第102話 血の報復


 シャッテンが起こした突然の行動。一瞬事態が理解できず、俺はなにをしたのかとわずかながらに目を見開く。

 この状況下で自身の身体――――しかも剣を支える手を傷つける必要性がわからなかったからだ。

 だが、すぐにその意味するところを肌で理解する。


 これこそが――――


 突如として濃密な気配が場に発生。

 息苦しさを覚えるような感覚は、シャッテンから放射される不可視の圧力によるものだ。

 地下空間の薄暗がりの中、奥に控えるシュヴァルツと同様の、仄かな妖しい輝きを放つ紫水晶アメジストの瞳。

 まるで、身体の内に封印されていたものが表へと飛び出てきたようですらある。


 なるほど、これがこの男の本気か。


「では、再開といこう」


 短い宣言と同時にシャッテンの両手が掲げられた。

 先に上がった右手に握られていたのは、当初から征十郎の携える長舩おさふね と渡り合ってきた片手剣。

 続くように上がってきた左手には赤黒く光る同形状の剣があった。

 左手にまとわりつくように拳を覆い、完全に身体の一部として同化している。


 血で作り上げられた剣か?


「あれは公国で見た……」


 リズのつぶやきに俺も不死の帝イルナシドの存在を思い起こす。

 ヤツの場合は身に纏う黒衣を変形させたものであったが、シャッテンはその体内に流れる血液を使っているのだ。

 シャッテンの持つ右手の剣に似せているが、敢えてその形状としているのは明らかに狙いがあってのことだろう。

 しかし、経験のない征十郎にはその瞬間までわからない。


「ジュウベエ殿……」


 リズの言葉に顔を動かすと、視線がこちらに向けられていた。

 何も言わなくていいのかと問いかけているのだ。


「わかっている。だが、それをあいつは望まない」


 俺たちからの視線を浴びる中、征十郎へと向けられた双剣の切っ先越しにシャッテンの鬼気と殺気が高まっていく。


「――――来い」


 口唇をわずかに歪めた征十郎が口を開く。


 それを受けたシャッテンの足が前に進み出たと認識した時には、反対側の爪先が地面を抉り、土塊つちくれが宙に舞っていた。

 そして、次の瞬間には征十郎の間合いへと飛び込んでいる。


 互いの間の空気が歪んだような錯覚を受ける中、シャッテンの右手の剣が振り下ろされ、征十郎の刃が迎撃。

 重ねるように左の刃が水平に振り抜かれる。

 高速の連携が襲いかかる中、素早く旋回した長舩が難なくそれを受け流す。


 しかし、シャッテンの本領が発揮されるのはここからだった。


 左右の剣が生命を得たかのように高速で唸り、空気を切る刺突が流星群のように放たれる。

 突然の展開ながらも、鬼気を察知した征十郎は左右から迫る猛襲を刃で受けながら、弾き、回避し、そして横へ移動していく。

 明らかに単純な手数の面で不利だ。


 シャッテンがさらに一歩踏み込む素振りを見せるが、征十郎はその誘いには乗らず後退。

 間合いをあけて両者が停止する。


 ……さすがに攻めあぐねるか。


 しかし、無理もない。

 シャッテンからの攻撃は双剣となったことで手数が単純に倍となったばかりか、繰り出される剣閃の速度もそれに匹敵するほどに跳ね上がっている。

 単純な比較はできないが、征十郎にとっては先ほどまでの数倍にも及ぶ負担となっているはずだ。


「大陸へ渡って正解だった」


 征十郎がシャッテンの力量を認めた。


 たしかに、これだけの技巧者と戦うことなど滅多にない。

 まともに相手をしようとすれば、並みの反射神経では即座に穴だらけにされて死ぬだけだ。


 にもかかわらず、長舩を構える征十郎は小さく笑っていた。


「いっそ刺突剣に鞍替えしたらどうだ」


「貴殿を斃した後で存分に鍛え上げよう」


 短い会話の後、ふたたび両者が前進から加速し、そして激突。

 戦場での大規模な魔法の撃ち合いが起きているかのような光景だった。


 剣と剣との高速下でのぶつかり合いの最中さなか、不意に征十郎の左手が翻る。

 腰に残る脇差――――太刀と同じく長舩派の《尾前長舩影光びぜんおさふねかげみつ》を逆手で引き抜き、視覚外からの切り上げを繰り出す。


 シャッテンもまたそれに追随。

 高速で翻った血剣は奇襲となるはずだった一撃を阻止して弾く。

 脇差の間合いは太刀に比べれば短く、征十郎としては相手の調子リズムを崩すことを目的にしていたようだ。

 とはいえ、さすがに目に見える武器ともなれば不意を打つだけの隠し玉とはならず奇襲には失敗。


 素早く影光を順手に持ち替えながらも、隙を狙うシャッテンの右から一閃を受け流して体勢を崩させる。

 あらかじめそうなることを読んでいたかのように、いつの間にか頭上高く振りかぶられていた右手の光匡が高速で落下。


 しかし、シャッテンは軸足で地面を蹴って回避行動。

 身体を捻りながら強引に刃の描く軌道から脱出し、そのまま反撃には出ず後方へ転がって間合いを確保する。

 その際、高速の斬撃を躱しきれず、シャッテンは肩口を切り裂かれ出血。

 ここで体勢をすこしでも崩していれば、即座に追撃の刃が叩き込まれシャッテンの生命は終わっていたことだろう。


「……本当に嫌らしい戦い方をする」


 言葉とは裏腹に、シャッテンの声にはどこか楽しむような響きがあった。


 切り裂かれた服の下で傷口が蠢き出血が止まる。

 骨にまで達していないだけにこの程度は負傷にもならない。

 ましてや相手は人間をやめている。かすり傷以下だ。


「どちらが速いかの勝負だろう? 勝った方が生き残る。単純だ」 


 相手の傷が常軌を逸した速度で塞がっていく光景を前にしながら、征十郎は表情を変えることなく佇んでいる。

 あの程度なら誤差の範囲とでも言いたげだ。


……」


 本気を出したシャッテンの速度が上がっていたように、征十郎の剣速もまた呼応するように上昇していた。

 征十郎とは再会して以来、未だ本気で打ち合ったことはないため、俺にはこれが征十郎の最高速度なのかはわからない。


「だが、これが本気というには少しつまらないな」


 この状況下でもなお征十郎は相手を煽りにいく。

 まるで死線を自らの下へ招き寄せようとするかのように。


「もちろん、これだけではない」


 ふたたび双方の距離が詰められ刃同士が噛み合う。

 金属の軋りを上げてそれぞれの得物が拮抗。


 刃が封じられた状態で、シャッテンは前蹴りを繰り出す。脚を掲げた征十郎はそれを防御。

 そこで素早く足を引き戻したシャッテンは、わずかに体重を前に押し出しながら動く。


起動アインリヒテン――――串刺し公カズィクルベイ


 詠唱と同時にシャッテンの身体に変化。

 先ほど征十郎につけられた傷口から、突如として迸った深紅の煌めき――――血液の奔流が数本の槍となって高速で飛翔する。


「野郎……!」


 征十郎の喉が驚愕の呻きを漏らす。


 咄嗟に身を捩ろうとするものの、間合いの内側からの奇襲をすべて躱すことはあまりにも困難だ。

 それでも、そのうちの大半を回避できたのは征十郎が持つ規格外の反応速度によるものだった。


 しかし――――


 いかに征十郎といえども、至近距離から不意を打たれた中ですべての攻撃を退けることはできない。

 先ほどの報復とでもいうかのように、放たれた第三の得物――――血の一撃は黒髪の剣士の胸を貫いていた。



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