第5章~覚醒の邪竜~

第112話 復活の咆吼



 バルベニア王国の西端――――俗に世界の果てとも呼ばれ、魔物が支配する巨大領域“黒の森”が広がっている。

 何人たりとも近寄ろうとはしない領域のさらに奥、海へと抜ける森の北側にひとつの火山があった。


 存在すら忘れかけられている名もなき山だが、古くからこの地に伝わる伝説によれば、かつて大陸を破壊して回った邪竜が封じられているとされる。

 しかし、今やその存在を知る者もほとんど残ってはいない。


 そして、その伝説を知る数少ない者にとっても、勇者と魔王――――光と闇の勢力が戦いの歴史を繰り返す今の世界を見ているがゆえか、地方によくある伝説程度にしか考えてはいなかった。


 千年近くに渡る年月をかけた地殻変動によってすり鉢状となった山の火口部は、まるで何かを覆い隠すかのような硬い岩盤に覆われている。


 そのはるか下――――地中深くには広大な範囲で滞留するマグマの空間。

 中心部には、紡錘状の殻に覆われた黒い物体が揺蕩たゆたっている。

 ある者が見ればそれは生まれくるものを守る卵のように、あるいは死者を閉じ込めておく棺のようにも見受けられることだろう。


 そう、たとえ誰が覚えておらずとも、邪竜それはたしかに存在していた。


 マグマの中は凄まじい高温となっており、かつて魔剣・聖剣の攻撃すら数えるほどにしか受け付けなかった邪竜の身体を、膨大な魔力で構築された隔壁があるにもかかわらずじわりじわりと蝕んでいこうとする。


 もちろん、瞬間的に高熱へ曝されただけでは強靭な殻を破って内部に封じられた肉体に達することもない。

 しかし、忌まわしき封印によって肉体を縛りつけられ、絶えずマグマと接触している状況ともなれば話は別だ。

 殻越しに伝わってくる高熱は、邪竜の身体を常に蝕もうとしており一時の油断すら許すことはない。

 地中の中で何者にも知られることなく己の生命に終止符を打つ醜態を晒さないためには、邪竜もその身に宿す莫大な魔力を殻の維持に割かざるを得なかった。

 それこそが封印を施した者たちの狙いであるが、これでは緩慢な処刑を執行されているに等しい。


 さすがにこの中に永劫閉じ込められてしまえば、彼のような存在であってもいつかは消滅を避けられない。

 “小さき者”たちになされた封印は、咄嗟に展開した殻の内部で負った傷を癒せばそう時間もかからずに解けると思っていたが、それは予想外の事態によって叶わぬこととなる。


 ある時を境に、“より大きな蓋”をされたかのように封印が強固なものとへと変化したためだ。

 まるで時間そのものを止められたかのように、負った傷すら癒すことのできない巨大な力が邪竜を閉じ込めた領域に働いていた。


 忌々しい――――。


 もはや時間の経過さえ数えなくなって久しい中、邪竜は周囲に巡るマグマよりも熾烈な復讐の炎を胸中に宿して爪を研いでいた。

 超生物としての精神性もあるだろうが、それでもこの邪竜の執念は異常といえる。


 いかに悠久の時を生きられる寿命を持っていようとも、すべての根源でもある心が折れてしまえば、マグマはその身体を血の一滴に至るまで溶かし尽くし、その身体を母なる大地の中に飲み込んでいったであろう。

 外界と完全に遮断されている邪竜は知らないことだが、実際に千年にもおよぶ封印の中で朽ち果てていった強大な存在は何体か存在していた。

 強大な力を持て余すがゆえに、時の監獄の中で孤独に耐えることができなかったのだ。


 ある時、邪竜は自身に施された封印の一部――――より強固な蓋が焼失したのを感じ取った。


 久し振りの咆吼が自然と漏れ出たが、邪竜は今さら焦るような真似はしなかった。


 時は来たれり――――。


 そして、ついにその時がやってきた。

 今こそ好機と判断した邪竜は、一歩間違えれば周囲のマグマから肉体を守る殻を維持できなくなる危険性すら無視し、封印の破壊に保有する魔力の大半を注ぎ込む。


 奇しくも、それは邪竜にとって最初で最後の機会だった。


 “蓋”の消失によって幾ばくかの自由を取り戻し、過去に負った傷を治癒できたことで、瞬間的な出力であればかなりの力を発揮することができるようになっていたのだ。

 その上で、魔力の放射を行使してもマグマの中で肉体を溶かされないギリギリの魔力が残っていたのはまさに奇跡といえよう。


 全身に魔力を巡らせ、殻の中の肉体を縛りつける縛鎖を力のままに引き千切る。

 膨大な魔力の鎖で編まれた砕け散り、次いで青白い末那の粒子となって消滅していく。


 ――――ああ、なんと素晴らしき感覚か!


 身体がおよそ千年ぶりの解放感に包まれるも、湧き上がる喜悦の感情を飲み込んだ邪竜は、代わりとばかりに口腔から破壊の息吹ブレスを真上に向けて吐き出した。


 猛烈な竜の息吹によって押し上げられたマグマは、夜の静寂の中に突如として発生した轟音を伴い火山の噴火として現世に顕現。

 赤い光を放つ溶岩が空に舞い、にわかに夜の闇を染め上げる。


 突如として発生した天変地異と撒き散らされた魔力の残滓を受け、周辺の魔物たちが一斉に狂乱の叫び声を上げた。

 周囲へ放射されたものはでしかないにもかかわらず、その強大な力を感じ取った森の支配者たちが恐慌状態に陥っているのだ。


 次いで、空気を切り裂くように周辺へと轟いた咆吼。

 それは、旧き支配者 《邪竜ザッハーク》がこの世界へとふたたび解き放たれた歓喜の雄叫びだった。



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