第108話 後始末りぽーと①
「……驚かないんじゃな」
幾分か残念そうな“エミリア”の声が、両手で頭を抱えたままの俺に投げかけられる。
あちらとしては驚いてほしかったのだろうが、あいにく俺もそこまで間抜けではない。
それに、こうなることは“ひとつの可能性”としてあらかじめ予測はしていた。
姿勢を元に戻して俺はゆっくりと息を吐き出し、それから口を開く。
「生命の体内に循環する“
そこで一度言葉を切ると、俺は自分の紅茶へと手を伸ばす。
イレーヌが淹れてくれたそれは優しい香りを鼻腔へと届け、すこしだけ気持ちを落ち着けてくれた。
「それなら、“同調反応”に近いものと判断しただけだ。実際に聞くまでは、《
“血を吸う者”同士で波長のようなものが合ったんだろうと思ったが、それは《真祖》としてのエミリアを不用意に刺激する浅慮な言葉と思い口にはしない。
また、同化と結論付けられる状況であっても、見た様子では狂四郎とて受肉しているに等しい。
その思考形態が、太刀の時とどの程度異なっているかもわからない中では、いつも通りの軽口を叩くのは憚られた。
「実際、似たような力を妾は持っておる。周囲の存在が有する魔力を吸い上げる力をな」
……訂正の必要がある。
《真祖》も吸血鬼の一種だなどと言ったがとんでもない。
あらためて聞けば、それは巷に知られる吸血鬼――――獲物の首筋に牙を突き立て直接血を吸わねばならない
そう考えれば、あそこでエミリアが《
八洲へと過去に現れたという《旧き者》もそうだが、吸血鬼は吸収した他者の血を己の力に変える異能を有している。
つまり、年月を経て他者から奪った生命力を蓄えれば蓄えるほどに強力化するのだ。
だからこそ、歴史の表舞台に現れた高位吸血鬼は、例外なく大被害をもたらすことになる。
では、そんな《真祖》ほどの存在が、なぜああも後塵を拝することになってしまったのか。
「気を悪くしないでほしいんだが……。そこまでのことができるのであれば、《眷族》に負ける道理もなかったんじゃないか?」
俺が疑問を口にすると、エミリアの瞳がわずかに揺れる。
「……あの場で力を分け与えてもらえる存在は少なかった。妾の
つまり、無関係の人間を巻き込むつもりは最初からなかったわけだ。
「その口ぶりからすると、敵からもできなかったというわけか」
実際にそうしなかったのだからなんらかの理由はあるのだろうが、一応それについてもきちんと訊いておく。
憶測で物事を判断するのはあまりに危険だ。
「然り。高位下位問わず、同族の血は因子がよほど似通っていなければ我らには毒にしかならぬ。同胞の血を異物と判断して身体が拒否反応を起こすのじゃ。それに――――」
不意にエミリアの表情へとわずかながらに影が差す。
「妾は、誰彼構わず人間の血や生気を吸う行為は好かぬ……」
「……わかった、聞きたいことは聞けた」
俺はそこで「もういい」とエミリアの言葉を遮るように口を開く。
これ以上、目の前の少女の“繊細な部分”を語らせることは避けておきたかった。
すくなくとも、現時点でエミリアがこちらに対して敵対行動をとっていないだけで十分なのだ。
ここでわざわざ彼女自身の深い部分にまで踏み込むべきではない。
いささか強引とは思いつつも、俺は話題を切り替えにいく。
「次に確認したいのは、俺の剣――――狂四郎と
双方混じり合った意識なのか、それとも各々の“人格”が並列しているのか。
見た限りでは前者の様ではあったが、まだ上手く馴染んでいない……そんな印象を受けた。
「肉体の主導権は妾――――エミリアの方にある。
「なるほどな……。まさしく同化したというわけか」
「そうじゃ。このように……」
エミリアの右手がゆっくりと掲げられ、反対側の掌の前へと静かに移動する。
すると次の瞬間、掌の前の空間がわずかに歪み、そこから見覚えのある刀の柄が現れた。
「体内に宿った太刀を取り出すこともできる」
不可視の鞘から引き出されるように、見覚えのある狂四郎の刀身が姿を現していくが、それは途中で停止。
そのまま元の場所――――エミリアの内部へと戻っていく。
切っ先まで露わにしないのは、あくまで現在の狂四郎がどうなっているかをみせただけで、それはこちらに向けるものではない――――つまり、敵意がないことを証明する行為でもあった。
「……そうか。ならいい」
状況を理解した俺は静かに息を吐き出す。
目下、知りたかった内容は今の会話で聞くことができた。
「はて。返せと言われるくらいは覚悟しておったのじゃが」
たとえ狂四郎と融合していても、やはり自身の持つ常識が前に出てしまうのか、エミリアは俺がそれ以上何も言わなかった理由が理解できないらしい。
「長年連れ添った
小さく肩を竦めて俺は返す。
惜しくないといえば嘘になる。
しかし、すくなくとも狂四郎には何かしらの理由があってエミリアと同化することを選び、そして今もそのために彼女の中にいるということなのだろう。
ならば、かつての持ち主だという無粋な理由を並べて引き戻そうとするのは、なんだかひどく格好が悪いように思えるのだ。
「なんともおぬしらしい理由じゃな。……む? こう思わせるのは狂四郎の記憶のようじゃ」
自分自身の言葉に驚いたような表情を浮かべるエミリア。
やはり、まだ自分の知らない知識や経験が存在する現象に慣れてはいないようだ。
「俺の恥ずかしい秘密があっても、人前で喋らないでくれよ?」
「善処しよう。まぁ、この身体にもじきに慣れていくじゃろう」
エミリアもこちらの意図をなんとなく察したのか、肩の力を抜いてややおどけたように答える。
俺の隣に座っていたリズも自然と相好を崩していた。
そして、これが会話のひと区切りとなった。
「こちらばかりが聞く側にいるのもなんだな。なにか訊きたいことはあるか?」
「では、ひとつ。妾からも先に訊いておきたいことがある」
エミリアの問いに、俺は目線で続きを促す。
「どのようにしてあの場を切り抜けたのじゃ? 正直に申して、あそこでおぬしたちに疑いの目を向けられる可能性は高かったと思うのじゃが……」
「そうだな。少し長くなるが、これも説明しておくべきだろう……」
そうして俺はゆっくりと当時の状況を思い出しながら口を開く。
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