第94話 その気配、闇を割いて


 鋭く伸びる銀光が異形の頭部から抜ける。

 声を上げることもなく小さく痙攣したのは、上層で現れた死人ゾンビではなくその上位種とされる屍食鬼グールだった。


 死人ほど肉体が腐敗していない――――むしろ、腐敗の進行が一定の部分で止まっているのか、強力な膂力で攻撃を仕掛けつつアンデッド系統特有の高い耐久性で中級になったばかりの冒険者を翻弄する魔物として知られている。


 そして、そんな厄介な存在が、これ以上先へは進ませないとばかりにリーゼロッテたちの前に立ち塞がっていた。


「《審判の炎ジャッジメント・ファイア》――――!」


 エミリアが手にした魔導杖から放たれた灼熱の渦が、避けることもできないままの屍食鬼たちの身体を炭化させ行動力を奪う。


「はぁぁぁぁぁッ!!」


 それを好機とばかりに、短槍を肩に担いだ男子学生――――デルフィーノ・アン・カサーレが前進する。

 雄叫びを上げて握り締めた槍で屍食鬼の身体を薙ぎ払い、炭化して脆くなっていた胴体を両断。

 迷宮が生み出した命を持たぬ人形を灰へ戻しながら、次なる相手に槍の穂先を向ける。


 彼らが相手にしているのは、最前衛として屍食鬼たちの攻勢を引き受けているリーゼロッテの攻撃範囲を抜けた数体であったが、死にかけということでリーゼロッテは後衛に任せることにしたのだ。


「なんであれで動けるんだ……!」


 エミリアの魔法攻撃を受けたことで大半は消滅していたが、最後に残ったその屍食鬼は攻撃範囲から上手く外れたのかまだ動いていた。

 強引に動いたことで炭化した左足の脹脛ふくらはぎから先が消失しているが、これが人間であればとっくに行動能力自体を喪失しているはずだ。

 にもかかわらず、断面から見える肉と骨を地面に打ちつけ、身体を動かして侵入者を倒そうと前進してくる。


 リーゼロッテと教員を除く面々の背筋が寒くなるような光景だった。

 口にこそ出さないが対峙するアンデッドのように顔色を青くしながら、自分たちが戦った経験のない難敵に立ち向かっていた。


 しかし――――


「こうも不死者アンデッドばかりだと張り合いがない……!」


 破邪剣 《オルト・クレル》を引き抜いたリーゼロッテ視線の先では、彼女に向けて手を伸ばしたままのグールが、闇の中に煌めく蒼い炎の中で灰となり、静かに崩れ落ちていくところだった。


 リーゼロッテが密かに言葉を漏らすように、アンデッドに対して特効を持つ彼女の前ではたとえ上位種であっても死人となにも変わらなかった。

 耐久力があるだけで緩慢ノロい存在など、圧倒的な数で押し寄せて来でもしなければ敵にもならないのだ。

 しかし、生きている魔物や人間、あるいは魔族であれば即死するはずの肉体中枢部分を破壊されてもなお、動こうとするのには閉口せざるを得なかった。


「敵が強くなったということは終わりも近いはずだ。先を急ごう」


 最初の戦闘を皮切りとしたように、その後も定期的に襲い掛かってくる低位から中位の迷宮生物たちを退けたリーゼロッテたちは、緩やかな傾斜となっている通路を進みながら下の階層へと降りていく。

 入口――――最初の階層とは違い、階段を伴うような明確な区切りが設けられてはいないようだが、徐々に地下へと進んでいること次第に冷えていく空気によって理解できた。


 そうして、しばらく新たな魔物の集団と遭遇しないまま、リーゼロッテたちは行き止まり――――いや、何かを守るかのように存在する扉へと辿り着いた。


 幸いにして、付近に誰かが先に進んだような形跡は見受けられなかった。

 おそらく、自分たちが一番手なのだろう。


 まだ終わったわけでもないにもかかわらず、達成感にも似た感情が湧き上がってくるのがわかった。

 浮つきそうになる感情をリーゼロッテは強引に内側へ抑え込む。

 だいたいにおいて、目的が達せられる直前こそがもっとも気が抜けて危険になるタイミングだと理解しているからだ。


「……ここが最奥地か?」


 明らかな区切りとなる扉を前に、ダミアンが安堵した口調で漏らす。


 当初から比べると、威勢のよさは魔物と戦う間にすっかりとなりを潜めてしまったが、それでも初遭遇時からすれば多少は持ち直したのかもしれない。

 あの後の戦闘で、他の面々が撃ち漏らした死人をなんとか自分の手で倒せたことが自信へとつながったのだろうが、べつに活躍を見せたというわけではない。


 だが、リーゼロッテはそこに触れるようなことはしない。

 たまたま自分の活躍できる場があったにすぎず、そこに胡坐をかいて手柄を独占するような真似は褒められた行動ではないと思ったからだ。


「ゴールになにがあるとまで説明を受けてはいなかった。結論付けるのは早いのではないか?」


 デルフィーノが疑問を挟む。

 おそらくダミアンとは対照的に生来の慎重派なのだろう。


「しかし、今まで来た道にこのようなものは存在していなかったはずだ」


 気に入らないのか食い下がろうとするダミアン。

 最初のように意固地になっているわけではなく、早々に終わらせて地上に戻りたいのが丸わかりだった。

 もちろん、当人にそれを問いかけても絶対に認めはしないだろう。


 しかし、なぜ人間に合わせたものでもない地下迷宮の中に、照明をはじめとしてこのような人工物めいた物が備え付けられているのだろうか。

 もっぱら生の魔物を相手にするばかりで迷宮に潜ったのことのないリーゼロッテの脳裏にも疑問は生じるが、すぐにその思考を無意味なものとして打ち切った。

 

 ――――そんなことは物好きな学者にでも任せておくべきだろう。


 自分でも探求心がないつまらない人間だと思わなくもなかったが、今のリーゼロッテにとって優先すべきはこの迷宮探索の試験を終わらせることだ。

 余計な思考に割くべき暇は存在しなかった。


「扉を開けよう。こうしていても始まらな――――」


 一歩踏み出したところで、リーゼロッテは硬直した。

 突如として、後方の空間から地面を叩く靴の音が、まるで降って湧いたかのように聞こえたのを鋭敏化した聴覚が捉えたからだ。


 学生のものではない。

 そうであるなら、もっと早い段階からリーゼロッテに感知できたはずだ。


 弾かれたように背後を振り返ると、そこには見慣れたはずの闇が広がっていた。

 通路に備え付けられ悠久の時を変わらず照らし続けてきたはずの灯りが、まるでなにかに慄くかのように明滅を繰り返していた。


 が、いる――――?


「――――ふむ、意外だったな。余計な者たちはすべて追い抜かして来たものだと思っていたのだが」


 薄闇の中から靴音と共に響いてきたのは、本当に何気ない言葉だった。


 しかし、そんな一瞬の間にどういうわけかリーゼロッテの全身が総毛立っていた。


 この感覚は、のものに近い――――!!


 咄嗟に自身の右手――――《オルト・クレル》の刀身へと魔力を送り込みながら、そこに頼るべき存在ほのおが存在しているかを確かめるように視線を送る。


 今まででもっとも強く輝く蒼の炎が、刀身の周囲に螺旋状の渦を描いていた。


 それを目の当たりにしてもなお、不安を拭い去ることができないほどの底知れぬ気配。

 さながら、イルナシドと対峙した時に似た空気をリーゼロッテはその身に感じていた。


 逃げ出したくなる空気の中、ついに覚悟を決めたリーゼロッテは、背中を濡らす汗の感覚を感じながら顔を上げる。

 視線の先には、いつの間に近くまで接近していたのか、四つほどの人影が浮かび上がっていた。






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