第74話 蠢く悪意


「それで、決心はついたか?」


 二人きりになった部屋の中で俺はゆっくりと切り出す。

 

 テーブルを挟んで座る俺たちの目の前には、店の方で手配してくれた簡単な食事と酒が置いてあった。

 普段は客を取るために使用されていると思われるこの部屋だが、調度品は大陸で作られた高価ではないが品の良いもので統一されている。

 にもかかわらず、そこにいる人間だけが八洲産のものを身につけていた。


 着物にしても自分たちが好きで着ているわけだが、それが二人ともなると周囲に与える違和感が累乗倍になった気がしていささか落ち着かない。

 今まではひとりでいたからさして気にしてもいなかったのだが、まるで自分を客観的に見ているような光景だった。


「ええ、せっかく兄者を探してここまで来たんです。ぜひとも受けさせてもらいたいと思っています。ただ……」


 俺のどうでもいい思考を余所に、言葉を紡いでいた征十郎が途中で言い澱む。


「なにかあるのか?」


「少しばかり気になっていることがありましてね……」


 不敵さが服を着て歩いているようなこの男にしてはなんとも歯切れが悪い。

 すこし口の周りが良くなるようにしてやるべきだろうか。


「なるほど。まぁ、まずは先に飲みはじめよう」


 あまり急かすのもなんだ。

 そこまで話したところで、俺は杯に注いだ酒を軽く持ち上げると、征十郎もそれに倣う。


 飲んだ後にあれこれすることもある娼館だからだろうか、出されたのはこの前うちの女性陣がおかしくなったものとは違って軽めのエールだった。

 香りはやや強いが、それに反した飲み口の軽さからひと息で杯を乾かし、俺はそのまま用意されていた食事に手を伸ばす。


 塩漬け豚肉の三枚肉バラ肉をじっくり焼いたものにキャベツの酢漬け。イモをふかして塩味をつけたものに腸詰肉の燻製と、これがノウレジアのよくある食事なのだという。

 主食というよりも塩をきかせて酒に合わせた料理だ。これでエールばかり飲んでいたら簡単に太ってしまいそうな気がする。


 落ち着いた頃合いを見計らって視線で促すと、酒杯を空にして息を吐き出した征十郎がゆっくりと口を開く。


「いえね? 俺が勝手に首を突っ込んでいるようなものなんですけど、どうもこの色街にあやしげな薬が出回っているようでしてね」


 詳しく話を聞けば、それは麻薬の類だった。


 使用することで興奮と快楽を生み出すが、副作用として強い依存性と身体への影響が大きく、多用することで肉体と精神を徐々に蝕んでいく。

 それが、身売り同然に売られたことで心に隙間を持つ娼婦たちの間に密かに出回っているのだという。


「……よくある話だな。こういう場所はロクでもない連中が身を隠すにはもってこいの場だが、連中それどころか金まで稼ごうとしやがる」


 俺は溜め息を我慢することができなかった。

 それから不快感を少しでも和らげようと追加の酒を呷る。


 もちろん、八洲を出て大陸に来れば極楽浄土が待っているなんて考えていたわけじゃない。

 どこにだってこういう話は存在するのだ。


 まぁ、そもそも――――地獄のさらに下層のような環境で戦い抜いてきたのだからそれを言うのも今更だ。


「ええ、クソを垂れるだけじゃなくて、ついでにクソまで周囲にぶちまけてまでいく最低のクソ野郎どもです」


 内心で嘆息する俺の向かいで、吐き捨てるように不快感を露わにする征十郎。

 なんてことのない会話にまでこれだけ毒を混ぜてくるあたり、本当にコイツは口が悪い。


「だが、なんでそれをお前が? 冒険者ギルド経由で依頼でも来たのか?」


「まさか。連中、ギルドを含めてこの国とも仲良しなんでしょう。衛兵も含めてここに手の入る気配なんてありませんよ」


 皮肉交じりに小さく手を振って否定し、征十郎は嘆息する。


 八洲でもそうだったが、元々の治安が良くないというのもあってか、国がこういう場所を積極的に何とかしようと考えることは滅多にない。


 言ってしまえば、治安悪化の要素を一カ所に押し込むことができるためあえて改善をしない“臭い物に蓋をする”方式の考え方だ。

 また、このような場所ではおおむね犯罪組織が顔役になっていたりするわけで、国としては自分たちが出張らずそいつらを利用すればいいと企むのだ。

 連中は犯罪組織でありながらも、自分たちの庭の秩序だけはしっかり守ろうとする。

 そのため、彼らに悪所の外へ厄介事を持ち出さないことを条件に、裏で治安維持を肩代わりさせているわけだ。


 犯罪組織側としても一番敵に回したくない国家権力が自分たちの権益を黙認してくれるわけだから、利益の一部を国などへすることで悪所の支配体制を盤石にしようと工作をする。


 そして、最終的には国と犯罪組織の腐った関係――――もとい、協力体制が完成するのだ。


「……ホント、どこかで見たような光景だな」


「ええ、まさに。もっとも、博徒の連中はアホもいましたが、なんだかんだと上は街を守ろうとはしていました。でも、今ここで動いている連中はそうじゃない。俺はそれが気に入らない」


「さすが色男は言うことが違う」


「花は愛でるためのもので、けっして手折るためのものではないでしょう?」


 征十郎の言うとおりだった。


 はっきり言って、色街で一番金を生み出すのはほかでもない娼館だ。

 彼女たちがきちんと商売できる環境を整えることで利益が生まれ、そのアガリが治安維持を受け持つ組織を潤すことになる。

 その金の卵を潰そうとすることは、ひいては自分たちの首を絞めることにもつながりかねないはずだ。


 そう考えると実に奇妙だった。


「で、その怪しげな薬が出回り始めたのはいつからなんだ? すくなくともまだ深刻化しているわけじゃないんだろう?」


 俺は確信をもって問いかける。

 もしすでに蔓延しているとなれば、この街からは活気がなくなっているはずだ。


 征十郎とて口は悪いが、見境をなくすほどの直情型のバカではない。

 手遅れのものをなんとかしようと足搔くほど、この街――――女に入れ込んではいないだろう。


「俺の聞く範囲では半年も経ってはいないと思われます。ここ二、三月の間に広がってきたって感じですね……」


「半年か……」


 その時期を聞いて、俺には少しばかり思い当たるフシがあった。


 重なるのだ。公国でリズとライナルトの間で後継者争いが発生した時期と。


 そうなってくると、ひとつの可能性が浮上するのだが……。


「これはちょっと面倒な話になるかもしれないな……」


 俺は小さく息を吐き出して酒杯を呷るのだった。



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