第104話 Into The Void


「――――選手交代だ」


 決着を見届け、前へ進み出た俺は、征十郎の肩へと手を置く。


 戦の余韻からか、征十郎はシャッテンが遺した剣へと視線を送ったまま微動だにしない。

 人間の限界へと到達し、死闘の中でそこを踏破した剣士は、しばしの間なにもない空間を見ていたが、やがて静かに頷いた。


「……よろしく頼みます。さすがに血を流し過ぎました」


 小さく息を吐く征十郎。

 その横顔を見るが、やはり血色はよくなかった。

 シャッテンの与えた一撃も、《操気術》を身につけていなければ死に至る傷だったのだ。

 これだけで済んだのはむしろ僥倖といえるだろう。


「いや、よくやった。強くなったな、征十郎」


 だからこそ、俺は手放しで“こちら側”に足を踏み入れた征十郎に向けてねぎらいの言葉を口にした。

 投げかけられた予期せぬ言葉に、一瞬征十郎の動きが固まる。


「……実戦で使ったのは初めてですがね。やぶれかぶれでした」


 視線はこちらに向けないまま、征十郎は努めて冷静に答える。


 見ての通り、コイツは根っからの負けず嫌いだ。

 俺の前でことに忸怩たる思いがあるのだろう。


 ……もしくは、滅多に褒めない人間の言葉が意外だったかだ。


「普通は身体がぶっ壊れる。適性があったってことだ。素直に誇れ」


 俺の言葉を受けた征十郎は、それ以上言葉を口にしなかった。


 静かに踵を返してこちらの視線から外れるように壁際まで寄ると、ゆっくりと腰を下ろして背中を土壁へと預ける。

 戦いにおいて終始不敵な表情を崩さなかった剣士は、そこでようやく大きな息を吐き出して脱力した。


 いずれにせよ、あれだけの傷を負っていながら自分の足で動けるのだからたいしたものだ。

 その証左といわんばかりに、静観に徹していたリズも信じられないものを見るように征十郎へと視線を送っていた。


 特に反動らしきものも見られないことから、征十郎はすでに《操気術》とそれに伴う治癒能力を含めた身体能力の向上を、ある程度自分のものとしているようだ。


 これだけの力があれば、俺の持つ《蝕身狂四郎》のような“癖のある刀”を振るうこともできるだろう。

 八洲に古くから伝わる刀の中には、自分を使う人間を選ぶものも少なからず存在する。

 そのための関門のひとつとして、体内に存在する“オーラ”を完璧に制御する《操気術》の修得が目安とされているのだ。


「やあ、ちゃんとかたきは取ってきたぜ」


 さほど血色のよくない顔で、近くのリズに向けてやさしく微笑みかける征十郎。

 こういう時でも女人に声をかけることを忘れないあたりが実にこいつらしい。


「いや、べつにわたしは死んだわけじゃ……」


 対するリズの表情はわずかにひきつっていた。

 ……こちらはもうすこし冗談を受け流せるようになる必要があるようだ。


 軽口を叩いている弟分の姿を見て口元に笑みが浮かびかけるが、すぐに思考を元に戻す。


 この空気も悪くはないが、今は目の前の敵を片付けるのが先だ。


「さて……」


 空間収納から取り出した新しい太刀を腰に佩きながら、俺は視線を前へ戻しふたたび歩を進めていく。


 その先には悠然と立つシュヴァルツの姿。

 たった今、自身の副官シャッテンが討ち取られたというのに、浮かべる表情に焦りの色はなんら見受けられない。


「せっかくここまで突っ走って来たんだ。俺のことだってちゃんと楽しませてくれるんだろうな?」


「その態度、余裕なのか蛮勇なのか。多少は使ようですが……」


 表情を崩さない相手へ、敢えて挑むように視線を向けると、シュヴァルツはわずかに思案するような表情になる。


「殺り合えばわかる。それに、今更やめるつもりなんてないんだろう?」


 小さく頷くシュヴァルツ。この男は俺の準備が整うのを待っていたのだ。


「愚問ですね。《真祖エルダー》でこそない卑賤の身ですが、わたしをシャッテンと同じであると思われないことです」


「油断はしないさ。《旧き者》の眷属を相手にするならな」


「ほう――――。知っているのですか」


 俺の言葉を受けたシュヴァルツの右眉が意外そうに上がる。


この大陸こっちじゃよく田舎扱いされるが、俺の故郷は古い国でね。歴史の転換点には“そういう連中”が度々現れたらしい」


 答えながら、俺はゆっくりと腰の太刀を引き抜く。


 緩やかな弧を描きながら、薄暗闇の中で刀身自体が輝きを放つかのような七一三ミリテンの重厚な刃が露わとなった。

 近くでよく見なければわからないが、それは実に奇妙な形状をした刀であった。


 差表さしおもてには棒樋と腰だけの添え樋、裏側には神代文字と直刃の剣が彫り込まれて備わる。

 差表が鎬造りに対して差裏は切刃造りとなる最大業物――――名物 《斬波定宗きれはさだむね》。

 脇差の《獅子定宗》と同じ一派に属する刀工の作だ。


「その存在がわかっていながら尚挑もうとは実に度し難い。では、参りましょう」


 魔人の笑みが深まると共に、こちらへ向けてシュヴァルツの腕が何気ない動作のように掲げられた。


 周囲の空間へと流れ込む魔力の気配を受けて俺の背筋に悪寒。

 反射的に身体が動く中、シュヴァルツの手が静かに握りこまれる。


 横へ大きく跳んだ俺の視界には、直前まで俺がいた空間に異変が起こっているのが映し出されていた。

 不可視の手によって大気そのものが押し潰されていくような光景。

 それを前に、回避したはずにもかかわらず、俺の直感は依然として特大の警告を放っている。


 なぜかはわからない。だが、こういう時は素直に勘に従うべきだ。


 そう考えていたところで、今度は圧縮されていた空間が急激に膨張するような現象が発生し、


 極限まで圧縮された大気が急速に元の密度へと戻り、そのエネルギーが衝撃波となって拡散したのだ。

 咄嗟に後方へ飛びながら両腕を交差して顔面を守る中、地面に転がる小石などが高速で射出され俺の着物や肌を割いていく。


 暴風が収まるのと同時に、俺は地面を蹴っていた。

 強く踏み込んで間合いを詰めると同時に刃を伸ばしてシュヴァルツの喉元に向けて刺突を放つ。


 それに対し、シュヴァルツは身体を引きながら半身を作り切っ先を回避。

 同時に繰り出されたのは刀身側面を狙った掌底だった。


 即座に身体ごと刃を引きながら右腕を上段へと移動させ、突き出された腕目がけて一気に振り下ろす。

 わずかな煌めきを残して虚空を滑り落ちる刃。


 それをシュヴァルツは足の運びで避ける。同時に高速の回し蹴りが俺の首筋へと襲来。

 迷わず腰を落として唸りを上げて迫る右足を躱しつつ、地面を蹴って後方へ飛び退き霞に構える。


 そこでふと、頬をゆっくりと流れる血の感触に気付く。

 今ので顔のどこかを切ったらしい。


「空間の圧縮と、その復元による不可視の攻撃……。なるほど、二段構えというわけか」


 笑ってはみせたものの、俺は別の意味で肝を冷やしていた。


 先ほどの攻撃――――あれの直撃を喰らえば全身を押し潰された後に破裂するという、とてつもなく無残な死に様を晒すこととなる。

 防御する手段がないわけではないが、それに気を取られればあの体術が本格的に牙を剥くことだろう。


「ご賢察。あれを初見で躱しますか」


 感心したように口を開くシュヴァルツ。同時に俺も小さく舌を巻いていた。


「……まぁ、“妙な攻撃が得意な連中”を相手にしたこともあるからな」


 シュヴァルツに向けて嘯きながら俺は魔王城での戦いを思い出す。


 まともに喰らえばさすがに無事ではいられない――――そう思えるほどの異能持ちが群れをなす百鬼夜行の狂宴エレクトリカルパレード

 だが、そんな極めて厄介な攻撃も、周囲の味方を巻き込む状況下では無用の長物と化す。

 敵が押し寄せてくる波濤の真っただ中に正面から突っ込んだ上で、強制的に手足を封じされたに等しいそいつらはすべて狂四郎の放つ降魔佛の炎の渦の中に沈めてきた。


「言うのは簡単ですが、あなたにはその実力があるようだ。シャッテンを倒したかたといい、ただの人間が尋常ではない戦闘センスをしていますね」


「そちらこそ、いきなり見せてくれるじゃないか。これは楽しめそうだ」


 答えながら、俺はシュヴァルツを相手に魔族たちを相手に使った戦術が通用しないことを理解していた。


 エミリアが負った傷の具合を見るに、シュヴァルツには空間へ干渉する固有魔法以外にも、特殊な攻撃手段あるいは先ほど垣間見えた以上の体術を有していることになる。

 ……まぁ、右袖に残る血の痕跡を見るに後者だろうが、それによって間合いにさえ入り込めば倒せるという考えは即座に叩き潰された。


 シュヴァルツは、魔法を使いつつもあくまで剣を主体としていたシャッテンとは異なり、遠距離・近距離のどちらでも戦える万能型オールラウンダーなのだ。


 さて、これを相手にどう攻めるべきか……。


 高速で思考を始める脳。

 それと同時に湧き上がったのは、己の刃が容易に届かぬ難敵と出会えたことへの歓喜の感情だった。

 我ながら実にイカレているといえよう。


「楽しむ? よもやこの期に及んでも、まだ舐められているのでしょうか?」


 策を回避されながらも焦った様子が見られないからか、シュヴァルツの眉がわずかに動く。


「いいや。殺りがいがありそうだと思っただけだ。褒めているんだぞ?」


 俺は素直に感情を表へ出す。

 それが更なる不快感となってシュヴァルツの眉を歪ませた。


「では――――その認識も改めていただきましょう」


 

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