第79話 黒歴史の証人


 夕暮れ時の涼やかな風が、行き交う人々の肌を撫でていく。


 数日ぶりに色街を訪れた俺は、途中で合流した征十郎と共に大通りを進んでいた。


 街に入るや否や例の客引きが目ざとく俺を見つけて声をかけてきたが、今回も予定があると話してやんわりと断っておいた。

 以前多少なりとも会話をした手前、なんだか申し訳ない気持ちにもなったが、そこは顔見知りとの挨拶みたいなものだとして割り切るしかない。

 まぁ、いずれは利用させてもらうくらいの気持ちで心の片隅に置いておく。


 そうして色街を通り抜けるように奥へ奥へと進んで行くと、次第に娼館目当てで外部からやってきたとわかる人間がいなくなる。

 というよりも、人気ひとけそのものがなくなっていた。



 肌を刺す空気――――建物に備え付けられた雨戸の隙間から向けられる視線に、俺の口から自然と言葉が漏れる。


 そう、本当の意味で“悪所”と呼ばれる治安の悪い地域に入り込んだのだ。

 周囲の建物はろくに手入れもされていないのか外壁が剥がれかけていたり、そもそも逸建てられたのかと思うようなものばかりが多くなり、臭いもようなものが漂ってくる。


「ええ、こういうところはどこに行っても同じようですね」


 傍らを歩く征十郎が小さく首肯する。

 余所者こちらを窺うような複数の視線を向けられる不快感はあるが、今のところ敵意や殺気の類とはなっていない。


「決して嗅ぎたいモノじゃないが――――


 こんな空気を浴びせられた時点で、まともな人間なら即座に引き返そうとするに違いない。


 だが、俺たちはこの奥に用があるのだ。


「なんだ、テメェらは……?」


 一軒の比較的大きな建物に近付いていくと、玄関へと続く階段に座った男から胡乱げな視線がこちらへと向けられた。


 この男が門番役なのだろう。

 ひと目で暴力を生業にしている人間だとわかる独特の雰囲気。

 大柄な肉体よりもまず先に俺の目を引いたのは、瞳に宿る光の仄暗さだった。


 ……これは、何回か人を殺したことがあるな。


 冒険者とはまた違う気配。

 しかし、この手の人間――――犯罪組織の末端構成員にありがちな根拠のない自信を滲ませるわけでもなければ、こちらを侮るような様子もない。

 それよりもこちらに警戒を向けたまま、しきりに腰のあたりを気にするような動きをしている。


 なるほど、そこそこ優秀な人間を配置しているらしい。


「……おたくのかしらに用がある。悪いが取り次いでくれ」


 簡潔に用件だけを口にすると、その途端に男の目が大きく見開かれる。


「テ、テメェ、カチ込みか……!」


 腰を浮かせながら殺気を漲らせ、素早く背後へと手を回そうとする男。


「落ち着け」


「なっ――――」

 

 男の喉が詰まる。


 薄暗くなる空気の中、玄関に備え付けられた灯りを受けて煌めきを放つ刃。

 鼻先一寸三十ミリテンのところへ、引き抜いた《獅子定宗》を切っ先を突きつけられた男は身動きが取れなくなっていた。


 命を握られている緊張感によって顔面は蒼白になり、額からも大量の脂汗が噴き出している。

 相手がいつ得物を抜いたかわからなかった時点で、目の前の人間と自分にいかほどの力量差があるか理解してしまったからだ。


 チラリと見れば足が小さく震えていたが、そこは見なかったことにしておく。


「くっ、勿体ぶりやがって……! さっさと殺せ……!」


 ……なぜだろうか、目の前の男がこの台詞を口にするだけでイラッとするのは。


「早とちりをするな」


 余計な思考を中断して、短く告げた俺は脇差の切っ先を静かに下げる。


 予想外の行動だったのか、男の顏に疑問の色が浮かび上がった。


「俺たちはこの辺りに出回っている“薬”について何か知らないか訊きにきただけだ。殴り込みでもなんでもない」


 “薬”という単語を出すと男の目が一瞬細まるが、それは警戒感からの反応ではなかった。


「カサンドラからの頼みでもある」


 征十郎が付け加えると男の表情が少しだけ和らいだ。


「そうか……すまなかった。……ちょっと待ってな、頭に訊いてくる」


 こちらに敵意がないことを示すと、肩の力を抜いた男はゆっくりと息を吐き出して俺たちに待っているよう告げると背後の扉を開けて中に入っていく。


 そう簡単に通してくれるとは思っていなかったため、男が素直に動いていくれたのは意外と言わざるを得なかった。

 あるいは、ここで抵抗したところで無駄に終わるだけだと判断したからかもしれない。


「……本当に色気のないことだ。悪所通いにはそれなりの経験もあるが、以外で足を運ぶのはなんだか気が滅入ってくるな」


? 嘘をついちゃだめですよ、兄者。あなたが鴫原しまばらでどれだけ多くの遊女をだまくらかしてきたか覚えてないってことはないでしょうに」


 獅子定宗を鞘に収め、小さく溜め息を吐いてから漏らした俺のつぶやき。

 それを耳聡く聞きとがめた征十郎が反応を返してくる。


「……征十郎。思ってるぶんには構わないが、それをの前では絶対に言うなよ」


 勘が働いたとでもいうべきだろうか、イヤな予感に襲われて俺は小さく首を回しながら征十郎に釘を刺しておく。

 口に出した俺も悪いが、わざわざ要らん部分を拾うな空気を読めと言いたい。


「そうは言いますがね。知り合ってから浅いリズちゃんはともかく、ハンナちゃんとイレーヌちゃんも、そのあたりはもう知ってるんじゃ?」


 俺の言葉に小さく肩を竦める征十郎。

 人称代名詞を使っただけで、コイツは誰のことを言わんとしているのかきちんと理解したらしい。


 たしかに征十郎の言う通り、ふたりとも――――主にハンナが八洲にいた頃に調べたのかなんなのか、そのあたりのことについてはすでに知られていた。


「詳しくまでは知らないみたいだがな」


「本当に? あれだけ遊び回っていた有名人ですよ? ちょっと調べたら簡単にわかりそうなものですがね」


 だが、それはあくまでも俺が色街に出入りしていたくらいの話でしかなく、八洲時代の鴫原で、俺がどのようなことをしていたかの詳細までは知らないはずなのだ。

 そのあたりについては若気の至りというしかないが、なるべくならこのまま知らないでいてほしい。


「だとしても、わざわざ話すようなことじゃない。あいつらだって空気は読むだろ」


 お前と違ってな。


 結局、そのへんをもっともよく知っている人間が今現在俺のすぐそばにいることが最大の問題なのだ。

 そう考えると、まるで上級爆裂魔法の刻まれた巻物スクロールでも保有している気分になってくる。


「んー、酒の肴にでもしてみるとか?」


 案の定、征十郎は隙あらば容赦なく炎上させようとしてくる。

 この男は、「面白そうだったから」くらいの理由で平然と余計なことをしてくれるのだ。


「バカ言うな。火に油を投げこむような真似をなんで自分からやらなきゃならんのだ。あと、あいつらに酒を飲ませ過ぎるな。地獄を見るぞ」


 俺が憮然とした表情を浮かべて言うと、征十郎は反対に小さく笑みを浮かべる。


「冗談ですよ。兄貴分の修羅場を招き寄せるつもりはありません。……しかし、あれだけ慕われているとちょっと大変そうですね」


「お前なぁ……。他人事みたいに言いやがって」


「事実、他人事ですから。でも、いいじゃないですか。それだけ慕ってくれる人間がいることは。俺みたいな根無し草でいるよりはよっぽどね」


 俺の言葉に何を思ったか、征十郎は実に爽やかな笑みを浮かべていた。


 付合いだけでいえば、おそらく今生きている人間の中では征十郎が一番長い。

 きっと、そのあたりの感情も見透かされていることだろう。


 正直なところ、彼女たちから向けられる感情は理解しているし、決して悪い気もしてはいなかった。

 あとは、もう少しばかり俺が覚悟を決めることができるかどうかだろう。


 おそらく、俺自身が何らかの選択を迫られることになる――――そんな気がするのだ。


「待たせたな」


 ちょうどそこまで考えたところで扉が開き、先ほどの男が戻ってくる。


「……頭が会うそうだ。二階の一番奥が頭の部屋だ」


 男の言葉に小さくうなずき、俺たちは中へと入っていく。


「こりゃあ……」


 建物の内部は不自然なほどに静まり返っていた。


「思っていたよりも深刻ってことですか」


 突然の来訪者に息をひそめているのかと思ったがそうではない。

 そもそも人の気配がまるでないのだ。


 やはり、




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