第75話 飛鷹計劃


 獣の咆吼が鳴り響く――――と思った時にはすでに決着がついていた。


「やかましい」


 短い言葉と共に銀光が虚空をはしる。


 その光が進んだ先にいたのは、突如として茂みの中から襲いかかってきた魔物。

 シザークローベアという名の、手の甲から鋭い鋏のような異形の爪が二本生えた熊は、登場とほぼ同時にその命を終わらせていた。


 喉から発せられた咆吼は、翻った剣閃によって喉笛を深く切り裂かれたせいで、最初の部分の咆吼のみを上げると、そこからはまさしく喉元から笛の鳴るような音へと変えられた。

 噴き出る鮮血と共に、断末魔の音色を森の中に虚しく響かせて地面へと静かに沈んでいく。


 熊といえば、巨躯をもって襲い掛かってくる力押しの獣というイメージがあるだろうが、このシザークローベアだけはまったく異なっていた。

 熊にしては二足歩行時の全長で二メルテン程度と小柄な方であり、さらに言うと分類上はどうも魔物になるらしい。

 熊の外見をしていながらもそれ以上の知性を持ち、人間より少し大きな身体と両腕の“鋏”で奇襲をかけてくる狡猾な魔物として、このノウレジア北部の森では要注意討伐対象に上げられている。


 何人もの下級から中位の冒険者たちがコイツの不意打ちにやられていると聞く。


「見事」


 征十郎がひと太刀でシザークローベアを仕留めるのを眺めながら、俺は短く告げた後でおもむろに首を前方に向けて動かす。


 直後に、風を切る音と硬質な物体同士の擦れる甲高い音。

 それらが重なりながら、直前まで自分の頭部があった場所を通過していくのがわかった。


 そのまま前方へと身を踊らせ、空中で身体を捻りながら背後を向く視線の先には、二本の槍にも似た爪の生えた腕が交差するように伸ばされていた。


 ――――まさに“シザー”の名前通りだな。


 すかさず脇差の獅子定宗を引き抜き、回転の力を利用しながら真上に向けて一閃。

 俺の頭上に伸びていたシザークローベアの両腕を肘関節の部分で斬り飛ばす。


 噴き出る鮮血と獣が激痛に上げる苦鳴の中、俺は背中から地面に着地してそのまま後方へ回転。


 大きな隙ができた好機を逃さず、しゃがみ込んだ姿勢のまま地面を蹴って前に出る。

 腰を落として上体を低くしたまま、両腕を失ったことでガラ空きとなったシザークローベアの腕の内側へと飛び込み、獅子定宗を構えたまま上に向けて一気に身体を持ち上げる。


 肉を切り裂き押し広げる柔らかな感触と共に、獅子定宗の切っ先はシザークローベアの下顎から侵入。

 強固な鎧とさえ言われる毛皮をものともせず、そのまま内部を破壊しながら頭部へと至り――――手首を軽く捻って脳を破壊する。


 ひと際大きな痙攣の後、俺が獅子定宗を突き立った身体から引き抜くのと同時に白目を剥いたシザークローベアの身体から力が抜けそのまま地面へと倒れていく。


「もう少し息遣いを抑えるべきだな。それじゃ囮を出す意味がない」


 魔物――――しかも死体相手に言っても仕方がないことだとは思いつつ、俺の口から溜め息交じりの言葉が漏れ出る。


 そう、先ほどの一体はあくまでも囮役だったのだ。


 まさかそちらが一撃で倒されるとは思ってもいなかったのだろうが、それでも残る一体は予定通り注意が囮役に引き付けられてると判断して俺の背後から奇襲を仕掛けた。


 もっとも、こいつらが接近してきた時点で俺も征十郎も気づいてはいたのだが。


「さすがですね。しかし、獣の分際で知恵が回ることだ」


 太刀を鞘に収めた征十郎が漏らすように、少ないながらも複数で狩りをする習性を持つゆえに、この小柄な熊――――シザークローベアはこの地で討伐を行う冒険者たちから恐れられているのだ。


「征十郎、早速昨日の話の続きだが――――」


 周囲に敵の気配がなくなったことで、俺は小さく息を吐いて語り出す。


 あくまでも推測の域を出ないが、薬をばら撒いている連中の荒っぽさから他国が暗躍している可能性があること。

 また、その時期がオウレリア公国で後継者争いに何者かが絡んでいた時期と同期するため、元を辿ると同一の勢力による工作かもしれないこと。


 それらを話し終えた俺の前で、征十郎は神妙な表情を浮かべていた。


「なるほど、他国の間者が暗躍している可能性があると……」


「そうだ」


「昨日にしても、突然話を途中で切り上げて討伐に行こうなんて言い出した時には、いったいどういうつもりかと思いましたが……。そりゃ、あの場所では話せなかったわけですよ」


 肩を竦めた征十郎の言葉に俺は静かに頷く。


 そう、こんな場に征十郎を呼び出したのは、人に聞かせられない会話となるからだ。

 娼館の人間を信用するには俺は彼らのことをまるで知らないため、それならいっそ聞かれる可能性のない場所にしようと判断したわけだ。


 ……まぁ、せめて初日くらいは早く帰らないと女性陣の機嫌が悪くなりそうな気がしたのもあるが。


「いや、察しが早くて助かる。もっとも、いずれはリズもここに連れて来ることになるだろうからそのための下見もかねてはいるがね」


 リズは今日から学園に通い始めている。

 朝のうちに見送りを済ませて、こうして森へと出てきたのだ。

 さすがに初日から完全放置なんてした日には、すさまじく機嫌が悪くなりそうだった。


「無理のない外出理由でもあると……。それにしても、ちゃんと護衛の仕事をされているようで」


 ひどい言い草だ。

 それでは、まるで俺が怠け者で女を食い物にしてきたみたいではないか。


「兄者にしてはずいぶんと目をかけているようですが、べつに惚れているわけでもないんでしょう?」


 征十郎の言葉に俺をそのまま自分の胸に問いかける。


 そういった感情はないはずだ。

 あくまでもリズの境遇を自分の過去に一部重ねているだけだ……と思う。


「……そういうんじゃないさ。ただ、一国の主大公閣下直々に頼まれれば無下にもできまいよ」


 まるで言い訳だなと思いつつ、今の時点で返せる言葉だけを口にする。


 俺は国からの依頼を受けてこの国に来ているにすぎないのだと。


「それに、守るだけじゃなくて、本人に強くなってもらわないとどっかで死んでしまいそうだからな」


 自分が口にするにはちょっと似合わないセリフだと思う。

 冗談交じりには言ってはいるが、けっしてリズを茶化しているわけではない。


 事実として、今リズに与えられている時間はあくまでも猶予期間でしかない。

 いずれは彼女も立ち塞がる運命を前に、自分自身で選ばなくてはいけなくなる。


 その時の選択肢を、俺がひとつでも増やしてやれたらいい。


 ――――そう思っているだけだ。


「そうですか。でも、あの《阿修羅斬り》にそう思ってもらえるなんて、なんだか羨ましくさえ感じます」


「まったく、大の男が子ども相手に妬くものじゃないだろうが」


 俺が視線を向けると征十郎は小さく頭を振る。


「惚れ込んだ相手だからこそ、そう思えるわけですよ」


「正面から言われるといささか面映ゆいな」


「それに女人にょにんというのは、年齢で判断するべき相手ではありません。俺たちみたいに自分のことで精いっぱいなんて情けないことを言っている男たちよりも、知らぬ間に中身はずっと大人になってるものですよ」


 小さく笑いながら征十郎はそう嘯く。

 色街で散々浮名を流したこの男が言うと妙に説得力がある。


「そうだな。男は大人になれないなんて話を聞いたことがある。なれるのは子どもか老人だけだそうだ」


「案外、そんなものなのかもしれませんね。……いずれにせよ今回の件は承知しました。それで、ここからどうされるつもりなんです?」


「今、公国にどうするかを問い合わせている。返事――――許可が出ればだが、まずはあの色街を元々仕切ってた組織に接触だな。なにをするにも情報が必要だ」


 さすがに征十郎が絡んでいるからと勝手に動くわけにもいかない。

 最低限の連絡をしておかないといざという時、なんの助けも得られなくなる。


「久々に兄者と動けるわけですか。面白くなってきそうですね」


「期待していいかもしれないぞ。ここ最近、厄介事には事欠いていない」


 笑い合う俺たちの前で森が爆散。

 地響きと共に巨大な物体が近付いてくる感覚が肌に伝わってきた。


「これもその一環ですか? ……なるほど、すこしは楽しめそうですね」


「ああ、身体を動かすには不自由しなさそうだな」


 この周辺を縄張りにしている群れだろうか。

 体長五メートルにも及ぼうかという巨躯――――オーガロードが、引き連れた十体ほどのオーガウォーリアーたちと共に、こちらに向けて殺気のこもった視線を送ってきているのが目に映った。

 

 普通なら、こんな場所に現れる魔物ではない。

 ギルドに報告すれば緊急討伐隊が組まれる規模の敵だ。


 だが――――


「とりあえず、?」


「ええ、先に雑魚を斬り終えた方が大将と戦えるってことでよいかと」


 嬉々とした笑みを浮かべて腰の太刀を引き抜く征十郎。


 おそらく同様の表情を浮かべている俺も狂四郎を鞘から引き抜きながら、征十郎と共にゆっくりとオーガロードの軍勢に向けて歩き始めるのだった。



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