第96話 アメジストの妖気


「なんだ、貴様たちは!?」


 咄嗟に振り返ったダミアンが、見知らぬ男たちを前にしているにもかかわらず、進み出ながら誰何の声を上げる。

 迂闊すぎると周りが止める間もなかった。


「いえ、


 それと先頭に立っていた金髪の男が動いたのはほぼ同時だった。

 銀色の髪をした男の双眸が、幼子に言い聞かせるような口調とともに怪しく紫色に輝く。


「なん――――」


 一瞬怪訝な表情を浮かべて口を開きかけたダミアンだが、それ以上続けることはできなかった。


 ダミアンを筆頭に、後方で警戒をしていたデルフィーノとさらには教員までもが、突如として力を失い地面へと倒れ込むとそのまま動かなくなる。

 それは、まるで糸の切れた人形へと変えられてしまったかのようであった。


「……おや?」


 ふと、意外そうな声が男の口から漏れる。

 その視線の先にはリーゼロッテとエミリア、二人の少女の姿があった。


 ――――まさか、これは“魔眼”なのか?


 高位魔族のみが可能とすると伝えられる特殊技能の存在が、戦闘勘の研ぎ澄まされたリーゼロッテの脳裏をよぎる。


 伝承だけの存在でしかなかったが、それが目の前にいるとなると……。


 リーゼロッテの脳内で危機感が凄まじい勢いで膨れ上がっていく。


「これはこれは……。私の魔眼による“魅了チャーム”を跳ね除けられるがいるとは驚きですね」


 周りの人間が抵抗らしき抵抗をする間もなく倒れていく中、リーゼロッテはなんら影響を受けた様子もなく自分の足で立てていた。


 ……なにをされた?


 リーゼロッテは弾かれたように蒼炎を纏わせた《オルト・クレル》を構える。


「貴様、なにをした……!」


 戦う前から負けるわけにはいかないと、リーゼロッテは自らを鼓舞するように声を張る。


 自分でも不思議だと感じてはいた。

 だが、男の瞳が輝いた瞬間、少しだけ意識がザワつくような感覚はあったものの、それもすぐに消えてなくなっていた。


 その際、鎧の下に隠された首元に揺れるネックレスの宝玉が一瞬だけ輝きを放ったのだが、それに気づく者は持ち主たるリーゼロッテを含めて誰一人存在しなかった。


「やれやれ、周りと同じように昏倒していればよかったものを……」


 困ったように薄い笑いを表情に貼りつける金髪の男。


 それがリーゼロッテには、自分をのだと瞬時に理解できた。

 屈辱に湧き上がる怒り。


「答えろ!」


「そう怖い顔をされないでください。ちょっと眠ってもらうついでに、我々のことも忘れていただいただけですよ、公国オーレリアの姫君」


 リーゼロッテの怒りの問いに、すぐ隣に立っていた銀色の髪をした男が口を開く。

 先に立つ男が彼の発言になにも口を挟まないことから、同等かそれに近い立ち位置であるとわかる。

 

 ……いや、それよりも自分わたしのことを知っている?


 その事実に、リーゼロッテの内側で怒りの感情が縮小していき、反対に緊張感が一気に膨れ上がる。


 つまり、この者たちは――――


 リーゼロッテの脳内で情報の欠片同士が線を結んだ時、目の前にいる男の一人が、ユキムラと征十郎から聞いていた剣士の風貌と一致することに気がつく。


「貴様ら、まさか悪所の――――」


「ふむ、我々を知っているということは、貴方はあの厄介な二人組の知り合いですか」


 一.八メルテン近い細身の長身から受ける印象はけっして力強いものではない。

 だが、その立ち振る舞いの中に潜む気配が、只者のそれではないとリーゼロッテの本能に警鐘を鳴らさせていた。


「狙いはこの学園だったのか」


「半分正解といったところですね。あぁ、勘違いしないでいただきたいが、我々はここで諸国の貴族子弟に危害を加えるつもりはありませんでした」


 進み出た銀髪の男は柔らかな物腰で口を開く。

 しかし、リーゼロッテにはそれが擬態に過ぎないと本能で感じ取れていた。


 この男がその気になれば、瞬時に間合いを詰めた剣が自分めがけて唸りを上げることだろう。


「ですが、アナタがたは倒れてくれなかった。……申し訳ないが、今は我々の痕跡を残すわけにはいかない」


 男の眼が剣呑な色に輝く。

 それが「生かして帰すつもりはない」という意味であると理解するのにさして時間はかからなかった。


「“シャッテン”、おしゃべりが過ぎるぞ」


 金髪の男が、シャッテンと呼ばれた男へ非難の言葉を向けた。


「おっと。これは失礼、“シュヴァルツ”。……いずれにせよ、。屍を晒すことなく、迷宮に飲まれていただきましょうか」


 金髪の男――――シュヴァルツに身近く謝罪をすると、シャッテンは腰に佩いた剣に手をかける。 


「そうはさせぬよ」


 凛とした声とともに前へと進み出たのは、それまで黙ったままでいたエミリアであった。

 彼女もまた男の放った“魅了チャーム”とやらの影響を受けることはなかったようだ。


 だが、なぜ? というか、その口調は?


 そんなとりとめもない疑問がリーゼロッテの脳内を支配する。


「エミリア殿……?」


 リーゼロッテの問いかけにエミリアは答えない。

 一瞬だけ顔を向け、返事の代わりに小さく微笑むと、直後エミリアの身体に変化が訪れる。


 背中まで届く見事な白金色の髪からは色素が完全に抜けていき、腰まで続く純白へと変化。

 薄闇の中でも周囲のわずかな照明を受けて煌めきを放つそれは、まるで闇を統べる支配者にも似た風格すら漂わせるものであった。


 同じくして透き通るように滑らかな白磁の色となった肌は、まるでみずから光を放っているかのような美を振り撒く。

 身体の輪郭を形成する曲線は、元から身を包むローブに包まれており明らかにはならない。

 だが、それでも先ほどまでのものは不思議と異なり、その身からはまるで幾星霜も経た巨樹を思わせる泰然とした雰囲気を放っていた。


「その、姿は……?」


「本来なら、とはこのような形で出会いたくはなかったのじゃが……」


 ぞっとするような美しさとなったエミリアが、残念そうにリーゼロッテへと紅の瞳を向けて微笑みながら漏らす。

 突如として変化を遂げた学友を前に、リーゼロッテは続く言葉を紡げないでいた。


「《変化の魔道具》……。やはり学園に紛れ込んでいましたか。任のついでにアナタを探し出して始末するよう命を受けておりましたが、どちらも達成できそうでありがたい限りです」


 シュヴァルツが口を開く。

 彼を筆頭とした襲撃者たちの間からは、エミリアの変化した姿を目の当たりにして驚いた様子は見受けられない。

 おそらく、これは彼らからしてみれば想定の範囲内の出来事なのだろう。


「“ついで”じゃと? ……ふん、走狗ごときがほざきよるわ。ところで、の姿が見えぬようじゃが……」


「ふふふ。出来損ないの真祖エルダーを相手する場などに、“あの方”が自らお出でになることはありませんよ」


 シュヴァルツの声には、あきらかな嘲笑の色が含まれていた。

 それを受けたエミリアの表情が不愉快の色に小さく歪む。


「……妾を相手にたった四人とは、ずいぶんと舐められたものよ。敵の戯言とはいえ、いささか不快じゃな」


 威圧が形となってエミリアから放たれ、狭い通路内に風となって吹き荒れる。

 膨大な魔力の波長が実体となって、物理的な反応を引き起こしているのだ。


「いいえ、それは間違ってなどおりません。そして、それが今から我々によって証明される」


 威圧の風を真正面から受けるも、シュヴァルツたちに影響らしきものは微塵もない。

 エミリアと同じように魔力の波長をぶつけて相殺しているのだ。


 なんという圧力だ……。だが、わたしとて――――


 リーゼロッテも額から汗が流れ落ちる中、この圧倒的な魔力の奔流に飲まれまいと魔力を流し込んだままで構える《オルト・クレル》の柄を強く握りしめる。


「ならば、やってみせよ。走狗ごときが、真祖エルダーを前にどの程度足掻けるのかを」


 繊手を掲げ、エミリアは宣言した。



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