第110話 血を求めしもの


 その夜、屋敷の自室で俺は寝台ベッドへと横になって天井を眺めていた。


 初夜の未通女おぼこじゃあるまいし、天井の模様を数えているわけではない。

 昼間の件――――エミリアの語った内容について考えていたのだ。


 しかし、行く先々で想定以上の厄介事が降りかかってくるのはどうしてなのだろうか。

 そのような曰くつきの太刀は持ち出していなかっ……いや、何振りか心当たりがあるな……。


 いかに大名物と呼ばれる刀であっても、やたら持ち主が変死したり、戦いにおいて扱い手を選ぶような“癖”があっては誰も使いたがらない。

 そんな刀に何振りか心当たりがあった。


「切った張った以外の面倒事にまで巻き込まれるのはもう御免なんだがな……」


 幸いにして周りには誰もいない。

 そうなれば俺とてただの人間、愚痴のひとつも漏れようものだ。


 魔族の中でも高位種族と目される吸血鬼。

 そいつらとも一線を画す《真祖》とその《眷族》が突如として表舞台に現れたのだから、当然そこにはなんらかの背景があると踏んでいた。


 エミリアの言葉から察するに、間違いなくあの時不死の帝イルナシドが言っていた「頸木くびきが外れた」という台詞に関係しているのだろう。

 実に厄介な事態を招いてしまったと思わないでもない。


「だが、俺の責任っていうのもちょっと違う気がするんだよなぁ……」


 こう言ってはなんだが、はたして俺が悪いのだろうか?

 どうにも釈然としない気持ちがあった。


 “魔王討伐”は、この大陸に暮らす人類の悲願ともいうべき事柄である。

 しかし、大陸の外から来た余所者おれにとっては関係のない話で、まつりごとの煽りを受けて手伝わされていただけだ。

 そもそも、勇者の手助けをしろと言われたものの、魔王を倒してはいけないとまでは言われていないのだ。

 さっさと片付けようとしてなにが悪いというのだろうか。


 ……まぁ、魔王を倒すのは勇者じゃなくても構わないだろうと思っていたのは、色々な意味で問題かもしれないが。


 いや、それ以前に、だ。

 このように“面倒な仕掛け”が施されているなど、誰も知るはずがないのだ。

 


「……やめだやめだ」


 なんとやらの考え休むに似たり。

 こうしていても思考が余計な方向にばかり流れていくだけであるし、そのうちに他人のせいにまでしてしまいそうだ。

 第一、ここで俺がひとりで推論を並べていても仕方がない。


「酒でも飲むか……」


 そう結論付けて上半身を起こすのと同時に、今まではなかった気配がすぐ近くに現れたのを察知。

 見知った者のそれだと気付いて小さく溜め息が漏れる。


「夜の来訪があるとは聞いていなかったんだが」


 寝台の端に腰をかけ、気配の元へ向けて言葉を投げかけると、それを合図としたかのように部屋の外バルコニーへと通じる窓が音もなく開く。

 生じた隙間から入りこんでくる夜風が、布簾カーテンを押しのけて俺の下へと届く中、薄暗い部屋に来訪者の姿があった。


「……なんじゃ、気付いておったのか。今度こそ驚かせようと思うたのに」


 風に揺らめく布簾の間から室内に入ってきたのはエミリアだった。

 昼間の姿と違って、夜だというのに動きやすさを重視したような格好をしている。


 また、純白の髪の間を縫うように走っていた深紅は、今では前髪のあたりにまとまっていた。

 おそらく、内部にある狂四郎の意識がより身体に馴染んできたのだろう。


「気配くらい読めないと、割とすぐに死にかねない世界にいたからな」


「なんとも殺伐とした世界じゃの。妾のおった時代でもそこまでひどくはなかったものじゃが」


 共にいた際の記憶から、俺の言葉が嘘ではないと知っているからだろう。

 エミリアは小さく肩を竦めて答えた。


「それで、どうしたんだ。淑女レディがこんな時間に出歩くのは感心しないぞ」


 世間話も早々に俺が問いかけると、窓辺に佇むエミリアの表情が淑女という言葉に一瞬だけ緩んだが、次いで真剣さを帯びる。

 その際、双眸に宿る深紅の瞳がわずかながら輝きを強めたように感じられた。


「――――まこと勝手な申し出とは承知の上じゃが、是非とも一度“手合わせ”を願いたい」


 その宣言へと続くように、エミリアの纏う気配が変わった。

 空気を通じて伝わってくるのは、戦いに臨まんとする者のそれだ。


 俺は草履を履くと、エミリアの横を通り抜けて彼女の背後にある窓を大きく開く。


 その瞬間、より強く吹き込んできた夜風が俺の肌を静かに撫でる。

 身体の熱を奪っていくそれに一抹の心地よさを感じながら、俺はエミリアへと振り返る。


「……外に出ようか」


 短く告げ、手摺りを越えて軽く跳躍。

 静かに地上へと舞い降りると、エミリアも無言のまま俺の後に続く。

 着地の音はなく、すでに身体全体が臨戦態勢に入っていることを窺わせた。


 すでに寝静まりつつある屋敷から離れ、俺は裏庭を進んでいく。

 ともすれば、ハンナやイレーヌはこちらの動きに気が付いているかもしれないが、俺が呼ぼうとしない限りは動くつもりもないのだろう。


 時折響く虫の音が、穏やかな夜が流れていく様をひっそりと歌う。


 そうして剣戟の音を響かせても問題ないと思われる場所まで辿り着くと、俺はエミリアとの間に幾分かの距離を空けて対峙。


「“手合せ”というからには、


「左様」


 俺の問いかけへと呼応するように、エミリアの凛とした声を端として、歪む空間から彼女の体内に眠る太刀きょうしろうがゆっくりと引き出されていく。

 刀身に浮かび上がる仄かな赤に、雲間から降り注ぐ月明かりが反射して妖しい輝きを放つ。

 いつもは自分自身が振るっていた刀を、こうして相対あいたいする場所から眺めると、一定の距離を経なければ感じることのできない美しさとして目に映る。


 いつしか虫の音は止んでいた。


「妾の身体に宿りし妖刀が望んでおる。かつての担い手と剣を交えてみたいと――――」


「ならば是非もない」


 短く答えて、俺は袖口から自身の太刀を呼び出す。


「今宵はい月だ。ならば、こちらを振るわせていただこう」


 雲間に覗くは繊月せんげつ


 それを地上へ映したかのように、朱塗りの鞘から引き抜いた刃は鍔から続く八〇〇ミリテンの刀身、反り二七ミリテン、元幅二九ミリテンとまさしく空に浮かぶ三日月の如き典雅な曲線を露わにする。

 泰然とした拵え。静かな波を描く刃紋と白銀に輝く地刃の刀身は、我がものと知りつつも身が震えるような美を宿していた。

 三條宗親――――《三日月宗親みかづきむねちか》とも呼ばれる大名物である。


「幾度か見たこともあるが、やはり美しき刃じゃ……」

 

 剣として振るうことが躊躇われるような美を前に、思わず小さな溜め息を漏らすエミリア。

 揺れる深紅の瞳には、気のせいだろうか憧憬と小さな対抗心にも似た感情が窺えた。


「では、見せていただこうか。《真祖》の生み出した《眷族ミディアン》たるシュヴァルツを屠りしつわものの剣を」


 白磁のごときエミリアの繊手が狂四郎の柄を今一度強く握ると、刀身が静かに掲げられていく。

 そして、正眼へ構えて不動。

 放出される剣気が圧力となって我が身に押し寄せてくる。


 対手となるこちら側は下段――――切っ先をエミリアの腰から下へと向けて静止。

 身体全体で圧力を受け、それを流す。


 相手の気圧を受けるのはただ我が身のみ。

 感受する者の心が反応をしなければ、それは自ずと霧散していく。


「――――来い」


 発した言葉を受けてエミリアの足が動いた。


 夜の庭を、両者が吹きつける夜風を凌ぐ速度で滑るように疾走。

 舞うような足の運びながらも、かつて戦った嶽田騎馬軍の突撃を思わせる速度で、瞬く間に彼我の間合いが詰められていく。


 まるで一刹那の時間を複数回に渡って盗まれたかのように、俺の予想をはるかに上回る速度で《真祖》の少女は突き進んでくる。


 見事な動きで旋回したエミリアの刃が空を切り裂き、月光を映して妖しく輝く紅色の尾を引いて肉迫。


 しかし、次の瞬間、その剣は俺の左脇腹から数十ミリテンの位置で静止していた。


「……妾の負けじゃな」


 エミリアの口が開かれる。

 下段から放たれた《三ヶ月宗親》の刃はエミリアの左腰――――骨盤から数ミリテン手前にあった。


「おぬしの刃が止まっていなければ、妾の身体は斜めに両断されていたじゃろう」


 言葉に続くように、エミリアの全身から力が抜けていく。

 それはこの“手合わせ”の終わりを告げる言葉だった。


 死合うとのたまわらなかった以上、手合わせにおいて繰り出す一撃は寸止めを狙うものとなる。

 大陸の剣ともなれば手合わせの手法もまた異なるかもしれないが、狂四郎をその身に宿している以上、この立ち合いの掟はエミリアも心得ていると予想していた。 


「勝ったついでに訊かせてもらおうか。なぜ、あの時俺の前に姿を見せた?」


 《三ヶ月宗親》を鞘に収めたあとで、俺はかねてよりの疑問を口にする。


「……おぬしが身にまとっている衣じゃよ。質問に質問を返すようで悪いが、それはどのようにして手に入れたものなのじゃ?」


 同じく狂四郎を元へ戻したエミリアがやや間をおいた後に口を開く。


「イルナシド・アルメナランという男を倒して譲り受けた」

 

 小さく息を呑む音。

 俺の口から出た名前は、エミリアの表情に少なからぬ変化を呼んでいた。


「そうか……。やはりあやつも目覚めておったか……」


 エミリアが浮かべるのは、ともすれば懐古の感情になるのだろうか。

 遠くを見るような視線が虚空へと向けられる。


 いずれにしても、俺がそこにへと容易に触れるのは躊躇われた。


「妾が生きていた遥か昔に、人間の帝国を作り上げた男じゃ。最盛期のヤツは、無論単身ではないが世界をき滅ぼさんとしていた邪竜ザッハークに深手を与え封印するほどの力を持っておった。その衣は、ザッハークを討伐した際、返り血によって魔道具化したイルナシドの外套じゃろう」


 俺の言葉を待たずエミリアは語り出す。

 たしかにイルナシドが消滅する間際、邪竜の衣がどうのこうのと言っていた気もしたが今の今まで忘れていたくらいだ。


 それにしても、あの不死の帝は邪竜を封印できるほどの力を持っていたのか。

 であれば尚更、最盛期のヤツと死合ってみたかった。

 

「さて、おぬしの実力も見ることができた。妾は満足じゃ」


 それまでの表情は消えてなくなり、相好を崩してエミリアは夜に咲く花のような笑みを浮かべる。

 一瞬の変化に、俺は小さく戸惑う。


「イルナシドを倒し、シュヴァルツたちをも滅ぼし得るのであれば、妾の命を預けしとして相応しかろう」


「……は?」


 そして、あまりにも唐突に発せられた聞き慣れぬ単語。

 俺には一瞬エミリアがなにを言っているのか理解できなかった。


「我が身に宿りし刃は、この身――――肉体というものを得て、かねてより眠っておった衝動がより強烈なものとなった。じゃから、ユキムラ――――」


 言葉を切ったエミリアが、不意を衝くように俺の間近へと迫る。


 ともすれば息と息が触れ合いそうな距離。

 そこにはエミリアの熱を帯びた深紅の瞳が俺の顔を映していた。


はおぬし――――いや、そなたのが欲しい」







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