第103話 無理が通れば


 直後、征十郎は吐血。


 咄嗟に身を捩ったことで、心臓への直撃は回避していた。

 だが、血で作られた槍は肺腑へと到達しており、切り裂かれた血管から噴き出た血が呼気に乗って体外へ吐き出されたのだ。


「……避けたか。だが、無意味だったな」


 シャッテンの言葉に征十郎から返事はない。

 一見すれば、無秩序な狙いに思えたシャッテンの攻撃だが、標的は端から心臓ただひとつのみであった。


 確実に仕留めんと張り巡らせた必殺の一撃が不発に終わったのは、征十郎の持つ人間離れした反射神経と身体能力があったからだ。

 もし、そのどちらかが欠けていたならば、間違いなく由丘征十郎の人生は今しがた終了していたことであろう。


「さすがに本命を躱されるのは想定外だった」


 事実、シャッテンが言うように足止めとして放った攻撃を完全に避け切った時点で、征十郎の動きは魔人の予測すら上回っていたに違いない。

 しかし、そこまでの離れ業を為し得たにもかかわらず、血の槍が貫いている場所から心臓まで――――稼げた距離は、ほんのわずかに過ぎなかった。


 いかに即死を避けたところで、肺を貫かれれば致命傷。依然として窮地であることになんら変わりはない。


「征――――」


 征十郎の危機を前に、俺の足は無意識のうちに動き出しかけていた――――が、それはどうにか寸前で踏みとどまることができた。


 なぜなら――――


「や、るじゃ、ねぇか……!」


 征十郎は動きを止めてなどいなかった。


 本来であれば、動けたとしても間近に迫る死への恐怖からその場で踏みとどまるか逃げ出そうとするはずだ。

 そのような状況にもかかわらず、征十郎は生存に傾こうとする本能を強靭な意志で抑え込み、瞬時に肉体へと“オーラ”を高速で循環させていく。


 常軌を逸した征十郎の行動にシャッテンが目を見開いた時には、すでに黒髪の剣鬼が握る二振りの刃が翻っていた。


 シャッテンの首筋目がけて振り下ろされる光匡の刀身を囮とするかのように、左手に握られた影光が噛み合う片手剣を受け流しながら素早く真横に回転。

 肩口から血の槍を伸ばしながら後方へ下がるシャッテンを尻目に、自らの身体に突き刺さったまま血の槍を切断しながら、自身も後方へ全力で飛び退る。


 魔力の供給を断たれた深紅の槍がただの液体となって地面へ落下する中、直後に切断面から手前が形状を変え巨大な茨のように変化していた。


 あのまま体内に槍が残っていれば、新たに発生した刃は間違いなく征十郎の心臓へと届いていた。

 血液を意のままに操る異能の応用力とその限界を見抜き、さらに自分自身が薄氷の上を渡るに等しい冷静な思考を保っていなければ、決して不可能な“脱出技”だった。


 しかし、胸部に刺さっていた槍がなくなったことで、開かれた胸の傷口から鮮血が勢いよく噴出。


「……全身が、自家製の刃、になる、ってわけ、か。おっか、ねぇな……!」


「よく見抜いた。しかし、それ以上は戦えまい」


 ごぼりと征十郎の喉奥が鳴る中、シャッテンが冷静に言葉を紡ぐ。

 一旦は相手の攻撃から逃れ出たものの、肺を傷つけられていれば血液が内部に満ち、いずれ呼吸もままならなくなりする。

 それがわかっているのか、シャッテンも無理に戦闘を再開する様子はない。


「都合三回死にかけたが、それは……いささか浅慮ってもんだぜ……!」


 次いで大きく咳込むようにして大量の血を吐き出す征十郎。

 しかし、それもほんの一瞬のことで、水の混ざる音を立てて呼吸は平素のそれに戻り、外側へと染み出す血の量も次第に勢いを弱めていく。


「なんだ、それは――――」


「お前の血の技が“外法”というなら、


 俺はそこではたと気付く。征十郎が今もなお立っていられる理由に。


 人でありながら人を超えんがため、八洲の武士もののふが編み出した究極にして狂気の産物――――《操気術》。

 それは、刃が縦横無尽に襲いかかり、矢が空から降り注ぎ、魔法までも炸裂する戦場で、死が完全に自身の命を食い潰すその瞬間まで、傷を強引に塞いででも敵の首を獲らんと駆け抜ける魂の過剰燃焼。

 幾多の選ばれし猛者がそれを使って戦場を駆け抜け、そして散っていった《死に至るための作法アート・オブ・ウォー》でもある。


 俺と別れてからの短い年月で、征十郎はその域まで達していたのだ。


「……あの槍とて、鋼と同等の硬さがあったはずなのだがな」


 人間離れした征十郎の回復力を目の当たりにしたことで、ふたたび一切の油断を捨てて双剣を構える魔人。

 対する征十郎も悠然と二刀を掲げる。


「そうかい。だが、長舩の刃を止めたかったら、神代鋼オリハルコンでも持ってくることだ」


 口腔に残った血を吐き出して、征十郎は自身の血に染まった歯を剥き出しにして獰猛な笑みを浮かべる。

 そこに虚勢は皆無。


「よい口上だ。今度こそ全身全霊を以って貴殿を斃そう」


 言葉と共にシャッテンが握る両手の剣が素早く翻り、自身の身体を切り裂いていく。

 衣服に滲む血の痕は、文字通り魔人が全力を出す気になったことを意味していた。


「傷の多い男は、女に嫌われるぞ」


「ならば、少しでも多くの傷を貴殿の身体に刻みつけ、そして黄泉路へ赴かせよう」


 軽口を返したと同時に猛然と地面を蹴るシャッテン。


 颶風となって襲来する血でできた切っ先を征十郎は身を屈めて回避。

 真横へと伸びた腕を狙うように斜め下から光匡の刃が叩き込まれる。

 シャッテンは右手の片手剣で受け流しつつ、追撃として放たれた左手の影光を戻って来た血剣で受け止めた。


 素早く征十郎はその場で重心を変えつつ、無防備なシャッテンの頭部目がけて回し蹴りを放つ。

 それを横目にしたシャッテンの身体から血の槍が打ち出される。

 体術を交えた奇襲を迎撃せんと迫る深紅の杭を前に、征十郎の表情には焦燥感も切迫感も存在してはいなかった。


 足首を動かして側面――――足刀を滑らせるようにして、血で作り上げられた刃の腹を渡り、軌道を変化させて串刺しの運命を回避。

 それのみに留まらず、さらに重心を前へとわずかに移動させて突き出した踵をシャッテンの脇腹に叩き込んでのけた。


「ぐっ――――」


 衝撃を受け流すべく後方へと自ら飛んでいくシャッテン。


 だが、確実に今の一撃は直撃となっていた。


 たとえ全身の傷口から血の槍を自在に放てるとしても、その材料が自身の生命の源である血液となれば万能の存在ではない。

 防御のために過剰に流したり、それを斬り飛ばされることは使い手の死に直結するからだ。

 一度に放てる量――――数や間合いには限りがあると読んだ征十郎の賭けが勝ったのだ。


「言っておくが、俺にはなんてないんだよ」


 ……この状況下でよくもまぁこんな言葉が飛び出るものだ。


「初見でこれに対応するか。とんでもないセンスだ。……だが、それも長くは持つまい」


 征十郎の軽口を無視したシャッテンの言葉は負け惜しみなどではなく、正鵠を射た指摘だった。


 いかに体内の“オーラ”を高速で燃やし循環させたところで、元々致命傷を受けていれば征十郎の稼げる時間はわずかに過ぎない。

 制約があるとはいえ、相手は変幻自在の第三の武器を持っている上に身体能力も並み外れている。

 ここから全力で立ち向かって勝てるかは未だ見えずというところだ。


 それでも、征十郎は笑みを止めなかった。


 迫る死を前に無理矢理感情を殺しているのではない。

 純粋に、心からこの窮地を愉しんでいるのだ。


「ならば、とくとご覧そうらえ。由丘流剣闘術印可、由丘征十郎――――参る」


 着物の裾をわずかに翻し、白の残像を残して姿が消失。

 仄かに血臭が漂う闇の中を征十郎自身が剣閃となってはしり抜ける。


 シャッテンはその突進を双剣にて受け止めきるはずだった。

 

 だが、一刀目に放たれた影光。

 一文字腰から身体全体を使って迸った鋭い斬撃が生んだ刃鳴はなの音が、それまでとは異なって――――小さく歪んで響いたことにシャッテンは気付けなかった。

 この極限下においてまだ加速しようとする獣の跳躍を、彼は見逃したのだ。


 だからこそ、手首の翻りだけで下から跳ね上がった一撃こそが己の小手を狙った一撃と読み違えた。


 刹那に等しい乱れが二重となり、そこで真正面から衝突。

 確実に剣の筋を読んで迎撃したはずの血剣を大きく弾き飛ばしていた。


 シャッテンの顔に驚愕が浮かぶ。


 未だ勢いを残したままの斬撃が弧を描く中、影光の柄を握る征十郎の左手がわずかに開かれ、自由の身となった刃の切っ先が間合いを伸ばすようにしてシャッテンの眼前へと肉薄。


 そこで剣士としての癖が出た。

 シャッテンは投擲への対処として血槍の発動を躊躇い、飛んできた脇差を首を傾げて回避してしまったのだ。


 それが、致命的な隙を生んだ。


 ともすれば、純粋な剣士として潜り抜けてきた死闘。そのわずかな差がこの結果を生んだのかもしれない。


「悪いが二刀は不得手なんだ」


 シャッテンが両腕の剣を引き戻す中、征十郎は血の気を失った顔で笑みを浮かべた。

 それと時を同じくして、後方から己の頭上へと静かに旋回してきた光匡の柄頭を、掲げられた左手は待ちかねていたかのように握り込む。

 

 そして――――流星のように滑り落ちた。


 静寂を切り裂くように振り下ろされた袈裟懸けの一撃は、風切り音すらも置き去りにする。


 光匡の切っ先が地面すれすれで静止したところで、地下空間に一陣の柔らかな風が吹いて――――消えていった。


「よくも、そのような剣で……」


 シャッテンの喉が震える声を漏らす。


 相手の防御を知覚外の速度で突破した《尾前長舩光匡》の刃は、シャッテンの左肩から胸骨を斜めに横断。

 その際、心臓を完全に両断していた。


 身体を横断して走った傷口が鮮血を吹き出すのに遅れるように地面に片膝をつくシャッテン。

 いつの間にか、左手に握られた血剣は地面で血だまりに姿を変えていた。


「如何なる敵をも斬り斃すため、極限まで鍛え上げられたつるぎだ。ならば担い手は刃を何よりもはやく敵へ届かせる――――それだけだ」


 刀を鞘へと収める鍔鳴りの音が小さく響く。


「無理を通して、道理をぎ取るか……。なんとも、恐ろしい腕だ……。だが、人であること捨てた身ながら剣に死ねる。悪くない最期だ……」


 “シャッテン”と呼ばれた剣士は、口唇を歪めて満足気な笑みを浮かべる。


 そして、静かに目を閉じると、笑みのまま後方へと倒れ込みながらその身体を灰へと変化させ、そのまま跡形もなく消滅していった。





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