第78話 時には普通の話を


「そういえば、学園の方はどんな感じなんだ?」


 夕食の際、俺は酒杯を傾けながら対面に座るリズへ訊ねてみた。

 学園に興味があるというよりは話のネタである。


「ん? いきなりどうしたんだ、ジュウベエ殿」


 俺の作った食事をちょうど食べ終わったリズが、ナプキンで口元を拭いながら小さく首を傾けた。


 ちなみに、今日の夕飯は細い平打ち小麦麺リングイネを使い、粗く挽いたたっぷりの牛肉と香味野菜をじっくり炒め、赤の葡萄酒ワインとトマトの水煮と香辛料で煮込んだソースを絡めたものが中心だ。

 味の濃さはやや控えめにし、各々が追加で粉にした乾酪チーズや辛味酢をかけることで味が調整できるようにしてある。


 副菜は別途野菜などのバランスも考えて作ってあるが、こちらのメインは公都で買い込んでおいた白身魚の焼き物ソテーとなる。

 下味をつけて、小麦粉をまぶして牛酪バターを使い、白の葡萄酒で蒸すように焼き上げているため、魚の旨味が凝縮されたまま口の中で肉がほぐれると同時に脂と共に広がっていく。


 完全に俺好みの料理だが、これらがまた酒の味をより一層引き立ててくれるのだ。


 ……おっと、いかん。話が逸れた。


「うまうま」

「んー、相変わらず女の敵ってくらい料理が上手なんですから……」


 隣では調理の片づけを済ませたハンナとイレーヌが小麦麺パスタを一心不乱に口へと運んでいた。

 ハンナに至っては知能が低下している気がするのだが、本人の名誉のために聞かなかったことにしておきたい。


 しかし、酒飲みの作ったものではあるが、こうして美味そうに食べてくれる姿を見るのはやはり嬉しいものだ。


「あ! もしかして、やっぱりわたしと一緒に通いたくなったのか?」


 先ほどの俺の言葉をどのように解釈したのだろうか。

 思いついたような表情を浮かべたリズは、からかい半分、残るもう半分は――――期待だろうか? そのような感情の入り混じった視線をこちらに向けてくる。


「……まさか。依頼主が快適な学園生活が送れているか知っておくのも、それはそれで護衛の務めだろう?」


 樽で買い込んでおいたエールの入った酒杯を大きく傾け、中身を空にしてから俺は笑いながら答えた。


 いくらなんでも、そこまで面倒を見るわけにはいかない。

 それに、せっかく大公の娘という立場にありながら国外に出られたのに、なにからなにまで俺がついて回るようではリズのためにならないと思う。


「……まぁ、そうだな。いや、ただでさえここまでついて来てくれたんだ。あまりジュウベエ殿たちに迷惑をかけるのも気がひける」


 俺の表情に含まれた感情を察したのか、リズは少しだけ残念そうに口を開く。


 同時にハンナとリズから軽い視線の圧力。


 ……わかってる。ちゃんとフォローしろってことだろ。


「なぁに、周りに変な動きがあればちゃんと出ていくさ。その時こそ護衛たる俺の出番だ。そうだろ?」


 いずれにせよ辛気臭い空気は好きじゃない。

 俺はちゃんと「リズを守る」と言葉にして伝えておく。


 以心伝心ということわざがあるが、口に出さなければ伝わらない感情などいくらでもある。

 すくなくとも、「あの時ああしておけば良かった」なんてことになるのは絶対に御免だ。


「……どちらかといえば、それはわたしの身を案じてではなく、堂々と戦うことができるからではないだろうな?」


 リズが俺の言葉を疑うようにジトーっとした目を向けてくる。


「イヤ、ソンナコトナイゾ」


 厄介事なら任せておけと考えていた俺は、ついつい言葉に詰まりかけて棒読みになってしまう。


「……大丈夫、ジュウベエ殿のことは信頼しているよ」


 苦笑交じりの笑みを浮かべるリズ。

 まぁ、本気で拗ねているわけではなさそうだ。


 しかし、これでは俺がワガママな子どものようで釈然としない。


 そんな俺の様子を楽しそうに見ていたリズは、ゆっくりとここ数日のことについて語り始める。

 

 各国から集まった貴族子弟や王族と平民が、教室という部屋に分けられて共同生活を送っていること。

 授業内容はさほど難しくもなく、剣技では高位の成績を収められそうだということ。

 リズのことを田舎出身の王女とでも思っているのか、調子に乗った他国の貴族が地味に近付いてきて鬱陶しいこと。


 ――――まぁ、なんだかんだとリズは楽しんでいるようだった。


「そうそう。今度、学園の地下にある《封印迷宮》で実地試験を行うらしい」


 リズの浮かべる無邪気な笑顔を眺めながら、そんな行事イベントまであるのかと俺は感心してしまう。


 同時に、学園の地下にそのような場所があることにも。


 八洲には少ないが、大陸には迷宮と呼ばれる場所が数多く存在している。

 人里離れた場所の洞窟に広がっている場合がもっとも多いが、それ以外ではどこかの遺跡の地下だったり、廃城の内部の空間が歪んでいたりと種類も様々だ。

 内部に生息する生物は平野部などで見ることがある魔物だが、倒しても幻想のように消え失せその死骸が残ることはないらしい。

 まるで何かの仕掛けのようになっていると囁かれるが、俺としては生きていない敵を相手にしてもまったく滾らないので潜ったことはない。


「さすがに戦闘が苦手な者もいるから希望者だけにはなるだろうが、わたしは参加するぞ。卒業のための単位がもらえるらしいし、自分の剣がどれだけ通じるのか楽しみだよ」


 貴族を参加させるなんか意外だと思うが、すぐにその理由に思い至る。


 よくよく考えてみれば、貴族ともなると将来的に祖国へと戻って軍を率いる可能性がある。

 その時に、戦場ではなくとも実際に戦った経験が活きてくるのだろう。


「そりゃ俺が鍛えてるんだ、通じるさ」


「だといいけれども」


 俺の言葉を受けたリズは小さく笑って答えた。

 なんら気負うもののないすっきりとした笑みだった。


 公国から離れたリズだが、特に何か密命を帯びているわけでもない。

 だからこそ、今まで心の中に積み重なった立場ゆえの重荷を、一時的であっても忘れようとしているのだろう。

 そう、自分自身が過去の重みに潰されぬように。


「おいおい、俺が言うんだぞ? 間違いないさ。……ところで、護衛の付き添いは認められたりしないのか?」


「やっぱり自分が戦いたいだけじゃないか!」


 リズが憮然とした表情になる。


 しかし――――リズと言葉を交わしながら俺は迷っていた。


 学園内で感じた、あの謎の気配についてリズに語るべきかどうかと。


「……そうだ。あとで伝えようと思っていたが、父上から手紙の返事が届いていたよ」


 こちらに伝えるということは、“例の件”についての回答がきたということなのだろう。

 俺は少しだけ姿勢を正す。


「それで、閣下はなんと?」


 ようやく別のことができるなという思いの下、俺はリズを促すように訊ねる。


「“あまり派手にやらないように。あとは任せる”――――とのことだ」


 俺の性格を端的に理解した、実にエーベルハルトらしい言葉であった。


「……まぁ、鋭意努力はしてみるよ」


 こちらへと「大丈夫か?」という不安げな視線を向けてくるリズに向けて、俺は軽く笑みを浮かべて言葉を返すのだった。

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