第82話 ディープ・パープル



 金属と金属のぶつかる甲高い音が、静まり返った空間に響き渡り、そして消えていった。


 直後に生じたのは新たに刃同士のきしる音。


「……よう大将。油断ひとつで、ここまで気分はどうだ?」


 死角からの奇襲を《尾前長舩光匡びぜんおさふねみつただ》で受け止めた征十郎が、すぐそばで細身の片刃剣を握る新手に向けて皮肉交じりの言葉を投げかける。


 その秀麗な表情に浮かぶのは獰猛な獣の笑み。

 新手の接近には最初から気がついていて、その上で征十郎はわざと攻撃を正面から受けたのだ。

 

「好き放題、言ってくれますね……」


 虚空に舞う火花。

 征十郎と鍔迫り合いを演じることとなった男は、鉄火場には不釣り合いなよく通る声で短く答えると、それ以上の無理はせずに床を蹴って後方へ跳躍。

 その際、征十郎が放った牽制の横薙ぎを想像以上の素早さで回避していく。


「――――っ!」


 即座に追撃へと移行すべく足を踏み出した征十郎だが、弾かれたように急制動をかけて停止。

 その直後、あのまま進んでいれば今まさに征十郎の身体が存在していたであろう空間。そこを片手剣の刃が鋭い弧を描いて通過していた。


 両者が示し合わせたかのように後方へと同時に下がり、間合いが空く。


 ……コイツだけ、他よりも頭数個飛び抜けているな。


 身のこなしを見ただけでもわかる。


 乱戦の最中さなか、開け放たれていた入口から一直線に侵入。

 それと同時に瞬時に敵を見定め味方を犠牲にしながら倒すべき敵せいじゅうろうへと奇襲を仕掛ける。

 言葉にするだけならまだしも、実際にやってのけるとなれば容易なことではない。


「辛抱堪らず斬りかかってきたヤツがよくもまぁ……。綺麗な顔で面白いことを言うヤツだ。念のために訊くが、来る店を間違えちゃいないよな?」


 征十郎の言う通り、先ほどまでの刺客たちと違って、男は顔を隠してはいなかった。

 よほど腕に自信があるのか――――いや、おそらくこれが男にとっても想定外の戦闘だったのだ。


「……顔だけならそちらに言われたくありませんよ、色男。あなたこそ娼館に行かれたらどうですか?」


 太刀を脇構えにした征十郎が挑むように言葉を投げると、男もそこに触れられたくなかったのか負けじと言葉を返す。


 滑らかな線を描く細い鼻梁と、一.八メルテン近い身長が華奢な印象を与えるが、その外見がまるでアテにならないことは、征十郎との鍔迫り合いに力負けしなかったことからわかろうというものだ。


 高価な生地を使った白の肌着シャツと紺色の下履きズボンに身を包み、そこからわずかに覗く色白の肌と、銀色に近い肩まで届く髪の毛がさながら学者を思わせる知性を醸し出しているが、右手に握る片刃剣のせいでどうにも異様に映る。

 そして、切れ長の双眸に嵌る紫水晶アメジストの瞳が、征十郎を油断なく見据えていた。


「しかし、念のためにとついて来てみれば……とんでもない大物に出くわしてしまいました」


 どこか気だるげに語る男の口調だが、それに反して身体からは油断の気配が一切感じられない。


故郷クニの言葉だが、《獅子》と呼ばれる幻獣は兎を狩るのにも全力を尽くすらしい。ちょっと部下の教育が足りなかったんじゃないのか」


 横合いから俺は声をかける。

 弟分の戦いに口を挟むのは気が進まなかったが、敵の指揮官が現れたとなれば話は別だ。

 今は少しでも情報が欲しい。


「いやはや、こちらの情報不足でしたね。まさか、死にかけの組織が護衛を雇っているとは思ってもいなかった」


 俺の投げた挑発を軽く流して答える男。

 感情を表に出して余計なことを言うつもりはないようだ。


 まぁ、状況だけで見れば、俺たち二人が雇われた用心棒に見えるのだろう。

 この大陸では圧倒的に少数派の異邦人なのだから、そういうように感じられるのも無理はない。


「いいや、俺たちは部外者だ。もう少し遅く来てくれれば、こんなことにはならずに済んだがな……」


 無駄だとは思うが、誤解されている部分だけはきちんと訂正しておく。


 なんにせよ、男の部下たちを皆殺しにしたのは紛れもない事実だ。

 とはいえ、向こうも話し合いをしに来た様子はまるで見受けられなかったし、結局こうなる流れだったとしか言いようがない。


「部外者がこんな場所まで来ることはないでしょう。ここ数日、我々のことを嗅ぎ回っている人間がいると聞いてはいましたが……」


 他にも同じことをしている人間がいなければ、それはハンナのことだろう。


 もちろん、思い当たる節があっても、さすがに自分たちだと答えるような馬鹿な真似を、俺も征十郎もすることはない。


 それに、これはおそらくだ。

 男の口ぶりでは、俺たちの素性にまで辿り着いている様子が感じられなかった。

 そもそも、ハンナが捕捉されているなら“人間”という曖昧な表現を使うことはしない。

 ならば、必然的にあてずっぽうで探りを入れにきただけだ。


「なに、の庭を荒らし回ってる傍迷惑な連中が目についたものでな。ここらの掃除に勤しみ過ぎて、足元が疎かになっていたんじゃないか?」


 俺の言葉で男の目が細まる。

 自分たちがどこの意向を受けて動いているか――――つまり、他国の人間であることをこちらがある程度掴んでいると理解したのだ。


 この口ぶりでは俺たちがノウレジアの手の者と別の意味の誤解を招きそうだが、それならそれで構わない。

 必要なのは、“敵に正確な情報を与えないこと”なのだ。


「そこまで知られているなら、もはや交渉でなんとかなる領域は通り過ぎているようですね」


 覚悟を定めた男の身体から、静かな鬼気が発せられる。


 殺気と一言で片づけてしまうには、それはあまりにも研ぎ澄まされていた。

 まるで、細身の剣を間近に突きつけられているような感覚を受け、距離がある俺の肌までもが小さく粟立ってくる。

 同時に、すこし粘つくような感覚。


 これはこれは……


「メシ時なんでぼちぼち帰りたいんだが……とはいえ、日を改める気はないんだろう?」


 俺のふざけた言葉に、征十郎と男の顔が同時に小さく動いた。

 それは戦いを前にした笑みのつもりだったのかもしれない。


「私もここまで部下を失った以上、なんの手土産もなしに帰るわけにはいかないようでしてね……!」


 言葉と同時に男が剣を掲げ前進を開始。


「そうかい。……なら、自分自身が手土産になっちまわないようにしないとなァッ!!」


 対する征十郎も楽しそうに吼えると悠然と右足を前へ踏み出した。


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