既成事実気味だが、まぁ仕方がない風に丸め込むことには成功した。


 それは彼女たちが自分自身をユキムラ・クジョウに仕える身であると考えているからなのだが、なんというか浮気現場を見られて懸命に釈明をしている亭主みたいでひどく気まずい。


「なんだ、ふたりとも。やけに騒がしいが、なにかあったのか?」


 ハンナとイレーヌがすぐに戻ってこないことを不審に思ったのか、できることなら一番この場に現れてほしくない人物――――リズが扉から顔を覗かせた。


「ちょっと、ジュウベエ殿! なんで裸なん――――」


「うーん……? なんじゃあ……? 昨夜は激しくされたからまだ起きとうないのに……」


 果たして、時期タイミングが悪いとはこういうことを言うのだろうか。


 というか、寝惚けているはずなのに、なんでそこで的確な爆弾発言を放り込むんだこいつ。


 俺の裸身を見て頬を染めていたリズは、傍らから寝ぼけ眼をこすりながら起き上がったエミリアの姿を見て瞬時に何があったか理解したのか顔全体を真っ赤に変化させる。


「……おや、リーゼロッテ様ではないか」


「さ、さ、さ、さささ……」


 リズはしきりに口を動かしてなにか言葉を発しようとしているがまともなものにはならない。

 それは様々な感情が急激に混ざり合ったことで行き場を失ったがゆえの反応だった。


「先を越されたーっ!!」


 結果、叫び声を上げたリズが落ち着くまでに、それなりの時間を要したのは言うまでもないことだった。





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