第107話 刀剣女子


 部屋の中には漂っていたのは、和やかな空気とはおおよそ異なるものだった。

 だからといって、それはいわゆる対極――――剣呑に類するわけでもない。


 こう……なんと言葉にするべきか悩むが、強いて形容するなら“扱いかねる”、もしくは“どうすべきか”といった困惑に近いものだった。


 余談ではあるが、征十郎はこうなることをあらかじめ察知していたかのように、昼になるのを待たずして「久しぶりに色街に顔を出してきます」と告げ、我先に逃げ出していた。

 ……とんだ弟分である。


「公女様ともなると、ずいぶんといいお屋敷を用意してもらえるのじゃな」


 そんな空気をものともしないで口を開いたのはエミリア・ロッソ・バーミリオン――――いや、より正確に言うならだった。

 彼女は出された紅茶を前に、応接椅子ソファに腰を下ろして悠然と部屋を見回している。

 ともすれば王族のようにも見える不遜とも受け取られかねない態度だが、あらためて見るエミリアはそれだけの風格を有していた。


「あ、ああ……。気を遣いすぎだと思うのだけれどな……。その、屋敷にいる人数も人数だし、あまり落ち着かないんだ……」


 この場においてもっとも――あくまでも人間の社会通念上ではあるが――立場が上であるリズは、声に隠しきれない困惑を滲ませていた。

 まずは世間話でもいいから会話を引っ張るように事前に言っておいたのだが、どうやら彼女にとっては高難易度であったようだ。

 早くも会話のネタ切れげんかいを迎えているらしく、俺の方に熱い救援要請の視線が向けられている。

 このまま放っておくとそう遠くない未来には涙目に変わりそうだ。


 嘆息したくなる気持ちを抑え、俺はゆっくりと思考を巡らせる。

 俺だって未だまとまりきっていない情報を整理するために、脳内で順を追って考えねばならない状態なのだ。

 ……これではリズのことをとやかく言うことなどできはしないな。


「我らが主は、祖国にて公女としてではなく騎士としても戦ってこられたからな」


 会話を円滑に進めるためには代わった方が早そうだと、俺は苦笑したくなるのを堪えてリズへと助け舟を出しながら会話を引き継ぐ。

 貴族を相手にする口調とはいえないが、まぁ今さらだろう。


 そして、俺が口を挟んだ途端、リズがひっそり安堵の表情を浮かべたのを俺は見逃さなかった。

 その際、犬の尻尾がぶんぶんと揺れているのを見た気がしたが、おそらく気のせいだと思う。


「……なるほど。、そうでなければ、リーゼロッテが《眷族ミディアン》たちとあれだけの時間戦うこともできはせぬか」


 妙な物言いをしながらも、ひとりでに納得した様子のエミリア。

 そこに俺の言葉を特段気にした素振りは見受けられなかった。


 というよりも、なぜこの《真祖エルダー》の少女はリズを“様”付けで呼んでいるのだろうか?

 一瞬そんな疑問やなんとも言えない違和感が脳裏をよぎるが、今は些末事だと後回しにする。


「水を差すようで悪いんだが……。こちらへ出向いて来てくれたのは、べつに世間話をするのが目的ではないのだろう?」


 俺は話の向きを変える。

 なにより、今はエミリアの話を聞くのが最優先事項だった。


 というのも、あの変化の直後にエミリアはそのまま気を失ってしまったため、彼女の回復を待たねばならなかったのだ。

 結局、一晩がすぎてエミリアが意識を取り戻し、向こうからこちらを訪ねて来てくれたことでやっと話ができるわけだ。


「そうじゃな。……なによりも、まずは助けてくれた礼を言わねばなるまい。それに、おぬしたちとしても、訊きたいことは多々あるじゃろうしのう」


 自分の眉がわずかながらだが無意識のうちに動くのを感じた。

 エミリアの言葉はこちらに協力すると言ったようなものだったからだ。

 横手でもリズが驚きに小さく目を見開いている。


「……こう言ってはなんだが、そちらから話してくれるとは思ってもみなかったな」


 俺が意外そうな視線を送ると、エミリアは一瞬「なんでそんな反応をするんだ?」とばかりの不満気な表情を浮かべたが、すぐに表情を元に戻す。


 ……どうにも会話をしていて妙な違和感が先ほどから消えてくれない。

 まるで、他人と話しているのに相手が自分のことを妙に知っているような気分だ。


「正体が露見しただけならこうはしなかったじゃろうな。しかし、おぬしが上手く動いてくれたおかげで、“わたし”としての身分が助けられたのもまた事実じゃ。ふふふ、借りが二つになってしまった」


 年若い見た目には似合わない表情で艶然と微笑む人の理を外れた少女。


「貸しにしたつもりはないが、まぁ二度目は勘弁してほしいものだよ」


 ……たしかに、今思い返しても、“あの後”の処理は本当に大変だった。


「あそこで気を失ってしまったことは、まことに申し訳ないと思うておる。せめて妾がおればもう少し話は早かったであろうに……」


「過ぎたことは仕方ない。――――それよりも、だ。正直どこから訊くべきなのかとは思っているんだが……」


 世間話もほどほどにして、俺は本題に移ろうと切り出す。


「そう焦らんでもよかろうに……と言いたいところじゃが、たしかに語らねばならぬことはたくさんあるな」


 エミリアも自身の髪の毛――――真紅に染まった部分を指で摘まみながらそれを受け入れる。

 昨日はエミリアをローブに包んだまま屋敷の人間に直接渡したことで学園にはこの変化が露見せずに済んでいたが、それにしてもずいぶんと奇抜な色になってしまっている。


「まず、は何者なんだ? これから問いたい」


 真正面からの言葉。

 それを受けたエミリアの眼が愉快そうに細まる。


 彼女はバルベニア王国の男爵家令嬢として学園に在籍していたようだが、最上位吸血鬼ともいうべき《真祖エルダー》が人間社会――――それも学園などに紛れ込んでいることが普通なわけもない。


 これだけならまだいい。


 それに加えて、あの地下迷宮で戦ったシュヴァルツたち《眷族》もまたバルベニアの意向を受けて動いていた節がある。

 同じ国から来た人間同士が、なぜあのように敵対していたのか。

 また、あの地下迷宮の先にはいったい何があるのか。


 そして、エミリアの身に起きた変化はなんなのか――――。


 こうして、急な訪問にもかかわらず会談の場を設けているのも、エミリアの素性も含め彼女が持つ情報を得ることにあった。


 真紅の瞳に注がれる俺の視線を、エミリアはしばらくの間満足げな表情で受け止めていた。

 そして、わずかな余韻を味わうようにわずかに目を瞑った後、形の良い唇がゆっくりと開かれる。


「妾の真の名は、エミリア・レヴィーナ・クリムゾン。この大陸に長い間封じられてきた《真祖》のひとりじゃ。そして――――」


 そこでエミリアは一度言葉を切り、なぜかこちらに満面の笑みを向けてくる。


「この肉体と融合した“ワシ”――――《蝕身狂四郎むしばみきょうしろう》でもある」


 予想していなかったわけではない。


 それでも、エミリアから発せられた言葉を脳が理解した瞬間、俺は本気で頭を抱えたくなった。



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