第80話 まちぶせ


「やっぱ儲かるんですかねぇ?」


「……どうだろうな。まぁ、いずれにせよ、この趣味には共感できそうにないが」


 征十郎に言葉を返しながら、俺は小さく肩を竦めてみせる。


 俺たちが現在いるのは最奥の部屋。

 その内部に置かれている調度品は、御世辞にも品が良いとは言えないものばかりだが、それゆえに部屋の主の富を物語れるだけの品々が揃っていた。


 過剰ともいえる装飾を施された家具に、やたらと手数をかけた高名な画家の絵画や、黄金で作られた裸婦像に、なにをモチーフにしているのかわからない人間と魚が融合したような邪神像などなど。


 そんな俺から見れば悪趣味丸出しの調度品の数々も、持ち主に他者へ誇示できるだけの余裕がなければ単なるガラクタも同然である。


「まぁ、見せびらかされるよりはマシでしょう。こんだけの凋落っぷりじゃあね」


 薄暗く窓さえも締め切ったこの部屋では、それら調度品はなんら輝きを放つこともない。

 俺たちの目の前で執務机の椅子に背中を預けている部屋の主からは覇気の欠片も感じらず、漂ってくるのは机の上に置かれた酒瓶からの匂いだけ。

 まさに征十郎が小声でつぶやいたとおり、往時の勢いはどこへいったやらだ。


「客というのは、お前らか……」


 男の口からひどく億劫そうに発せられた声は掠れており、憔悴しきった姿に最後の仕上げをしている有り様だった。


 ……酒の飲み過ぎで喉が焼けている。こうはなりたくないな。


 年の頃は五十になるかどうかといったところか。

 いや、もしかすると実はずっと若いのかもしれない。


 しかし、真っ白になってしまった頭髪に、痩せこけた頬と落ちくぼんだ眼窩。

 ろくに眠ることもできていないのか瞼の下には大きなクマまでできており、これらが男を実年齢よりもずっと老けて見えるようにしているのは間違いなかった。


 仕立ての良い服に身を包んでいるが、短期間で急激に痩せてしまったことでブカブカになり、まるで他人の古着を無理矢理着ているような印象を受ける始末だ。


 これでは威厳も何もあったものではないし、こちらまで死人ゾンビと対峙しているような気分になってくる。


「俺を、殺しに来たのか……?」


 こちらに向けられる鳶色の瞳には、強い猜疑心と恐怖心とが渦を巻いていた。

 門番の男がどのように取り次いだかはわからないが、この様子では正常な判断すら困難になるまで憔悴してしまっているようだ。


「もしそうならこんな回りくどいことはしない。……


 勝手に応接椅子ソファへと腰を下ろしながら、俺は男の疑念に答える。


 いったい、なにがあればこのようになってしまうのだろうか。

 その答えは簡単だった。


「……幹部の連中はみんな“アイツら”に殺された。俺が生き残っているのだって幸運でもなんでもねぇ。単にでしかないんだろうよ……」


 もはや自暴自棄になっているのか、どうでも良さそうに語る男。

 しかし、まさにその通りなのだろう。


 “敵”は、なによりもまず先にその力を見せつけた。

 もっとも規模の大きな組織に狙いを絞り、そこの幹部を暗殺して壊滅寸前にまで追い込むことで、他の連中の牙を一気に引っこ抜いたのだ。


 最低限の労力で最大限の効果を引き出す。

 実に合理的で鮮やかなやり口だと感心したくなるほどだ。


「ここに来るまでもえらい寂れ具合だったが、元々こんな感じだったのか?」


「フン、他の組織の連中は無傷だ……。だが、自分たちも同じ目に遭いたくないの一心でどいつもこいつも閉じこもっていやがる……。腰抜けどもめ……」


 吐き捨てるような口調だったが、その声にはかすかに怒りが滲んでいた。


 とはいうものの、この手の連中の対立が全面抗争に発展することはきわめて稀で、それゆえに力関係が大きく崩れることも滅多に起こらない。

 だからこそ、外から来た不明勢力の先制攻撃によって反抗する意思を容易く奪われてしまったのだ。


「そうか。……で? 怪しげな薬をバラ撒いているというのはそいつらでいいのか? 俺たちはそれを訊きに来ただけだ」


 べつに助けてやる義理もないので、用件だけを簡潔に告げて話を進める。


「……やめておけ。どんなつもりか知らねぇが、関わっても殺されるだけだ」


 男から発せられたのは乾いた笑いだった。


 別にこちらを心配しているわけでも小馬鹿にしているわけでもない。

 ただせめてもの慰めとして、自分がどんな目に遭ったかを他人に勿体ぶって語りたいだけなのだ。


「話すだけなら構わないだろう? それに、今さら話す話さないを選ぶ程度でお前の人生は変わるのか」


 幾分かの煩わしさを感じつつ俺は続きを促す。

 話したいのがわかっているのに、その気にさせる言葉を並べなければいけないのが実に面倒臭い。


「……わかった。そんなに死にたきゃ勝手にしろ」


 軽い毒を吐きながらも、男は待ってましたとばかりにゆっくりと語り始める。


 ある時、色街を中心に妙な薬が出回り始めた。

 それまでも、多少気分を高揚させる薬のようなものは存在していたが、その薬はまるで違うものだった。

 外からやって来た連中によってひっそりと流されていたこともあって、各組織の対応が遅れたのも事態の深刻化に拍車をかけた。

 結局、放置するにはあまりにも危険だと気付いた時には、娼婦をはじめとして被害が相応に広まっていたらしい。


 そこで男は決断を下した。

 娼婦が潰れては自分たちの稼ぎも減っていくし、治安の乱れは客足が遠のく原因ともなる。

 なにより、余所から来た連中にデカい顔をさせていては面子に関わる。見逃すわけにはいかない。


 男の指示の下、荒事に慣れている連中を集めて余所者のアジトへと殴り込みをかけさせた。

 だが、行った連中は誰一人として帰っては来ず、そいつらを率いていた幹部の首だけが明くる日になって返ってきた――――建物の前に置いてあったのだという。


 ――――ハンナに調べさせた情報との食い違いはない。


「……それが三月くらい前の話だ。あとは坂道を転げ落ちるようなものだった。幹部連中が次々に殺されていった。あれは抗争なんかじゃねぇ。暗殺だ」


 話を聞きながら思うが、やはり手口が素人のものではなかった。

 明らかに手慣れ過ぎている上に容赦の欠片もないのは、完全にそういったことを生業にしている連中だ。


「そろそろ、ウチも息の根を止められる頃だろう。それで今度は他の組織同士らに争わせるに違いねぇ……」


 男の表情に浮かんでいたのは諦念の感情だった。

 自分たちではもはやなにもできず、黙って滅びるしかないと理解してしまったのだ。


「……兄者」


 窓際に立った征十郎がこちらに向けて短く告げる。

 同時に、俺も変化――――外の空気が変わっていることには気がついていた。


「なんだ、向こうから来てくれたのか」


 窓辺に近付きカーテンの隙間から外を見れば、この建物の周囲からは人の気配がなくなっている。

 そして、代わりに渦巻いているのは、周囲に潜む人間たちを恐怖させるためにあえて行っている殺気の放射だった。


「どうやら今日みたいだな、その潰される日とやらは」


 俺は男に言葉を投げる。


 しかし、俺の言葉を受けた組織の主は何も答えずに瞑目すると、そのまま椅子へと背中を預けてしまう。

 もはや抵抗する意思さえ残されてはいないということか。


「……さて、俺たちは行くとしようか」


 ゆっくりと応接椅子から立ち上がって、俺は征十郎に声をかける。

 用件が済んだばかりか、探している連中が自分たちから来てくれたのだ。


「ええ。しかし、連中、もう少し時間をズラせばよかったでしょうに。気の毒になってきますね」


 そう漏らす征十郎だが、声色はそんなことなどまるで考えていない様子であった。

 すでに臨戦態勢に入っているのか、口元を楽しげに歪めている。


「夕飯時を避けたんだろうさ。まぁ、いずれは斬る相手なんだ、今日でも明日でも同じだろう?」


「ははっ、そりゃ間違いない」


「お、お前たち、まさか戦うつもり、なのか……?」


 完全に諦めきっていた男が、俺たちの会話を聞いてまるで理解できないといった調子で声をかけてくる。


 正直もはやどうなろうと関係のない相手ではあったが、なんとなく気が向いた俺はそちらへと小さく笑いかけるように口を開いた。


「当たり前だ。“花”を穢すような無粋極まりないマネをしてくれた連中には相応の報いを受けさせる。


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