第106話 《真祖》の少女


 灰となって崩れ虚空へ消えていくシュヴァルツの姿を見届けながら、俺は《斬波定宗きれはさだむね》の刃を鞘へと収める。


 ここで終わったものだと油断なんぞをしていると、位相のズレた刀身が自分の身体に突き刺さったりするので気を付けなければならない。

 あれだけの強力な異能を持っていながら、本当に性根の曲がった刀である。


「……終わったぞ」


 小さく息を吐き出してから、俺は背後を振り向いて戦いを見守っていた仲間たちに声をかける。


 最初に幾分か顔色の良くなった征十郎が軽く手を上げて応え、それに続いて立ち上がって戦いの行く末を見守っていたリズがこちらに駆け寄ってくる。


「ジュウベエ殿……!」


「……おっと」


 リズの身体が俺にぶつかってくる。

 軽い衝撃を受けながら受け止めると、両腕に伝わってくる彼女の肌の感触――――ではなく金属の硬い質感。


 ……これはちょっとばかり残念だな。


「まさか、助けに来てくれるなんて思ってなかった……」


 いつもの気丈な口調はどこへやら、リズは俺の胸元で小さな声を出す。


「言っただろ? 守ってみせるって」


 こちらに向けられる征十郎のニヤニヤとした表情を見なかったことにして、俺はリズの背中に手を回し、落ち着かせるように軽く叩く。


 胸元のリズは答えない。

 だが、無理もないことだった。


 いかにひとりの騎士として幾多の魔物と戦ってきた経験はあれど、シュヴァルツたちのような魔人と対峙するのは、十七歳の少女には耐えがたい経験であったに違いない。


 リズが落ち着くまで待ってから、俺はもうひとりの“客人”とでも言うべき相手へと向かっていく。


「……さて、《真祖エルダー》のお嬢さん。すこしはマシになったかな?」


「……おかげさまでの……」


 未だ立ち上がることはできないのか、エミリアは無理に身体を動かそうとはせず、顔だけをこちらに向けていた。

 真紅の色をした瞳が俺を射抜く。


 驚くべきことに、左胸に空いた大穴はすでに半分近くまで塞がりつつあった。

 やはり、元々がとんでもない再生力――――というよりも生命力を有しているのだ。


 少女の身体に載せられた太刀――――狂四郎の鍔が放つ仄かな輝きの明滅と共に、少しずつ傷口が蠢き回復していっているのがわかった。

 まるでなにかが共鳴するかのように。


「しかし、まさか《眷族ミディアン》を消滅させるとは……」


 あちらはあちらで驚愕を隠せない様子の《真祖》の少女。

 先ほどまでは絶え絶えとなっていた呼吸も、今はほぼ元の調子に戻っていた。


「倒せなければ全員仲良くあの世行きだったしな。まだ当分死ぬつもりはない」


 小さく肩を竦めてみせるとエミリアの眼が点になる。


「“そのつもり”だけで、ただ人が《真祖エルダー》の眷族を倒せるものではないはずなんじゃがな……」


 流れ出てきたのはどこか困ったような声色だった。

 おそらく、彼女が生きてきた中で、そのような存在を打倒し得る人間を見たことがなかったのだろう。


 当人たちは“吸血鬼ヴァンパイア”と呼ばれることに嫌悪感を示すだろうが、《真祖》も《眷族》も言ってしまえば高位もしくは最上位吸血鬼とでも分類されるべき存在だ。

 たしかに、ただでさえ長い寿命を誇り、様々な異能を操る厄介な魔族として知られる吸血鬼に更なる上位種が存在することが広まれば、大陸に並々ならぬ衝撃を与えるであろう。


 しかし、言ってしまえばちょっとばかり強力な吸血鬼であり、圧倒的な存在として認識するほどではない――――と俺は思う。

 吸血鬼が持つ“種族としての脅威度”が先行しているだけで、より強い者が勝者もしくは支配者となる構図は、個々の武から集団としての武をも含め、古来より幾度となく繰り返されてきた歴史の一節に過ぎないのだ。


 それに、八洲では歴史の表舞台に現れては世を混乱に陥れてきた《旧き者》の討伐を幾度か行っている。

 軍団ではなく、

 ならば、その先達に斬れて俺に斬れぬ道理は存在しない。


「生きている相手なら、肉体マテリアル体霊体アストラル体を斬れば死ぬだろ。とりあえず死にそうな一撃を叩き込んでみただけだ」


 まぁ、あれでも殺しきれないのなら、それこそ《傀伝斬おおでんた》を引っ張り出して斬ってやればいいと思っていた。


 もしも霊体アストラル体が別で肉体マテリアル体を動かしているようなら、こちらの斬撃を積極的に回避しようとはしないはずだ。

 そうなると、シュヴァルツはそこまでの異能を身につけてはいないようなので、不死の帝イルナシドの時のように傀伝斬アレを引っ張り出す必要がなかったのだ。


「なんというか……。さすがに、“邪竜の衣”を継承しただけのことはあるようじゃな……」


 いまだ回復しきらない顔色のまま、エミリアは苦いものの混ざった笑みを浮かべた。


 この身に纏う黒衣の存在を知っているということは、やはりエミリアはイルナシドを知っている、あるいは同じ時代に生きていた存在なのだろうか?

 そこに言及するべきか一瞬悩む。


「じゃが、なぜ妾を助けた? この身が人ならざる者であることは理解していたであろうに……」


 俺が疑問を差し挟む前にエミリアが先に口を開いた。これで完全にタイミングを逸してしまう。


「これは一般的な考えじゃないのかもしれないが……? 」


「……えっ?」


 エミリアから漏れた疑問の声。

 それがなんというか、先ほどまでの口調と違って間が抜けていて、俺は思わず笑い出しそうになってしまう。


「それに、リズを守ってくれようとしたんだろう? それだけで、俺としては十分理由になるんだが」


 狂四郎も助けたからなとは続けない。


 あくまで結果論だが、狂四郎が自身の末那マナを分け与えたのだ。

 まぁ、強敵と戦いたかったという可能性も否定できない――――つまるところ、純粋な善意からだと言えないところがやや微妙なところではある。


 妖刀 《蝕身狂四郎むしばみきょうしろう》は、斬った相手から吸い上げた血を末那マナに変える異能を有しており、敵をき尽くす業火として顕現させることも可能とする破格の太刀だ。

 しかも、それとは別に蓄えた末那マナを使用者に還元する実に似合わない癒しの能力もある。……俺に使ってくれたことはないが。


 しかし、斬った血を蓄えるためだけに存在するような妖刀が、なぜ自身の末那マナを《真祖》の命を救うために分け与えたのか。それは俺にもわからない。


「たとえ、そうじゃとしても――――」


 いまいち納得がいかない様子のエミリアが口を開きかけたところで、不意に狂四郎の鍔の輝きが大きくなる。


 何事かとそちらへ視線を動かしたところで、鞘を含めた太刀全体から発せられる眩いばかりの真紅の輝き。

 刀全体が分解された魔力の塵を思わせる細かい粒子へと変わっていくと、次の瞬間にはそれがエミリアの身体へと吸い込まれ始めた。


「……ジ、ジュウベエ殿、これは……?」


「わからん。こんなのは、俺だってはじめてだ」


 リズが不安げに問いかけてくるが、俺には答えられない。

 長年に渡って狂四郎を愛用していた俺でも、一度としてこのような現象を見たことはなかったのだ。


「まぁ、ヤバいようなら頑張ってくださいね、兄者」


 征十郎はすでにやる気がなくなっているようで、手をひらひらと揺らしながら――――完全に外野からの発言だった。

 とりあえず、もしもの場合でも可能な限り女人は斬りたくないので、俺にやらせておけばとか思っていやがるなこいつ。

 ある意味ではまったくブレない鋼の精神だ。


「お前なぁ……」


 ちゃっかりした弟分の態度に小さく嘆息しつつも、俺は念のためリズをわずかに後ろへ下がらせて、太刀の柄に右手を添えておく。


 そうして、しばらく見守っていると、やがて発生した輝きはエミリアの身体に吸い込まれ終える。

 そこに狂四郎の姿は残っていなかった。


「……そうか、


 終息した謎の光。

 そして、なにが起きたのかをおぼろげに理解した俺は、ただただ小さな呻き声を上げるしかない。


 目の前に現れた光景――――そこには純白一色だった髪へと、新たにが入ったエミリアの姿があった。



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