第111話 幕間~その頃の勇者たち③~



 春のうららかな陽気が街を暖め、そこに暮らす人々をにわかに活気づける。

 市場には大陸各地から様々な物が流れ込み、それらを買い求める人々が群れをなし活況を呈していた。

 また、路地の間では子どもたちが石畳を駆ける足音を響かせながら元気に走り回っている。


 そんな街の中心部にある建物の一室。

 開け放たれた窓から入り込む穏やかな風が、カーテンを小さく揺らしている。

 静けさを保った部屋の中では、ひとりの少年がベッドに横たわっていた。


 枕に沈む顔は、やや憔悴している頬周りと血色の悪い唇のせいで神経質に見える。

 とはいえ、艶のある栗色の髪と端正な顔つきで浅い呼吸を繰り返す姿を余人が見れば、どこかの貴族の子弟かと思うかもしれない。


 しかし、彼は貴族ではない。

 世界を救う使命を帯び、唯一無二の剣 《ゼクシリオン》を振るって魔を討つ彼の名は デュラン・ヴィレ・マクシミリアン。

 《聖剣の勇者》と呼ばれている人類の決戦的存在だ。


 そして、彼が眠るベッドの傍らには椅子に座る少女の姿。


「また来るわね、デュラン……」


 デュランの様子を膝の上で手を組んで眺めていた青髪の少女――――アリエルが、小さく溜め息を吐き出してゆっくりと立ち上がる。


 旅の時は大神官の位階を表す服に魔力処理を施したローブを重ねる彼女も、ここでは不用意に目立たぬよう普段着に身を包んでいた。

 今の彼女の姿はさながら商家の娘といった感じだ。

 

 病院を出て街を歩いていると、行き交う人々の顔が視界に入ってくる。

 親子であったり恋人同士であったりと差異はあるが、総じて穏やかな表情が多く並んでいた。

 これだけを見れば平和そのもので、今も各地で人類軍と魔王軍が戦っているとはとても思えない。


 ……いったい自分たちは何をやっているのだろうか。

 不意にそんな思いが鎌首をもたげてくる。


「あまりよくない感じね……」


 深みにはまりそうな思考を打ち消したアリエルの口から、溜め息交じりの言葉が漏れ出る。

 きっと、今の自分は周囲の人々とは対照的な表情を浮かべているに違いない。


 浮き上がってこない気持ちのままアリエルは宿へと戻り、仲間の待つ部屋へと辿り着く。

 小さくノックをして、短い受け答えを済ませた後、ゆっくりと部屋の中に入っていく。


「おかえりなさい、アリエル。デュラン様はまだ意識を取り戻されておりませんか」


 ドアを開けて中に入ると、不安げに投げかけられるルクレツィアの言葉。

 疑問形とならなかったのは、アリエルの浮かべる表情を見て察したからだろう。

 感情が伝播したかのように、翠の瞳がわずかに伏せられる。


「……ダメね。さすがに失った血と体力が多すぎたみたい」


 アリエルは小さく首を振る。

 なるべく深刻な声とならぬよう意識して言葉を発したものの、受け手側の表情はどうにも優れない。


「無理もないよ。サイクロプスの最後っ屁で片足を切り飛ばされたんだから。街が近くなかったらアウトだったはずさ」


 窓際の椅子に座っていたジリアンが大きな溜め息を吐き出す。

 言葉の上ではデュランの容態を心配しているものの、こころなしかその声は旅をしている時よりも軽やかに感じられた。


 がいない時間を過ごせているゆえに、常に従者として勇者をケアしなければいけない重圧プレッシャーが軽減されているのだ。

 そして、それは他の二人も同様であった。


 ただ、誰もそれを口に出しはしない。

 いざ口に出せば決定的な変化が生じてしまうことを恐れるかのように。


「本当に。ギリギリの賭けだったわ。もし誰か一人でも欠けてたらデュランの足は……」


 当時を思い出したのか、アリエルが苦い言葉を吐く。


 敵の首魁ボスであったサイクロプスが死に際に放った一撃により、デュランの左足は大腿部で切断されてしまった。

 衝撃でデュランが気絶したためショック死しなかったのが幸いで、その後の出血も意識がなかったことが功を奏して大事に至らずに済んだのだ。

 この時点で、デュランの身にはかなりの幸運が重なったと言えるだろう。


「あのような魔法の応用があるとは知りませんでした」


「戦場帰りの魔法使いから聞いたのよ」


 ルクレツィアが漏らすように、アリエルが咄嗟に提案した氷結魔法によって傷口と切断された左脚を凍結させて腐敗を防ぎ、そこにルクレツィアが治癒魔法をかけ続けて生命を維持。

 ジリアンがデュランを背負って近くの街まで駆け抜けながら、教会へと運びこみ治癒魔法のできる職員総動員でなんとか接合することができたのだ。


「でもマズいわね。どんどん危険な目に遭遇している。やっぱり戦力が足りていないんだわ」


 椅子に腰を下ろして口を開いたアリエルの表情は依然として優れない。

 それぞれの成長と、旅を進めるペースが釣り合ってないのだ。


 特に、デュランの場合はそれが顕著なものとなっていた。

 なまじ聖剣という規格外の武器を持つがゆえに、相手に攻撃を当てさえすれば勝率は劇的に跳ね上がり、ある意味では格上の敵ですら打倒し得る切り札となる。


 しかし、もし攻撃を当てられない敵が現れたらどうなるか。


 今まではそのような敵がいなかったために済んでいたが、今回の負傷を鑑みるに、いよいよそれを考えなければいけないところまできているのだ。


「おい、アリエル。今はその話をしないってあらかじめ決めていただろう?」


 ある意味では現実に引き戻すアリエルの言葉を受け、眉を顰めたジリアンが言葉を挟んできた。

 前衛として常に矢面に立っていたジリアンとしては、今だけは魔王討伐――――戦いについて忘れていたいのかもしれない。


「じゃあ、このままデュランの無茶に付き合って死ねっていうの?」


 返すアリエルの声も棘が混じる。

 彼女からすれば、ジリアンの態度は問題の先送りにしか見えなかったのだろう。


 後衛ではあるものの、多彩な攻撃魔法によって前衛を支援。

 さらには敵の後衛を強力な魔法で擦り潰す役目を持ち、その責任はけっして軽いものではない。

 自分の役目を果たすには、パーティーとして充実した戦力を整える必要がある。

 今後の自分たちの運命に直結することを疎かにできるほど、アリエルは楽観的な性格をしてはいなかった。


「……なにもそうは言っていないだろう? 今はデュランの回復を待つべきだ。そうでないと方針もなにも立てられないじゃないか。リーダーはあいつなんだよ?」


 おたがい、言わんとしていることにはいくらかの理があった。

 しかし、だからこそ相容れない部分が衝突し、アリエルとジリアンの間に気まずい空気が漂い始めている。


「やめてください、お二人とも。あぁ、こんな時にこそユキムラ様がいてくれたら……」


 自分の発言に気付いたルクレツィアは、はっとしたように言葉を止める。


 いつもであれば、ふたりからの厳しい視線が向いていたことであろう。

 しかし、デュランがいない今、境遇を同じくする二人がそれを咎めることはなかった。


「……ダメだね、疲れてるのかな。悪い循環に入ってるね」


 感情の向ける先をなくしたジリアンが困ったように言葉を漏らすと、気まずい沈黙が部屋の中に流れる。


 三人とも精神的に参っていたのはたしかだった。

 だからこそ、アリエルとジリアンはちょっとしたことで気が立ってしまったし、ルクレツィアもまた“その言葉”を口にしてしまった。


 そもそも、彼女たちはサントリア王国における各方面の有力者の肝煎りで勇者のパーティーに参加している。

 いわば、政治に巻き込まれた背景があり、なんとしてもデュランの魔王討伐を成功させなければ故郷に居場所がなくなってしまう身だった。


 それゆえに、今回の件ではデュランが脱落してしまわないよう必死で足を繋げるために奔走したのだ。

 今頃サントリアでは欠損部位治療の莫大な請求に頭を抱えているだろうが、それでも「《聖剣の勇者》、討伐に失敗」となるよりはマシだと考えているに違いない。


「……わたしが思うに、やはりユキムラ様は我々にとって必要な存在ではないかと。あの方はたしかにデュラン様と相性こそ悪かったでしょうが、それでも強さは間違いなく本物でした」


 そんな空気の中、ルクレツィアは覚悟を決めた表情でそう切り出した。

 “聖女”の覚悟を伝わったのか、アリエルもジリアンも発言を止めようとはしない。


「デュラン様のためを真に思うのであれば、人の好き嫌いに拘泥するべきではないかと。このままではいつか本当に命を落としてしまわれます」


「だけど、ルー。デュランの性格を考えたら、今さらユキムラを受け入れるとは思えないよ?」


 ジリアンが諦め顔で返す。


 たしかに、ルクレツィアの言っている言葉は正論であった。

 しかし、正論だけで世の中が回るのであれば、そもそも彼女たちがこのように苦労することはなかったはずなのだ。


「そうね。今回の件で、デュランもすこしは考えをあらためてくれるといいのだけれど、それを期待するのは楽観的に過ぎるかもしれないわ」


 アリエルも言葉を選んではいるが、おおむねジリアンと同じ意見だった。


 だが、それでもルクレツィアの表情が変わることはない。

 

「いずれにせよ、言い出したのはわたくしです。お時間をいただかねばなりませんでしょうが、かならずや説得して参ります」


「説得するのはいいけどさ、どこを探すつもりなんだい? 追い出さ――――じゃなかった。なんの未練も見せずに出てったんだし、もう故郷に戻っちゃったかもしれないよ?」


 案の良し悪しはともかく、ただ別れただけのユキムラの行方は誰も把握していない。

 そもそも、別れてからもう1年以上が経過しているのだ。

 この大陸にいない可能性とて十分に考えられた。


「いえ、魔王討伐のために送り込まれてきた以上、それをなさずに故郷へ戻ることはできませんでしょう。彼の国の武人は面子を重んじると聞き及んでいます」


 旅をこそ続けられなくなってしまったものの、ルクレツィアは出会った当初からユキムラを異国の蛮族と見てはいなかった。

 デュランの目があるため積極的に関わることはできなかったが、彼の強さには幾度となく助けられ感謝もしていた。

 また、常に冷静な判断を下し、また深い知識を漂わせていることから尊敬の感情さえ抱いていたほどだ。


「たしかに、ケンカ別れしたなんて言えないよなぁ」


 ジリアンが肩を竦めてつぶやく。


 デュランを除く他のメンバーも、ユキムラの強さは理解しており、けして侮るような真似はしていなかった。

 だが、このジリアンの反応を見るに、やはりパーティーにおける一番の理解者はルクレツィアであった。


 惜しむらくは、デュランの強権的な振舞いと彼女の控えめな性格もあって、ユキムラを守ることができなかったことだと言えよう。


「同じ理由でサントリア王国やその周辺にも戻れませんから、なるべく目立たぬようにされているかもしれません。そうなると、考えられるのは大陸の西側――――ノウレジアかそこより南の諸国家ではないでしょうか?」


 不思議な風格を漂わせるユキムラ。

 彼を知ろうとする想いが強かったゆえに、ルクレツィアの推測はまさに正鵠を射ていた。


 だが、この彼女の行動が、本来とは別の“新たな運命”を招き寄せることになる。


 それが、彼女の優れた洞察力を以てしても予測することができなかったのは、やはり神ならぬ人の身の限界であったのかもしれない。



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