第93話 蒼く輝く炎


「く、来るな……!」


 自身へと迫る死の気配を前に、ダミアンはまるで動けなかった。


 迷宮探索において必ずや遭遇するであろう魔物。

 その爪や牙から身を守るべく全身を過剰なまでの鎧に包み、熟練の騎士が求めてやまないだけの名剣を持ち込んだ。

 それでもなお、生粋の戦士でない彼には咄嗟の脅威に対応することができなかったのだ。


 しかし、これは彼が全面的に悪いというわけではない。


 生命が経るであろう円環を外れしは、まさしく外法――――魔のモノとなる。

 それは、ただひたすらに生ける者の嫌悪感を誘うがために存在しているようですらあった。


 生身の人間と同じだけの筋力を維持できるのかと疑問を抱くほどに腐敗した肉体からは臭気が漂ってくる。

 朽ちかけた肉体の上に備わる首は、「なぜ自分が未だに動き回っているのだろうか?」とでも言うかのように、斜め前方へと傾いていた。

 しかし、青褪めた顔面に表情らしきものはなく、双眸に嵌る白濁した眼窩がそのグロテスクさにこれでもかと仕上げを施していた。


 繰り返すようだが、これは本物の死人ゾンビではない。

 にもかかわらず、なにもそこまで本物に似せなくてもよいだろうにと思うほど醜悪な見た目をしている。

 その混沌が、その場にいた学生たちを少なからぬ混乱へと引きずり込んでいた。


 しかし、悠然と前へ進み出た断罪者リーゼロッテにそのようなことは一切関係ない。

 迷いもなく放たれた鋭い剣閃は、蒼い弧を描きつつ暗闇の中を流星のごとくはしり抜ける。


「「《断罪神閃パニッシュメント・スラッシュ》!!」」

 

 空を渡るように飛翔した斬撃は、ダミアンへと迫っていた死人ゾンビの身体に喰らいつくと、そのまま胴体の部分で上下に両断。力を失って地面へと崩れ落ちる。


 単体で先行していた死人ゾンビの肉体が浄化されて灰へと変わっていく中、リーゼロッテは眉根を動かすことなくふたたび蒼い炎を纏わせた剣を掲げる。

 その視線の先にはただ前へ進もうとする死人の群れがあるのみ。


「塵に還れ、《浄炎の中にイン・フレイムス》――――!」


 裂帛の気合が静まり返った虚空へと木霊する。


 リーゼロッテの声を発動の鍵として、破邪のつるぎとしてノウレジア公国に代々伝えられてきた《オルト・クレル》の真価と、その担い手として選ばれし姫騎士の魔力が融合しより深い紺碧の焔となって現世に顕現。

 実体化した蒼き浄炎は、行く手に立ち塞がらんとする魔物ゾンビの群れを包み込むように拡散すると、そのまま跡形も残さずき尽くしていく。


 それはまさに一瞬の――――英雄譚でしか見られぬ出来事のようであった。


「……そ、そんなバカな……。よりにもよって“遺物アーティファクト”を使いこなすだと……!?」


 業物と思しき短槍を構えて臨戦態勢を作り上げていた男子学生が、自分の見ているモノが信じられないとばかりに言葉を漏らす。

 それを皮切りとしたように他の面々からも反応が生まれるが、彼らの顔に浮かぶ感情はまさに千差万別のものだった。


「あ、ありえない……。この俺よりも先に……」


 続いて一歩も動くことができずにいたダミアンの口からも驚愕の呻き声が漏れる。

 より正確に言えば、彼の場合は自分の脳内で思い描いていたことが現実のものとならなかった自身を棚に上げて現実逃避しているだけであったが。

 それでも、今となってはもう虚飾を纏わせることもできない。


「……まぁ、リーゼロッテ様ならば当然でございましょう」


 ふたりの男子学生が納得できずにいる中、エミリアだけはさも当然という態度をとっていた。

 そこにどのような根拠があるか当人以外にはわからないことだが、ここまで男たちからの反感を買っていたリーゼロッテに対して自信満々に評することができるのだからなにかしらの意図があるのだろう。


 いずれにせよ、誰しもが目の前で起きた光景に対する驚愕に固まっていた。 


 そして、そこには当然この試験の監督役でもある教員も含まれている。


「まさか、《適合者》がいたとはな……」


 感心したような小さなつぶやきは、他の誰の耳にも届かず虚空へと消える。


 彼自身、リーゼロッテが剣技において非常に優秀な成績を修めていることまでは把握していた。

 しかし、そこまでだった。

 まさか彼女がこのような“遺物アーティファクト”とも言える武器を使いこなし、訓練とはいえある種の実戦でも真っ先に攻勢に出られるとまでは思っていなかったのだ。


 もちろん、それはリーゼロッテ個人の問題ではなく、良くも悪くも貴族子弟を中心として続いてきた学園の性質によるものだろう。


 そもそも、“遺物アーティファクト”という存在は、決して巷に出回ることも多くはないが、それ以上に使いこなせる人間があまりにも少なかった。

 そのため、迷宮などから発掘されたとしても、発見者には使いこなせず売りに出されることがほとんどなのである。


 いくら価値があっても、その真価を発揮できなければなにも意味がない。

 ならば後生大事にしておくのではなく、売却して得た資金で自分に扱える武器を買った方が後々稼げるという共通認識さえあるくらいであった。


 資金のある人間がそれを買い求めるようになっていったのは、もはや必然的と言えよう。

 それは「自分なら使いこなせる」という自信からかもしれないし、あるいは所持することを一種のステータスと思っての行動だったのかもしれない。


 そして、現在“遺物”の所有者の多くは貴族となっていた。

 もちろん、それを使いこなすことなどできないまま。


 ――――毎回、“遺物”を見る度に単なる見かけ倒しかと思っていたが、こりゃかもしれないな。


 冷静な思考を取り戻した教員は、消滅する灰燼を前に佇んでいるリーゼロッテの後ろ姿を眺めながら内心でそう結論づける。


「――――さぁ、先に進もう。急ぐのだろう?」


 万人が成すことの能わぬ光景を作り出しながら、悠然と立ちながら背後を振り向いたリーゼロッテの秀麗な表情には、己を誇示しようとする意志は微塵も存在していなかった。



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