第84話 見返りは求めない
尾行を受けていないか周囲に注意を配りつつ、俺と征十郎は屋敷への道を歩く。
俺の気配探知を欺かれることはないとは思っていたが、念のためにと迂回路を使い、普段の倍の時間をかけて戻ったため少々疲れた。
「あーあ、おかしな雲行きになっちまったなぁ……」
「いい機会だ。ちょっとの間くらい爛れた生活から離れてみろ」
本来ならいつもの娼館に戻るはずの征十郎も、今回ばかりはあの場所近辺で目立つのを避けるためしばらくこちらの屋敷で過ごすことにしたのだ。
「ひどい言われようですね。世間様に顔向けできないことなんかしてないってのに」
仰々しい動作で天を仰ぎ見る征十郎。お前は役者か。
「それを真顔で言うんだから、本当にたいしたものだよ、お前は」
「でもまぁ、不用意な行動でカサンドラたちに迷惑をかけるわけにもいきませんしね。迷惑なことですよ、日々世間の荒波に揉まれてこびりついた垢を洗い落としたいってのに」
「俺にはむしろ俗世の垢に塗れまくってるように見えるんだがな」
自由奔放すぎる弟分を見てさすがに呆れ声が出てしまう。
だが、征十郎にはどこ吹く風だ。
「知ってますか? 綺麗すぎる水に魚は住めないんですよ」
「言ってろ」
軽口の応酬の末、互いに笑い合う。
まぁ、しばらくは余計な色街をうろつくのは避けるべきだろう。
異国の男なんて存在は、なにもしなくても勝手に目立つ……というか、俺と征十郎くらいなものだと思う。
人相で問えば誰もがわかることだ。
だが、ああいう場所の人間には彼らなりの流儀があり、無暗やたらに客の情報を漏らすことはそうそうしない。
俺が征十郎のことを聞き出すことができたのも、同じ人種で同じ格好をしていたからに過ぎないはずだ。
しかし、物事に絶対はない。
手段を選ばなければ喋る人間とているだろうし、金の力に転ぶ者もいないとも限らない。
早めに解決したいことではあるが、そのために無関係の人間を巻き込むわけにはいかなかった。
ならばしばらく距離を置くしかない。
別途あの娼館には連絡を入れなければならないが、あそこに使いの者を送るのは……。
「しかし、兄者には申し訳ないことをしてしまいました。なんだかこちらの勝手な事情に巻き込んでしまっているようで。俺と――――」
「再会したばかりに、なんて言うんじゃないぞ」
先回りした俺の言葉に、征十郎の顔が驚きの形になる。
そう、コイツは“心配”しているのだ。
俺個人のことというよりも、八洲を離れ新たな生活を始めている俺の周りにいる人間が巻き込まれないかどうかを。
八洲を飛び出てまで追いかけて来るほど俺に惚れ込んでくれているからこそ、俺の今の生活を邪魔する存在とはなりたくないのだ。
「俺たちが互いに利害を求めることなんてあったか? それは今までもこれからも永劫に変わりはしない」
「兄者……」
「それに、今回の一件には国と国を巻き込んだ何かがある。放っておけばリズが巻き込まれる可能性だって低くはない。逆に先手を打てて良かったくらいだ。お前が気にすることじゃない」
「ありがとう、ございます」
征十郎の言葉が、少しだけ詰まったような気がした。
だが、それを俺は聞かなかったことにする。
「さぁ、もう着くぞ」
あれこれ喋りながら歩いていると、いつの間にか屋敷に辿り着いていた。
魔道具で張った侵入者用の結界を通り抜けて門をくぐる。
玄関を開けて中に入ると、ちょうど食堂に向かうのか部屋着のリズが通りがかるところだった。
先に湯浴みは済ませていたのか、金色の髪がしっとりと水気を含んで照明を反射して眩く輝いている。
瑞々しい美しさだった。
「あぁ、お帰りジュウベエ殿。それにセイ殿もご一緒か」
こちらを見るリズの顔に少しだけ驚いたような表情が浮かぶ。
事前に言ってなかった征十郎が一緒にいるからだろう。
「あぁ、ただいま」
「思ったよりも早いお帰りだった、とでも言うべきなのかな?」
貴族としての教育を受けているのもあるのだろう。
リズは俺たちを見てすぐに表情を変え、ちょっとからかうような笑みを浮かべてくる。
行先が色街だとわかっていながらのこの反応。
少しはそういったことにも免疫ができたのかもしれない。
「……ん? なにか焦げ臭くないか?」
こちらに近付いてきたリズは小さく眉を顰めると形の良い鼻をすんすんと動かす。
その際、リズのものだろう石鹸の匂いが俺の鼻腔をくすぐっていく。
「あぁ、ちょっとばかり襲撃を受けてな。敵の爆裂魔法で建物が吹き飛んだ」
「襲撃!? というか、ちょっとって……」
リズの表情に驚愕が浮かび、それに続いて困惑と呆れ混じりの声が口から漏れ出る。
「……いや、驚くべきじゃないか。ジュウベエ殿の奇行……じゃなかった、トラブルとの遭遇具合にいちいち驚いていてはとても身がもたない。あとで詳しく話してくれたらそれでいい」
短く息を吐き出してリズは表情を平静に戻す。
どうにもひどい言われようなのだが……。
「今、奇行って言っただろ。……まぁ、いい。先に風呂に入らせてくれ。この調子じゃハンナとイレーヌにもあれこれ文句を言われそうだ」
腹は減っているが、食事の際に身体が焦げ臭さを放っているようではせっかくの食事がもったいない。
それ以上に、今は湯を浴びてさっぱりと気分を切り替えたい欲求の方が食欲を大きく上回っていた。
「うん、わたしから伝えておこう。部屋着は“二枚”あればいいか? すぐに用意させる」
リズの言葉を受けて俺は小さく頷く。
「んじゃ、久しぶりにどうですか? 背中くらいは流しますよ」
両手で背中を洗う仕草をしながら、一緒に入ると言い出す征十郎。
そういえば、八洲時代はよく仲間を連れて風呂屋に出かけたりしたものだ。胸中に懐かしさがこみあげてくる。
「ゆ、湯浴みを、い、一緒に……」
なぜかこちらを見て顔を真っ赤にしているリズ。
いったいなにを想像しているんだなにを。
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