第76話 ツインエッジ



「熊の次は――――鬼退治か」


「ええ。ですが、を《鬼》と呼ぶのはどうかと思いますがね」


 短く告げた征十郎の前進がゆっくりとした歩みから、突如として疾駆へと切り変わった。


 ほぼ一瞬で最高速度へと突入した肉体は嚆矢となり、間近に迫っていたオーガウォーリアーへと接近。

 間合いに侵入したところで、相手が反応するよりも速く胸元へ目がけて横薙ぎを繰り出す。


 征十郎の握る《尾前長舩光匡びぜんおさふねみつただ》の二三ミリテンと緩く反った七二四ミリテンの優美な刀身が、虚空に冴え冴えとした輝きを放つ。


 振り抜かれた刃は、分厚い筋肉の覆われた胸板ごと胸骨まで易々と切断。

 遅れて血飛沫を撒き散らす。


 断面から噴き出る鮮血を潜り抜け、征十郎は旋回した刃から鮮血の尾を曳きながら優れた重心移動で前進。

 死体の影に隠れていた新手の正面へと回り込む。


「遅い……!」


 不意を突かれた二体目は完全に読みを外され、自身の左側から強襲してきた征十郎の下段からの逆袈裟懸けを受けた。

 深々と斬りつけられたことで、オーガウォーリアーは悲鳴交じりの唸り声を上げ、腹圧によってこぼれた腸を露出させたまま地面へと沈んでいく。


 力を失いつつあるその身体を踏みつけながら征十郎が飛び上がろうとすると、ほぼ同時に後方にいた三体目の咆吼。

 手にした戦斧を味方の身体へと躊躇なく叩きつけた。


 冒険者を何人も帰らぬ者とした膂力から繰り出される一撃は、同族の身体を切断しながら征十郎を狙う。


 これの直撃を受ければ一撃で戦闘不能に追い込まれることは避けられない。

 まさに“冒険者殺し”の異名に相応しい攻撃だ。


「味方を斬ってどうするんだ、アホ。あの世でママとネンネしてな」


 しかし、征十郎の速度はその一撃を遥かに凌駕していた。


 戦斧の旋回範囲を軽々と飛び越えた征十郎は、魔物を相手に大陸仕込みの毒を吐き捨て、大上段からの振り下ろしを頭部目がけて叩き込む。


 迸るいかずちのような一撃は、ガラ空きとなっていた頭部に吸い込まれ、そのまま頭蓋骨を両断して首元にまで到達。

 衝撃で眼球が眼窩から飛び出るのみならず、顔中の穴という穴から血液と脳漿の混合液体を垂れ流して巨漢は物言わぬ屍へと変えられた。


 ――――さて、俺もいくか。


 瞬く間に味方が三体も殺られる悪夢のような光景に、残った敵たちの動きが目に見えて鈍くなる。

 そこへ俺は正面から突っ込んでく。


「熊よりは楽しませてくれるんだろうな?」


 笑いかけるとオーガウォーリアーは弾かれたように戦斧を掲げて防御を試みる。


 だが、それに先行した狂四郎の刃は戦斧の柄を容易く両断しながら肉体へと到達。

 そのまま肩口から腰へと一気に抜けていく。


 ショックで絶命し、力を失って傾斜していく死体の脇をすり抜けながら腰を落とすと、待ち構えていた二体目がこちらに向けて横薙ぎの一撃を繰り出してくる。


「単調にすぎる」


 頭上を通過していく戦斧が巻き起こす風が鬱陶しく感じられる中、ガラ空きとなった胴体へと目がけ横薙ぎの一撃を叩き込む。

 可能な限り骨を避けるように放ったつもりだったが、骨盤の真上を通過した狂四郎の刃から突如として魔力の波が発生。

 そのまま刃が存在しないはずの位置までを切り裂き、分厚い身体を上下に両断していく。


 ――――とうとう我慢できなくなってきたか。


 腹部の中心部分くらいまでは到達するかと思っていたが、勝手に動き出した狂四郎の刃はそれさえも凌駕する切れ味を俺に見せつけた。


 幾多の血を吸ったことで、とてつもない切れ味を持つ妖刀へと変化しつつあるようだ。


「暴れ過ぎだ、相棒。だが……面白くなってきたじゃないか」


 俺の言葉に応えるように、鍔が小さく澄んだ音を響かせる。


 そして、狂四郎が思わぬ覚醒を遂げたことで、残る雑魚たちを倒すのにさほど時間を必要とはしなかった。






~~~ ~~~ ~~~







 俺が最後の一体を叩き斬ると、ちょうど征十郎も自分の“受け持ち分”を片付け終えたところだった。


「なんだ、同時か」


「そのようで。……俺の方が早くに動いたのになぁ」


 顔を見合わせた俺たちが言葉を交わしていると、そこに己の存在を知らしめんとするかのように巨大な咆吼が鳴り響く。


「まだデカいのがいたな」


 それまで配下の戦いを見守っていたオーガロードが、配下の全滅によって怒りを露わにして前進してきたのだ。


「大将は慌てずふんぞり返っているべきだが、さすがにこれはのんびりしすぎだろう」


「今さら泡を食ったところで遅いんですがね」


 二人して小さく笑うと、こちらの表情から侮辱されていると感じたのかオーガロードの喉が唸る。


「人間ガ、小癪ナ……!」


 めくれ上がった唇から覗く鋭い無数の牙の奥で、巨鬼の喉からかろうじて聞き取ることの可能な野太い声が漏れ出る。

 さすがにこのような高位の魔物となれば、魔族ほどではないが人語を解するようだ。


 ほぼ同時に巨体が動き、オーガウォーリアーの持つものよりも二回りほど大きな戦斧が俺たち目がけて振り下ろされる。


「時々思うんだが――――」


 大地に叩きつけられる巨大質量。

 爆裂の魔法など使わなくともその重みと速度によってエネルギーが生まれ、地響きと共に土砂が空中へと巻き上げられる。


 それらを跳躍して躱しながら、俺は征十郎に声をかける。


「なんです、兄者?」


「いや、なんで魔物があんな武器を持っているんだろうな。石器や棍棒ならまだわかるが、鉄器は簡単に作れるものじゃないだろう?」


 ふと気になったことを口にした。

 軽口を叩いても律儀に反応してくれる相手がいるからか、俺の口もそれに比例して軽くなり、ついついどうでもいい言葉が飛び出てくるのだ。


「低位の魔族が作って供給しているんじゃないですか? たしか、鬼たちはそうでしたよ」


 そういえばそうだった。


 八洲に存在する人類の敵対種――――《鬼》は、ひとくくりでそう呼ばれることが多いものの、厳密には魔族と魔物が綯い交ぜになって認識されている。

 低位から中位の鬼は知性も低く人類との会話も不可能だが、高位の鬼は八洲特有の魔族と言っても差し支えがないほどの強力な存在だ。


 八洲において人類と魔族との大規模な衝突が起きた穢夷エゾの戦では、高位の鬼が低位の鬼に武器を持たせ、俺たち討伐軍と戦ったこともある。


 思い起こせば、あの時の戦いは実に血の滾るものだった。


「それに比べて……」


 小さな溜め息と共に敵の大将オーガロードに視線を送る。


「……死ネ!」


 まるで自分を相手にしていないことに気づいたオーガロードが憤怒の表情で短く叫んで口を大きく開けると、同時に大きな魔力の流れが発生。

 口腔内が赤く光ったと思った時には、すでにすさまじい業火が俺たちに向けて放射されていた。


 頭上から不意打ち同然でこのような高熱の炎を浴びせかけられれば、ほとんどの生物は瞬く間に消炭に変えられてしまうことだろう。


 だが――――


「ただの炎ごときで仕留められると思われたなら、それはさすがに不愉快だな」


「魔物にしてはと考えれば、着眼点は良かったんじゃないですか?」


 逆巻く炎の向こうで勝利を確信していたであろうオーガロードは、平然と立つ俺たちを見て明らかに動揺していた。


「……《鬼斬り》なんぞ、八洲には掃いて捨てるほどいるんだがな」


 大陸で高位冒険者の戦い方を見たことはないのでわからないが、八洲では高位の魔物のみならず魔法を使う相手と戦うことを生業にする者は、基本的に武器や防具のどこかに魔法に対して妨害レジストをしかける効果を持つ魔道具――――宝玉をはめ込んでいる。

 征十郎の持つ《尾前長舩光匡》の鍔元にも、よく見れば真紅に輝く宝玉が収まっていた。


 ちなみに、俺も例の《緋緋色金ヒヒイロカネ》の腕輪に宝玉を嵌め込んでおり、それがあったため炎を斬らずとも無効化できたのだが。

 

「しかし、危ないな。森林火災の元だぞ」


 周囲の炎へも妨害レジストをかけながら延焼を防ぐ。

 実際に燃え移ってしまえばどうにもならないが、込められた魔力が炎を生み出している間であれば宝玉の力で無効化が可能なのだ。


「さすがに高位のオーガともなれば、魔法くらいは使ってのけますか」


「だが、大技を使ってこれなら脅威にはならん。……さぁ、大物狩りジャイアントキリングといこうか!」


 短く告げると共に、俺と征十郎は同時に駆け出す。


 彼我の間合いを詰めながら俺がわずかに速度を落とすと、オーガロードはわずかな変化を見逃すことなく、こちらを先に狙うべき標的と認識し得物を振り上げた。


 三階ほどの高さから叩きつけられる巨大な戦斧を、俺は狂四郎の側面を使って受け流し、敵の注意を引き付ける。

 一方、攻撃役となった征十郎は斧の一撃を勢いよく前へ跳ぶことで回避し、そのまま相手の間合いの内側へと最高速で入り込む。


 オーガロードの表情が驚愕に歪むがもう遅い。


 着地した足を軸にしながら征十郎から放たれる振り抜きの一撃。


 大きく旋回した刃は、巨躯を支える太い脚――――その膝関節へと一直線に吸い込まれ、そのまま骨と骨の間に入り込みながら膝の皿ごと両断していく。


 支えを失ったことでオーガロードは重心を崩し、その巨躯が大きく傾く。


 その時には、


 瞬く間に肩口へと辿り着いた俺を、恐怖に収縮した瞳孔が出迎える。

 踏ん張りのきかない姿勢では、抵抗が無駄だと本能で察してしまったのだ。


「終わりだ、首は置いていけ」


 鬼の瞳には映るのは太刀を振り上げた自分の姿。

 己の構える太刀の輝きを眺めながら、俺は狂四郎の刃を巨木のような首筋へと叩き付ける。


 喰らいついた刃が強靭な筋肉の繊維を断ち切りながら進むと、狂四郎からは歓喜の鍔鳴りと、オーガロードの首からは骨の砕ける音。


 脛骨さえも粉砕しながら突き進んだ妖刀の刀身は、そのまま大将首を刎ね飛ばしながら虚空へと抜けていった。



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