第87話 戦端


 そして、ハンナが件の連中の潜伏場所を突き止めたのは、“ヤツら”が接触してきてから三日ほど後のことだった。

 敵がこちらの予想を超えた手練れを擁している可能性もあることから、あまり無理をするなと念押ししていたため余計に時間がかかったらしい。


 だが、それを差し引いても単独でなし得たのだから、優秀な情報収集能力と称賛するしかない。


「それにしても、いきなり動くなんて兄者もずいぶんと腰が軽いものですね」


 俺の隣を歩く征十郎がおもむろに口を開いた。


 あの襲撃から数日ぶりとなるが、俺たちはふたたび悪所の奥部を歩いていた。

 火災があったからかはわからないが、相変わらずの人気がない区画がさらに寂れて見えるから不思議だ。

 あるいは、これでもかと晴れ渡った春の空のせいかもしれない。


「まぁ、何度も来るような場所じゃないだろう?」


 自分の喉から出た声には居心地の悪さが現れていた。


 周囲の建物から向けられる視線は以前よりも強く肌に刺さってくる。

 まるで、余所者が厄介事を持ち込むなと言われているようでもあった。


「この場所のためとか言う気はありませんが、それでもあまり気分のいいものじゃありませんね」


 征十郎の声には不快感が滲んでいた。

 自分たちでは何もせずにいる連中が、非難の言葉こそ投げてこないものの、こうして恐怖混じりであっても敵意をこめた視線を送ってくるのが気に入らないのだろう。

 知り合いのためでなければ、即座に手を引いていたかもしれない。


「まぁ、今さらだな」


 短く返してから、いい加減空気を変えようと俺は別の話題を選ぶ。


「それに、今日はリズが学園の地下迷宮に潜るって言ってただろ? 早めに戻って帰ってくるのを待っていてやらないといかん」


 笑顔で「期待しておいてくれ」と告げ、意気揚々と出ていくリズを見送った身としては、帰ってきた時にいないという失態を犯すわけにはいかないのだ。

 剣の技を教え込んできたのもあるし、やはり成果はいの一番に聞いておきたかった。


「そんなに心配をしなくても、お遊戯――――おっと、これは言い方が悪かった。貴族のお坊ちゃんお嬢ちゃんと学園の中で競うなら、十分過ぎるくらいの腕は元々持っているでしょう?」


「心配してるわけじゃないさ。ただ、たとえすこしでも成果を上げて自信をつけてほしいだけだ。今のリズに必要なのはそれだからな」


 何かを得ることができなければ公国を離れた意味もない。

 だからこそ俺は願う。

 そこで得た自信が、いずれ“ひとつの強さ”として彼女の中で実を結ぶことを。


 会話を続ける途中で、俺たちは燃え落ちた建物の前を通り過ぎる。

 例の襲撃を受けた場所だった。


 風の噂では、あの建物から生存者は見つからなかったようだ。

 犯罪組織の首領もあのまま建物と運命を共にしたらしい。


 ……まぁ、ほんのすこしばかり会話を交わしただけの相手だ。

 記憶として思い出すことはあっても、なにかしらの感慨が湧いてくることはなかった。


「なんにせよお優しいことです、本当に」


 脳内で別の思考を紡いでいた俺に征十郎からかけられたのは、内心に渦巻いていたものとは正反対の言葉だった。


 思わず視線を向けた先で、征十郎は小さく微笑んでいた。


「……どうだろうな」


 返した言葉は少々ぎこちなかったかもしれない。

 あくまで想像でしかないが、俺が何を考えているか理解した上で、あえて征十郎はそう言ったのだと思う。

 だから、俺はその言葉を素直に受け入れることができた。


 ……たぶん、この選択でいいのだろう。


「でもまぁ、だからこそ“余計なモノ”はさっさと潰しておくに限る」


 様々な感情が綯い交ぜになったままというわけにはいかない。

 小さく息を吐き出して、俺は意識を切り替える。


 人気のない通りを歩む俺たちの前に、これといって特徴のない建物が見えた。

 ハンナからもたらされた情報によれば、あそこが“薬”の出元であり俺たちを襲撃した連中の拠点であるらしい。


 様子を窺うでもなくそのまま真っすぐに進んでいくと、ちょうど建物の中からひとりの男が出てくるところだった。

 互いの距離はすでに五メルテンを切っている。


「……なんだぁ?」


 こちらを見て胡乱げな顔をした男が直後に硬直。

 即座ともいえる速さで腰の短剣に手を伸ばすが、その瞬間には間合いへと入り込んでいた俺の足が無造作に伸びている。


「ぐぅっ――――」


 相手の腹部に爪先がめり込む感触。

 同時に、筋肉が軋む音を俺の足先越しに伝えてくる。

 その向こうで、身体を折った男がくぐもった苦鳴を上げながら後方へと吹き飛んでいく。

 その先にあったのはたった今自分が出てきたばかりの扉。


 当然ながら、勢いのついた成人男性の意図せぬ体当たりを受けることになった扉は、衝撃に耐え切れず吹き飛んで内側へと倒壊していく。


「ちょっとやり過ぎたな」


 扉を蹴り破り、白目を剥いて痙攣している男を乗り越えて中へと侵入した俺たちの耳に、床を踏みしめる複数の音が聞こえてくる。

 階段の上や一階の奥から大柄な身体つきの男たちが次々に現れる。なるほど、隠密行動は不得意かもしれないが、戦うとなればコイツらの方がだ。


「ひきこもりども、こっちから来てやったぞ。挨拶しろ」


「殴り込みか!」


 俺の言葉を挑発と取ったのか、現れた男たちがにわかに殺気立つ。


 その手には剣や戦斧、果ては短槍までも握り締めていた。

 外にこそこそ出向くのとは違って、本拠地だからこそ得物もなかなかに多種多様なものを揃えているようだ。


「似たようなものだな。シャッテンと遊びに来た。ヤツを出してもらおうか」


 太刀の柄に手を置きながら、征十郎が前に進み出る。


「……お前らが報告にあった異国の剣士!」


 シャッテンという単語に、こちらを睥睨する男たちの顔色が変わった。

 犯罪組織を隠れ蓑カバーにしてこそいるが、さすがに国の息がかかっているだけのことはあって対応が早い。


「襲撃班を退けたくらいで調子に乗りやがって……!」


 吐き捨てるような言葉が向けられる。

 まるであの時は本気じゃなかったとでも言いたげだ。


「調子に乗る? あんな萎え萎えの連中だけで俺が満足できると思ってんのか不能ども。違ェって言うんならさっさとかかってこい」


 鼻で笑う征十郎の口から発せられたのは、俺の思っていたものよりもひどい言葉だった。

 さすがに、玄人である男たちも予想だにしない暴言を受けて色めき立つ。


 だが、過去の雪辱を晴らそうという征十郎には、それすらたいした障害としては映っていないことだろう。


「連れの言葉じゃないが、たしかにそれは一太刀でも浴びせてから言うべき台詞セリフだな」


 向けられる濃密な殺気へと呼応するように、俺は腰に佩いた狂四郎の刀身をゆっくりと鞘から引き抜く。

 前方からも征十郎が長舩おさふねを抜き放つ鞘走りの音。


「片付けろ!」


 言葉と共に男たちが前進。


 そうして、ようやく“反撃”を意味する戦いが始まった。




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