第86話 昼下がりの来訪者

 

 さて、結局のところ、俺はすぐに退屈さに耐え切れなくなった。


 面倒事を避けるためとはいえ、屋敷に引きこもっているなんて消極的な行動は二日と続かなかったわけだ。

 常に血に飢えているはた迷惑な狂四郎は別として、刀を振り回して血を見ないと死ぬ末期の精神異常を患ってはいない俺であっても、あまりに退屈だと死にそうになってしまうのはたしかだ。


 そんな晴れた日の午後、王都中心部にある喫茶店の屋外テラス席で、俺は行き交う人々の群れを眺めながら紅茶を啜っていた。


 もちろん、ここまで一人で出てきたわけではない。

 外に出かけたがった公女様リズの買い物への付き添いという形で、だ。


 ちなみに、当のリズだが、今はイレーヌと共にすぐ先に見える店で買い物をしている。

 つい先ほどまでは、俺も装飾品の店などにはついて回っていたが、服に関しては遠慮させてもらうことにした。

 通常の衣服ならまだしも、下着などを買うとなれば俺がいるのは礼を失するというものだ。


 というか、普通について来るものだと思って袖を引っ張っていくなと。俺にどういう反応をしろというのだ。

 ……まぁ、おそらくからかわれているのだろう。


「ふぅ……」


 温かな液体が喉を通り過ぎる心地よい感覚の後、鼻に抜ける香りの余韻。

 それらに浸る俺の喉から小さな息が漏れる。


 護衛役がこんな調子でいいのかと思われそうだが、イレーヌならよほどの相手でもなければ後れを取ることはないだろうし、まず先に俺へと危機を知らせる合図がくる。


 いずれにしても、慣れないことをするとどうにも疲れるというか肩が凝る。

 だが、それはけっして不快な疲労感ではなかった。


 こうしてゆっくりできるのなら、無理にでも征十郎を連れて来ても良かったかもしれない。

 まぁ、本人が「いい機会なので大人しくしている」と留守番を申し出たので結果は同じだったかもしれないが。

 家を空けられるようにとの配慮だが、それも自分が厄介事の種トラブルメーカーとなる可能性が高いことを自覚しているからだろうか。

 ひとりの時間も悪くはないが、やはり同性の話し相手がいるのといないのではそれなりに勝手が違う。


 そんな中、俺の視界の隅にひとりの男が歩いてくるのが目に映った。


 西方系の彫りの深い顔立ちにやや浅黒く焼けた肌が、短めの黒髪と相まって精悍に見せる。

 雑踏が近いとはいえ革靴が奏でるはずの足音が異様に小さい。


 まぁ、サントリアやオーレリアならまだしも、様々な人間が交わるこの街では特に珍しい存在でもないが……。

 俺は小さく溜め息を吐き出して、目の前の陶杯へと視線を戻す。


 ちょっと気を抜いていたら“余計な客”がきた。

 世情はささやかな一人の時間さえ俺に過ごさせてくれやしない。


「失礼、お話しさせていただいても?」


 俺が向かう食卓テーブルの傍らまで来て立ち止まった男が問いかけてくる。


 それを受けて、俺はわざとらしく周りに視線を向ける。

 他の客はいるが、べつにここ以外でも空席はあるだろう?という意思表示だ。


 だが、男に反応はない。


「……しばらくしたら連れが来る。食事がまだなものでね」


「では、それまで」


 俺の間接的な拒絶を無視して、柔和な表情のまま男は俺の対面に腰を下ろす。


 新たな客の姿を見つけた年若い給仕ウエイトレスがすぐに注文を取りにやって来た。

 職務を真面目にこなす姿に俺が感心している中、男はこちらと同じ紅茶を頼み、恭しく受けた給仕が静かに去っていく。


「遠回しにイヤだと言ったんだが、通じなかったか?」


 面倒臭いという感情を一切隠すことなく表情と声に出して告げると、対する男の顔には微笑が浮かぶ。


「私が言うのもなんですが、けして悪い話ではないと思いますよ、ジュウベエ・ヤギュウ殿」


 男の言葉を受け、さすがにすこしばかり気が引き締まる。


 俺の名前をあえて口にするということは、“それを前提とした用件”があるということだ。

 同時に、俺の本当の素性にまでは至っていないということにもなる。


 あるいは、そこまで含めての探りブラフかもしれないが。


「そうか。じゃあ、王都でなにやら動き回っている国の偉いさんが何の用だ?」


 答えを先取りした俺の問いかけに、男の笑みがすこしだけ薄まる。


 身を包んでいる上等そうな衣服に、長い時間をかけて教育されてきたとわかる立ち振る舞い。

 すくなくとも貴族の身分だとわかる。


 ついでに、ある程度武の嗜みも持ち合わせていそうであった。

 無駄のない身のこなしから一瞬騎士かとも考えたが、それにしては冒険者たる俺を前にしても物腰に嫌味がなく丁寧だ。

 となれば軍人か、と検討をつける。


「なるほど。ただの冒険者ではないと聞いていましたが、こうして話してみればそれも納得だ」


 当人を前にしていきなり人物評を始めてくれるが、その中でこちらを見据える視線に幾分かの鋭さが加わった。


 同時に、男の前へと紅茶が運ばれてくる。

 一礼した給仕の娘が去っていくのと同時に、周囲の音が遮断される。

 魔道具、あるいはこの男が遮音の魔法を使ったのだ。


「そこまで理解されているなら話は早い。早速本題に入りましょう」


 短く息を吐き出し、肩の力をわずかに抜いた男がこちらを見据えて言葉を続ける。


 名乗るつもりはないらしい。

 まぁ、当然だ。本当の名前を名乗れば自分の身元まで辿られてしまうのだから。

 かといって、シャッテンのように偽名を口にするつもりもないのだろう。


「率直に申し上げますが、今関わっておられる悪所の件から手を引いていただきたい」


 予想していた通りの言葉が発せられた。


「……不思議なことを口にするものだな。それは俺のような冒険者風情に対して言うべき内容じゃないだろう」


 男からの要請を俺ははぐらかす。

 だが、こちらの答えに男は表情を変えたりはしない。


「いえ、あなたが決定権を握っていると言っても間違いではないでしょう。大公閣下からそれなりの権限を与えられているはずだ」


 かなり踏み込んだ言葉だが、多少なりとも調べればわかることだ。

 一介の、それも少し前まで無名に等しかった冒険者が二級にまで特進した挙句、一国の後継ぎ候補の護衛を務めているのだ。

 背後関係を調査しないわけがない。


「もしそうだとしてなぜ引かせようとする? 利点がなければ話にもならんが」


「利点はあるはずですよ。我々の目的はもうじき達せられる。そうすれば王都からは即時撤退します」


「薬でおかしくなってしまった人間を残して、か」


 皮肉げに問いかけるが、男にはそれを意に介した様子はまるでなかった。


「ええ。ですが、公女を不用意に危険に晒さずに済むのであれば、天秤にかけるまでもない話だと思いますが?」


 どこまでも貴族的であり、合理的な思考だった。自身が価値を認めなければ人間として見てもいないのだろう。

 この場に征十郎がいなくてよかったと心の底から思う。


「このまま放っておけば、そちらのやろうとしていることに巻き込まれる可能性があるというわけか。これは脅迫のつもりか?」


「ご賢察ですね。ですが、忠告と受け取っていただけるとありがたい。巻き添えで誰かが危険な目に遭うようなことは避けたいでしょう?」


 素直に手を引けば、危機を避けられるようある程度までは教えるということか。


 俺は逡巡する。

 自分だけのことであれば、男の“忠告”は無視していたはずだ。なにせ押し寄せる敵はすべて擦り潰せばいいのだから。


 おそらく、向こうもそれを承知で交渉に来たのだろう。


「あなたが先の公国で暗殺者を組織ごと叩き潰し、今回の襲撃班を退けたことは聞き及んでいます。ですが、常に相手が自分よりも弱いと思われない方が良い」


 鷹のような目を向けてくる男の言葉に傲慢さはない。


 ここまで言うからには相応の手札を用意しているのだろう。

 そんな相手と戦えるなら是非もないと俺の裡に湧いた昂揚感が主張してくる。


 しかし、だからといってこのように侮られるのは気に入らなかった。


「そうか。強いのか。


 だから、俺は喜悦の笑みと共に男の要求を明確に拒絶した。

 そもそも国を相手に交渉したとして、これが正式な会談でも何でもない以上、その通りに履行される保証などなにもないのだ。


「あいにくと、己より強いか弱いかなどどうでもいい。考えるのは俺を楽しませてくれるかどうかだ。強さなど後からついてくる程度のものだ」


「楽しむ……?」


 男の顔に困惑の色が混ざる。


「この場なら斬られない自信があったから出向いて来たんだろうが、それはいくらなんでも舐めすぎだ。周りに潜んでいる護衛を連れてさっさと失せろ」


 鬼気を絞って男にだけ放出すると、端正な顔の額部分に汗が浮かび上がる。

 だが、この場で他国の貴族を斬ることはできないと承知している男にとって、これは威圧以上の意味をなさない。


「……残念です」


 短く息を吐き出す男。

 “交渉”は終わった。


「生きてまたお会いできることを祈っておりますよ」


 静かに立ち上がった男は遮音魔法を解除。

 そのまま食卓の上に紅茶の対価を置いて去っていく。

 給仕へのご祝儀チップにしてはずいぶんと多い。こちらのぶんまで含まれているようだった。


「故国で古代の邪神にでも祈ってろ。仲間ごと擦り潰されないようにな」


 こいつが俺の前に姿を現したということは、おそらく実行部隊に任せて国に戻るのだろう。

 さすがに、相手にも伏兵がいる。イレーヌに追跡させるのは危険だ。


 そこまでわかっていての行動なのだろう。

 俺が背中に投げかけた言葉に対して、男は小さく肩を震わせるだけだった。



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