第100話 影を掃う刃たち
「リズッ!!」
壁際に追い詰められたリズの姿を視界に収めた瞬間、俺は大声で名前を叫んでいた。
「兄者、ここは俺が先に」
思わず感情の昂ぶりを感じたが、それを機敏に感じ取った征十郎が俺に先んじて口を開く。
「……任せた。少しでいい、時間を稼いでくれ」
冷静さを取り戻した俺の返事を受け、征十郎は地面を蹴る足音をにわかに強く響かせて疾駆を開始。
リズへと向けて剣を振り下さんとしていた男――――シャッテン目がけ、俺を追い越して一直線に斬り込みにいく。
「久しぶりだなァ! 会いたかったぜ、色男ッ!」
鞘走りの音を伴い、征十郎は嬉々とした声を上げて《
「ここまで追って来たか……!」
「お? その喋りが“素”か? いいじゃねぇか、楽しく踊ろうぜ!」
「くっ、この
そのまま頭突きでも仕掛けんばかりに肉迫する征十郎に対して、シャッテンの口から漏れた言葉は会いたくなかったと言わんばかりのものだった。
手首の返しだけでするりと鍔迫り合いから抜けた征十郎の刃が旋回。
表情をわずかに歪めたシャッテンは、真っ向から打ち合うことは不利と判断したのか、後方へ飛んでそれを避ける。
これによって、俺と征十郎がリズとシャッテンたち――――両者の間に割り込んだ形となった。
「ユキ――――いや、ジュウベエ殿。どうしてここに……!?」
俺の背に向け、信じられないといった響きの声が届く。
静かに振り返ると、俺は呆然とした表情を浮かべたままのリズの下へと近付いていく。
そして、未だに受け入れられていない様子のリズの前に屈み、目線の高さを同じにして安心させるように小さく微笑みかけた。
「そりゃ
俺の言葉にリズの瞳が揺れる。
敵を前にして悠長なことだと思われそうだが、まずはリズの
一人だったらこうはいかないが、背後では征十郎がシャッテンたちに警戒の刃を向けてくれている。
本当はすぐにでも戦いたくて仕方ないはずだが、それでも肝心な場で斬り合いを続行しにいかないあたり、さすがに空気を読んでいてくれるようだ。
……まぁ、あまり放っておくと痺れを切らして勝手に始めそうだが。
「それより、ちゃんと役に立っただろ? そのお守りは」
まずは気持ちを落着けさせるのが先だ。
おどけたような口調を作り、俺はリズの胸元を親指で軽く指さす。
「あっ、これ……」
はっとしたような顔で、リズは鎧の下に輝く首飾りの存在を思い出したかのように首元へと手を持っていく。
「いや、わたしよりもエミリア殿が!」
そこでハッとしたようにリズは視線を動かす。
当人が無事であることを確認した俺も、リズに続いてすぐそばで倒れている重傷者へと視線を向ける。
「ひどいな――――」
ひと目見て理解した。
ずいぶんと弱っているが、エミリアとリズが呼んだこの少女こそが、学園の廊下ですれ違った謎の気配と同じ存在であると。
「……うちのお姫様が世話になったみたいだな」
負傷している相手に声をかけるべきか一瞬迷ったが、俺の想像通りの種族ならば今すぐに死んでしまうようなことはないはずだ。
「久し、ぶり、じゃな……。まさか……この、ような情けない姿で……おぬしと、再会することに、なる、とは、思うてお、らなんだが……」
息も絶え絶えに口を開くエミリア。
旗目から見れば、致命傷以外の何物でもない。
胸にぽっかりと空いた拳大の穴――――心臓の大半を破壊されているのだ。
辛うじて意識が残っているだけで、なぜ息があるのか不思議なくらいである。
あの時の気配から、彼女がヒトならざる者だと推測してはいたが、それでも重要器官を破壊されて即死しない生命力に驚かざるを得ない。
「もう喋るな。それとコイツを持っていろ。たぶんだが、すこしは楽になる」
そう言って、俺は狂四郎を鞘ごと腰から外しエミリアの身体に載せるように置く。
殺り甲斐のありそうな敵を前にしているにもかかわらず、不思議なことに
ついに刀までもが空気を読み始めたようだ。
「こ、これは……」
リズの口から驚きを滲ませた声が漏れる。
少女の身体に太刀を置いた途端、狂四郎の鍔が鈍い赤の輝きを明滅させ始め、それと同調するようにしてエミリアの荒い息がほんの少しだけ和らいでいくのがわかった。
その光景を見て小さく息を吐き出した俺は、ふたたびリズへと向き直る。
「……怪我をしているな」
俺の動きに呼応するようにこちらを向いたリズの額からは血が流れていた。
「わたしは、平気だ」
気丈に振舞って固辞しようとするリズだが、その顔色はけして良いものではなかった。
額からの出血が派手に見えことを差し引いても、内部へとかなりのダメージを受けている。
鍛錬で俺が言っていた通り、素早さを確保するために動きを阻害する箇所を外して軽装化したのだろうが、それによって負傷している姿を見て胸がわずかに痛む。
「平気なわけないだろう。応急処置程度だが治療するぞ」
「あ、いや、その――――」
血が付着した前髪に手をやり、顔を近付けて傷口を見ようとすると、リズが顔をわずかに赤くして目を伏せる。
……そんな表情をするとこっちまで気恥ずかしくなってくるじゃないか。
小さな咳払いで気を取り直し、俺はリズの切れた額へと手を持っていく。
そして、体内の魔力を変換した“
「軽装に変えたおかげでここまでは戦うことはできたんだが……」
所在ないのかリズから話しかけられる。
もしかすると、先ほどの感情が俺の表情に出ていたのだろうか。
リズがこちらを気遣うように“作り笑い”を浮かべようとするが、気弱な笑みにしか見えなかった。
「わかっているさ」
リズを止める。
本当は悔しいのだろう。
笑顔を無理に浮かべているが、リズの肩が小さく震えているのがわかった。
想定外のこととはいえ、自分が太刀打ちできない敵と遭遇することになったのだ。このような結果になってしまうのも無理はないと俺は思う。
しかし、それは絶対に口には出さない。
これから先リズが足を踏み入れようとしているのは、このような“学生の実地試験”ではない。
「たまたま遭遇した敵が強かったから負けました」では通らない世界なのだ。
下手な慰めは、彼女の立ち向かおうとする意志を貶すことになる。
……まぁ、それを差し引いても、ウチの“お姫様”に傷をつけてくれた連中には、きっちり落とし前をつけてもらわねばなるまい。
「……そろそろいいですかね、兄者」
絶妙に空気を読んでいてくれた征十郎が「まだ?」と言葉を挟んでくる。
本人としてはさっさと戦いたくて仕方がないのだろう。
その気持ちはよくわかる。
「あぁ、もう済んだ。……リズ、あとは俺たちに任せておけ」
無言で頷くリズを見た俺はゆっくりと立ち上がり、この事態を引き起こしてくれた張本人たちへと向き直る。
「……待たせたな」
「いえいえ。“変わらぬ結果”を前に焦るような真似は無粋ですからね。貴方がたお二人のことはシャッテンから聞き及んでおります」
いきなり現れておきながら自分たちを無視して会話をしていた無礼極まりない
「あ、ご挨拶が遅れました。私のことは“シュヴァルツ”とでもお呼びいただければ」
そればかりか、男――――シュヴァルツはにこやかに微笑む。
まるで世間話とでも言わんばかりに発せられる自己紹介の言葉は、九割九分九厘の人間がふざけていると受け取るであろうものだった。
だが、不快さを差し引くと、状況を理解していないようなどこかズレたような印象を受ける。
俺はすぐに理解した。
この男は、俺たちをと戦うことになんら緊張感を抱いておらず、自分たちの勝利を確信しているのだと――――。
「殊勝な心がけだ。おかげで後顧の憂いなく
「それはよかった。しかし、よく我々がここにいるとわかりましたね。あのタイミングであれば囮のほうへ引きつけられてくれると思っていたのですが」
俺の挑発を受けても、シュヴァルツと名乗る男の表情は変わる素振りさえ見えない。
ならば、揺さぶりをかけよう。
「あぁ、狼退治の報酬さ」
さすがにその効果は顕著だった。
俺の言葉を受けたシュヴァルツの表情が、わずかながら反応を示したのを俺は見逃さない。
拠点に残してきた手札が敗れたことに対する動揺だろう。
「ほぅ、彼を退けましたか。ならばその余裕も頷けるというもの。ですが、それもここまでです」
こちらを見据え、前へと進み出ようとするシュヴァルツから放出される鬼気。
肌に細かい棘が触れるような感覚に襲われる。
なるほど、この振舞いも伊達や酔狂ではないらしい。
しかし、そこで意外な動きがあった。
シュヴァルツの威圧を制止するように、シャッテンが剣を握る右腕を水平にして仲間の行く手を塞いだのだ。
「悪いが――――」
「その色男には散々おあずけを喰らっていてね。先にこちらの相手をしてもらいたいのさ。それに、四人いっぺんで暴れ回るにはここは狭いだろう?」
敵対者からの予期せぬ
相も変わらず口が悪い。
「……あぁ、是非もない」
待たされたんだと言わんばかりに征十郎が一歩進み出る。
俺はそれを止めない。
対するシャッテンも、剣の宿業に応じるように短く告げて足を前に踏み出した。
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