第85話 闇に潜む気配


 風呂から上がって少し遅めの食事を済ませた俺たちは、今日の出来事を話すため居間へと場所を移す。

 それぞれがくつろげるように設置した安楽椅子の横には物置きサイドテーブルがあり、そこには軽い酒と肴を用意してある。


 開け放たれた窓から吹き込む夜風は涼やかで、肌を撫でるような感覚が温まった肌を冷ましてくれる。


「ずいぶんと大変だったようじゃないか」


 こちらに促すようにリズが口を開いた。

 さすがにもう髪は乾いており、小さく夜風に揺れている。


「大変というよりは面倒事が増えたってところだな。まぁ、だからって本質が変わったとかでもない」


 麦酒エールを軽く飲み、小さく息を吐き出しながら俺は答える。

 風呂上がりの渇いた喉に酒精が染み渡っていく感覚が心地いい。


「というのは?」


「確証を得たわけじゃないが、おそらく相手側の大元は次期大公選定にちょっかいを出してきた連中と同じだ」


 俺の言葉を受けたリズの顔に険しさが宿る。

 自分の肉親のみならず、騎士団をはじめとした周囲の人間にまで犠牲を出し、公国を混乱に陥れようとした連中への感情が滲み出ようとしているのだ。


「だが、今回は公国関係者リズを狙い撃ちにしているわけじゃない。仮にそうだとしたら真っ先に――――それこそ例のごとくノウレジアに入る前に狙われているはずだ」


 もしそうだとしたらあまりにもお粗末だ。前回の失敗からなにも学んでいないことになる。


「なら、狙いはわたし……たちではないと?」


 やはり自分が狙われているというのはあまり口に出したくないのかリズの言葉が一瞬詰まる。


「本命の一撃を前にして、不用意に警戒させるような行動をとるとは思えない。まぁ、もしそうだとしても俺たちがいるさ」


 リズを安心させるため、あえて言葉に出して俺は微笑みかける。


 公国を離れたタイミングなのもあって、リズ本人としては自分が狙われても不思議ではないと思っているのかもしれない。

 まぁ、実際のところ、すら想定した上で俺たちが護衛についているわけだ。

 暗殺対象リズに手を出してくるのであれば、それを返り討ちにして証拠を得るのもエーベルハルトから提示された“選択肢”の中には含まれている。


 もちろん、それはリズには知らされていないことだ。


 一見すれば、次期大公候補であったリズが期間限定であれ自由の身になったようにも感じられるが、そこになんの制約や危険リスクがないわけではないのだ。

 実の娘が、どのような立ち位置にいて、それをどう利用するべきか――――エーベルハルトはそこまで考えている。

 ……まったく、どこまでもまつりごとが大好きな男だ。


「いずれにせよ、悪所で拡散されている“薬”と他国の公女では、両者は結びつかないだろ? 目的まではわからないが、それをこのノウレジアでやるだけの理由があるわけだ」


 連中の目的。その延長線上にリズが関わってこないとは限らないが、それは今この場で言うべきことではない。

 ノウレジアで暗躍している連中がどういった命令系統で動いているのかは知らないが、どうにも情報の共有が不完全なのではないだろうか。


 少なくとも、過去において最優先だった暗殺対象がノコノコと国許を離れてくれたのだ。ここで仕留めておくくらいの動きはあって当然だろう。

 自分が狙う側であれば俺だってそうするし、仲間との情報共有も考えるはずだ。


 もちろん、“大公選定の儀”という時機を逃したため、優先度が他に切り替わった可能性もある。


 もしくは、両者が繋がっていると思っている俺の考えがそもそも間違っているかだが……。


 これ以上はここで考えたってどうしようもないことだ。


「ハンナ、悪いが引き続き情報を集めてくれないか」


「承知しました」


 俺の言葉に、隅でイレーヌと同じソファーに座っていたハンナが小さく頷いた。


「自分たちを調べていることには気づいているようだが、こちらが絡んでいるとまでは辿れていないようだ。さすが伊駕の忍というべきだな」


「勿体ないお言葉です。それでは引き続き情報を集めます」


 ハンナは満足気に微笑む。


「……なんにせよ、早めにケリをつけたいところですね」


 それまで黙って話を聞いていた征十郎が不意に口を開く。

 漆黒の双眸には鋭さを増した刃の輝きがあった。


「まぁ、邪魔なのはたしかだな。だが、絶対に勝手なことはするなよ?」


 しつこいようにも感じられたが、俺は征十郎に向けて念押しをする。

 飄々としているように見えて、コイツはかなりの負けず嫌いだ。

 勝手にあの悪所周辺の組織を手当たり次第に潰して、最後は連中に行き着けばいいくらいのことは平気でやりかねない。

 というか、


「わかっています。決着がつかなかっただけで負けたわけじゃない。次は勝ちます」


 左頬に走る治りかけの傷に触れながら、征十郎は餓狼の眼をわずかに細めて答えた。

 久しぶりに手傷を負わされた征十郎の内心は、敵を仕留められなかった悔しさと強敵との遭遇による昂揚感が綯い交ぜになっている。

 一抹の危うさにも似たものを感じたのだ。


「心配するなよ。アジトがわかり次第連中は潰すさ」


「しかし、セイ殿と剣を交えて生きていられる人間がいるとは……」


 剣呑なものが流れかけた空気に気付いたのか、リズが腕を組んでしみじみと頷きながら言葉を入れてきた。

 これはこれで空気を読んでくれているらしい。思わず口元が小さく緩む。


「……あのね、まるで俺が化物みたいに言わないで欲しいんだけれども、リズちゃん?」


 苦笑を浮かべて答えたそこには、いつもの飄々とした征十郎の姿があった。

 それを見て俺は小さく息を吐き出す。


 たぶん、これなら大丈夫だ。


「だって、セイ殿と戦えるなんて人間をやめる必要がありそうだからな」


 それは遠回しに俺も人間やめていると言われているのではと思ったが、先に他のことを言おうと口を開いており言葉にはならずに終わる。


「いや、案外人間かどうかも怪しいぞ」


「またまた。ジュウベエ殿までおかしなことを言うのだから」


 俺の言葉を冗談と思ったのかリズは笑うが、征十郎は笑いはしなかった。


「……兄者もそう思いましたか」


 戦いの中で感じるものがあったのか、征十郎の目には真剣な輝きが宿っていた。


「え? もしかして本当に?」


 やや間をおいて、リズの表情に疑問の色が浮かぶ。


「あれだけ強気に出られたのも、背後に国がいるとかそういうもの以外に他になにかあるからだろう」


 あくまでもまだ確信が得られたわけではない。


 だが、こういう時に限って、俺の予感はよく当たるのだ。

 だからだろう。自然と頬が緩んでしまうのは。


「まったく、本当に退屈しないで済みそうだよ」



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